ベスティアの我慢の限界
パトラが落ちてきてから3暦が経った頃。成人の18歳を迎えたパトラとリオンはもうすぐ正式に結ばれて、パトラは婚約者から王太子妃となる。
パトラが婚約者になってからも、ベスティアはリオンに想いを寄せていた。そんなベスティアの気持ちを2人は知るわけもなく、パトラとリオンは日に日に距離を深めていった。
その王族の賓客である妖精族のリタを自分の所為でベスティアは危険な目に遭わせてしまった。公爵家に呼び出され、とうとう専属侍女の首を切られるのかと思えば、原因を説明させられただけだった。
今回の事は完全に計算外だった。ベスティアは針の特殊な作用によって魔獣が寄ってきてしまうのを防ぐ効果のある薬を外出時は携帯していた。ベスティアが使えば魔獣は寄り付かなくなるが、ベスティアの魔力と薬が融合した時のみに適切な効果を発揮する。
もし他の者が使用した場合、魔獣が寄り付かなくなるのは両者が離れている時のみで、一定の距離まで近づくと襲いかかってくる事が分かっていた。ベスティアの持っていた薬は用法と用量を守ってベスティアのみが使用する事を条件に、パトラがわざわざ薬屋に頼んで調合させたものだ。
パトラはそうまでして、ベスティアが魔獣を呼び寄せる針の所有者である事を隠し守っていた。もし他の使用人に知られれば、今以上に酷い扱いをされるのは目に見えている。パトラが何とかして自分を守ろうとしてくれているのが分かり、ベスティアは心が痛んだ。
リオンに想いを伝えたくて刺繍したハンカチはまだ手元にある。もう手渡す事が許される間柄ではないが、ベスティアにハンカチも針も捨てる事は出来なかった。自分が針を手放すとさえ言えば薬を普段の外出時から常に使う必要もない。それに、この薬がなければ今回の事だって起こらなかった。針の特殊性について他言してはならない、と言われていたので薬品についてもすぐには説明出来なかった。その所為でこの事態を招いてしまった。
リタが獣人族に着いてからもうすぐで3週間が経とうとしている。抜糸してから更に深い眠りについたと噂で聞いた。明日は歓迎・懇親パーティーが夜にあるが、それまでに目を覚ますのだろうか?もしかしたらベスティアには教えられていないだけで、もう目覚めているのかもしれない。
パーティーが開催される次の日には獣人族の国を後にすると聞いている。準備などは問題ないのだろうか?今はパトラではなく、リタ達に仕えている事になっているので、教えて貰えないかもしれないが、明日の朝一に様子だけでも窺ってみよう、とベスティアは考えた。
もし、また『チャンス』があるとしたら、パーティー会場に向かう道中だけしかない。怪しまれるだろうが、今更そんな些細な事に構っている場合ではない。ベスティアが確保してすぐにあの人に受け渡せば、後は全て上手く調整してくれると言っていた。
ベスティアにはもう時間が残されていなかった。もうすぐリオンはベスティアの手の届かない相手になってしまう。リオンとパトラが結婚式を挙げるまでに、まだ数ヶ月の時間が残されている。でも今のベスティアではパトラの足元にも及ばない魔力値だ。異議を唱える事さえ出来ない。
ベスティアは色々と限界だった。
「もう嫌だ。毎日2人を見ているのは辛い。なんでこんなことに……あの幸せだった日々はどこに行ってしまったの……私が何したって言うの?編入して来たばかりのパトラにだって不本意ながらも優しく接した。なのに、なんでわたくしが侍女なの……」
使用人達の言葉がベスティアの頭を反響する。
『魔力値が低いくせにリオンを狙ってた侍女』
『公爵家の養女であるパトラ様にかなうわけがないのに』
『馬鹿じゃないの、雑魚の癖に滑稽ね』
『所詮ティグレ公爵家に誰も敵うはずがないのに。まだ好きなの?身の程知らず』
最初の頃はせめて候爵令嬢として、気高くあろうとしたが、今や心はボロボロだった。侍女になってからの1暦目はパトラの侍女になった事でパトラの付き添いとは言え、リオンと一緒にいる時間が増えた。そばに居られる、その事が純粋に嬉しかった。2暦目では、1暦目の時に起こした魔獣でパトラに怪我を負わせた事が響いて、使用人達との仲にヒビが入って気まずい日々を送っていた。3暦目はもうどうしようもないぐらいに扱いが悪くなっていた。パトラが守ろうとするのも余計に関係を拗らせるだけで、何も改善しなかった。3暦が経ち、4暦目の今はもう、ただただ疲れていた。
「わたくしに魔力さえ、魔力さえあれば……!こんな思いはしなかったのに……!」
ベスティアは暗闇に向かってドロドロした思いを吐き出す。すると暗闇から声が返って来る。
「ベスティア、魔力があったらどうした?」中性的な声は男なのか女なのか判別がつかない。
「異議を申し立て、決闘を申し込んだわ」
「えっ、その伝統、まだあったの?」
声の主の姿は暗闇に溶け込んでいて全く分からないが、間違いなくベスティアは誰かと会話をしている。
「そうよ。いまだに伝統は残っているわ。婚約者に対して不満があり、我こそはと思う者は婚約者に決闘を申し込めるのよ。婚約者と決闘を申し込んだ者は体術で決闘を行い、勝った者が次期婚約者になるの」
