ベスティアの思惑
イルと治癒術師の元を訪れ、リタは新たに塗り薬を貰った。診察ではまだ安静にしているようにと注意を受けた。治癒術師は夜会があるのは知っていて、その心配をしていた。それまでは出来るだけ体力を温存するように、との言葉を貰った。
注意を受けたものの、そうすると夕方までをどう過ごそうかと悩む。リタは部屋でイルとのんびりしておこうか、それとも注意を無視して街へ行ってみようかなどと考えを巡らす。結局獣人族の国はどこへも行けなかったな、と残念な気持ちが湧いてきたからだ。
リタは雑談がてらにイルはリタが眠っている間、何をしていたのかと聞くと、ずっとリタを側で見守っていたとの事だった。リタに魔力譲渡を行いたかったが、防御壁でリタが守られていた事で出来ずに歯がゆい思いをしたらしい。結果的に日中はほぼイルが付きっきりでリタの様子を窺っていたと言うことだった。
その他イルは、レイズとジルクの活動と調査の話を教えてもらったり、自分の状態を調べる為に王宮の書庫に出入りしたりして時間を潰していた、と言った。イルはイルで獣人族の王宮を満喫出来たようだ。どこにも行けていないことを残念がる様子は見えなかった。
そろそろ話題が尽きかけそうになったところで、イルはまだリタに話し終えていない事がある事を思い出した。リタが眠っている間にレイズとジルクから共有された話をイルはリタに話そうか、と提案する。
リタはイルからレイズとジルクの進捗を聞いておきたいと思った。しかし部屋でずっと話しているだけなのは勿体無い!せっかく獣人族の国にいるのだから、せめて王宮だけでも散策したい、とリタはイルにお願いした。
リタのお願いをイルが断る訳がないのは言うまでもない。軽く2人で王宮の庭を散歩し、リタは鈍った体を解した。そうして主に連絡事項をイルから聞くだけで時間は過ぎていった。
「ジルク様はベスティア様とパトラ様を疑っておられます」
その時イルからジルクの見解を聞いた。リタはジルクがなんの根拠もなくそんな事を言うとは思えなかった。しかし、2人がリタを襲う事を企んでいたとして、なんのメリットがあるのか分からない。真意が見えず、それを聞いたところでリタができる事は限られている。
「そっか、忠告をありがとう。一応警戒はしておくね」
その後2人は王宮の庭に設置されていたテーブルと椅子で途中お茶の休憩を入れたり、獣人族の王宮騎士団を観察したりして過ごした。
そろそろ日が暮れて肌寒くなってきたので、リタの体に障ってはいけない、と部屋に戻った頃。ベスティアの迎えも来る頃だろう、とリタはイルと向かい合わせで椅子に座って待つ事にした。洞窟のような部屋で静寂が広がる中、ペラリと本が捲れる音がする。2人はベスティアが来るまでのゆっくりとした時間を楽しんだ。
コンコンコン
「リタ様、ベスティアでございます」
イルが本を置いて席を立ち、扉を開けに行ってくれた。夕方になってベスティアが部屋までリタを迎えに来たのだ。
「お入り下さい」
イルがベスティアを部屋に招き入れると、ベスティアは伏し目がちに恭しく顎を引き、スカートのプリーツを広げて膝を曲げた。
「お迎えに参りました」
賓客の用意に張り切っているのか、どことなく緊張した空気がベスティアを包んでいる。
「じゃあ、行こうか、イル」
「エスコートいたしましょう」
「あっ、出来ればリタ様だけの方が……時間がかかりますので」
「リタ様が今以上にお美しくなられる時間です。それをお側で待たせていただけるなんて、これほどの幸せが他にあるとお思いですか?!それにリタ様の体調はまだ万全ではございません。ここは私が行かずして誰が行くと言うのでしょう。リタ様が倒れられたら私が喜んで看病をいたします。むしろずっとお眠りの状態でも問題ございません。ん?それは寂しいからやっぱり駄目だな。でもそうすればずっとお側にいられるか?いや、でもリタ様に触れられないのは拷問だな。しかしそれもまた何かに目覚めてしまいそうで良くもある!ああ、リタ様さえいらっしゃれば私には何もいらないのです!」
「うわっ……ゴホン。で、でもご自分のご用意もございますでしょう?」
ベスティアは若干イルの様子に引きながらも、イルにとても気を使って話している。リタも知識として淑女の準備にはとても時間がかかることを知っていた。しかしリタはまだ怪我人だ。今回はヘアセットとドレスだけの準備のみなのでまだ楽な方だ。
「イル、ベスティアさんもそう言ってるし、無理して来なくても良いんだからね?」
リタもイルに気を使って言ってみた瞬間、イルはいきなり膝から崩れ落ちた。
「キャッ!イル?!」
「リタ様は……リタ様は僕を連れて行ってくれないんですか?」
「え、え?!ううん!そんなことないけど、イルも準備があるでしょう?だからと思っただけで!」
「僕を置いてベスティア様と一緒に2人だけで行ってしまわれるんだ……僕が従者なのに……あ、僕が男だから付き添えないのか!侍女なら何処にでもリタ様と行けるじゃないか。ああ、なんだ簡単な事だった。僕が女に」
「ストップ、ストップ、ストップー!わかった、わかったから!」
リタと一緒にいたいからという理由だけでイルがこのままでは男の娘になってしまいそうだ。イルの考えが危険な方向にいきそうになったので、リタはイルも連れて行くことにした。
「あの、ベスティアさん、イルには私の用意を任せるので、どうぞお気遣いなく……」
「え?!男性に用意をお任せになるのですか?!」
「ドレスの着付けは女性の方にお任せするつもりだけど、薄いワンピースみたいな下着、あれなんだっけ」
「スリップでしょうか?」
ベスティアが合いの手を入れる。
「そう、それ!それ着るでしょう?だからその場にイルがいても何とも思わないよ。ね、イル?」
「リタさまああああ!……ん?私がいても恥ずかしくないと言う事ですか?意識されて……いない……だと?!」
イルは男性として意識されていないのか、と悩み始めた。リタは何を悩んでいるのか分からなかったのでそれを無視して話を進める。
「と言う事で、大丈夫だよ」
ベスティアは納得がいかなさそうだ。その後もベスティアはイルを置いて、今日はベスティアだけを付き従わせるよう、イルの説得を続けた。ベスティアの説得を聞いていると、確かにリタとイルが非常識なように思えてくる。イルから聞いたジルクの忠告はあったが、不自然な理由でリタを一人にしようとしているようには聞こえなかった。
ベスティアが述べる紳士たるものの定義を聞いて、イルがまた危険な思考をブツブツ呟き始める。だがベスティアの言う事は全て正論だ。リタはやっぱり非常識でした、ごめんなさい!と言おうとした所でイルの不穏な発言が聞こえた。
霊魂に戻ってリタの側にいつでも居られるよう、僕の浄化方法を考えるか、とベスティアに聞こえない声で呟いたのだ。放って置くと首を吊って死ねるかの検証をしかねない、とリタは焦った。結局リタの必死の説得でベスティアを押し切る形で同行させることに成功した。
この時予定外だわ、とベスティアは思った。ベスティアがしようとしている事を達成するには、イルの相手もしなければならなくなる。流石にベスティアにそれは荷が重い。だがベスティアがいくらアピールしてもリタも言うことを聞きそうにない。仕方がない、とベスティアはドレスを保管している公爵家御用達の仕立屋に書物伝令を飛ばす。
「今書物伝令を行き先に送りました。イル様がいらしても対応するように伝えましたので……でも本当にご一緒されますか?」
「ベスティア様。私はリタ様の従者でございます。片時もリタ様のお側を何を言われようと離れるつもりはありませんよ」
ニコニコと満足そうにイルは微笑み。それを聞いてはぁ、とベスティアはため息を付くと、渋々イルの同行に同意した。
「では、馬車にお乗り下さい。イル様もご同乗いただいて良いですよ」
「隣でリタ様をお守りするので、そうさせていただきます」
イルはリタに手を差し出しリタを先に馬車の中に誘導すると、あとから自分も乗り込んだ。
当初の予定からも変更だ、と馬車を走らせながらベスティアはイライラして親指の爪を噛む。
ベスティアはそもそも仕立屋に寄るつもりもなかった。しかしイルが同行する事になってしまったので、急いで伝令を飛ばして手筈を整えたのだ。公爵家の名前を使えばそのような事は造作もない。そこの侍女が王族の賓客を連れて行くと言えばすぐに用意してくれるだろう。こんな事があった時の為に事前に話を通しておいて良かった、と安堵する。来るかもしれないが、来ないかもしれない。その時は改めて連絡すると言っておいたので問題ないだろう。
程なくして店主から書物伝令が届き、妖精族に似合うものを用意して待っているとの連絡があった。なんとか体裁は繕えているはずだ。
イルの同行という予定外の事もあったが、一応想定範囲内に収まっている。問題はドレスを着せたあとの事だ。ベスティアもう一度書物伝令を飛ばす。これで何とかこの状況を好転させられる。ベスティアは淡い期待を胸に、仕立屋に向かって馬車を急がせた。