「それなら決闘を申し込むのはベスティアだけじゃないんじゃない?」
「そこまでリオン様を好きなのはわたくしぐらいよっ……。だって相手はあのトラ魔獣の特徴を持つティグレ公爵家の令嬢よ?普通なら勝てる筈がないわ……決闘を申し込むだけで周りに笑われて、決闘も無効にされてしまうのが落ちよっ……!」
心底悔しそうに顔をクシャクシャに歪めてベスティアは吐き捨てるように言った。興奮してフーフー息を吐く様子が危うさを強調する。
「ねえ、そんなに魔力が欲しいならもっと前に僕が教えた方法を取れば良かったんじゃない?」
「魔力不足を補うために針を購入した、と出会った時に言った際に教えてくれた事でしょう?あの時はまだパトラ様はいなかったわ。人族にずっといたらしいけど、なぜもっと早く呼び戻さなかったのかしら?知ってたらわたくしがリオン様に恋をすることもなかったわ……それに、2枚羽の妖精はいくらでもいるけど、流石に2枚羽の妖精にアレをやってしまえば死んでしまうわ!だからずっと4枚羽を探そうと思ってはいたのよ?」
「だから今なら出来るし、やる理由があるでしょう?なぜやらないの?」
「実は手に入れようと思ったのよ……でも、機会を一回既に無駄にしてしまったわ……手違いで乗り合いの馬車に乗れなくて。一緒の馬車だったらわたくしに火の粉がかかるじゃない。それに手違いで傷つけてしまったし……」
リタには、はぐらかしたがアメリゴ都市で裁縫道具を販売する魔族のおばあさんのところで買った針をベスティアは持っていた。今回はその針の魔獣に好かれるという特性が発端で起こった事だ。
とにかく針のことは隠さなきゃ。魔獣にパトラが襲われた原因が私だと周囲にバレてしまう。それだけで頭がいっぱいだった。同乗も上手く回避してどこかでこっそり待ち伏せして、と考えていたが手違いが起こって馬車に同乗する事になった上、無駄に傷もつけてしまった。
特性がどこからも漏れないようベスティアは日頃からも注意を払っていた。もちろん、リタ達にも黙っておこうと余計な事は言わないように気をつけていたのに、結局ジルクにはバレてしまった気がする。
ジルクからは数十暦前の良質な針と疑われているのだろうとすぐピンと来た。この針は良質だが、老婆が売った最も良質な針はベスティアが買う時にも老婆に数十暦前に売れていると言われた。できる事ならベスティアだって老婆の最高品質な魔道具針が欲しかった。
結果的にベスティアが購入した針は、良質な針だがベスティアの魔力ではおまじない程度の付与しかできない。魔族の子と手芸屋で出会いはしたが、決して針の交換も行っていない。
「一度失敗したからって、諦めるの?」
「でも、本当にあれしか方法はないの?」
「別に良いじゃない、4枚もあるのだから。1枚をあなたに。もう1枚を僕にくれれば後は全部任せてくれて大丈夫だよ」
「ええ。分かってるわ。今までだってわたくしの刺繍の守護の付与を強化してくれているのだもの。信用しているわ。でも本当にあなたの言う方法で魔力値が上昇するの?」
「僕の研究によると、絶対大丈夫。断言できるよ。生きているうちに羽をもいで、状態維持の瓶に羽を入れるんだ。今回みたいにボロボロにしちゃダメだよ?何の接点もない僕が近づいたら怪しまれちゃうから、素材だけはベスティアにお願いしたいんだ。加工と調合は僕がやるからっ」
「わたくしがボロボロにするようお願いした訳ではないわ。今回のは本当に手違いだったの。で、でも死なないかしら……」
「4枚なんだから大丈夫だって!でもでも言っても仕方がないでしょう?ベスティアがどうしたいのかが重要でしょう?ねえ、どうしたいの!」
「……リオン様と一緒になりたい。諦めたくない……!」
「もうすぐここを去ってしまうんでしょう?その子が目覚めたら、少しは羽も回復しているさ。それにベスティアにだってもう時間がない」
「わたくしは……わたくしは……せめて婚約者になるチャンスが欲しい……」
「ならやることは決まっているはず」
すっと気配が消え、暗闇から声がしなくなった。言葉が発せられていた暗闇に月明かりが当たると、そこには誰もいなかった。
「私は魔獣を従えられる。それに好かれている」
ベスティアは自分に言い聞かせるようにして何度も同じ言葉を繰り返した。
この力があれば魔獣の皮革を貿易している国に貢献できる。私こそが王太子妃にふさわしい!周囲を納得させた上で婚約者に収まるにはこの方法しかない!
パトラさえ潰せれば!パトラさえいなければ!悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しいクヤしい悔しいクやしい悔シイ悔しイ悔しいクヤしい悔しいクやしい悔シイ悔し悔しいクヤしい悔しいクやしい悔シイ悔しイイクヤシイクヤシイクヤシイクヤシイクヤシイクヤシイ!!!!
スカートのポケットに入れた魔族の女の子から友情の証として貰ったハンカチが淡い光を放ち、ベスティアの想いに呼応するように反応を示す。
2枚だけ、2枚貰うだけよ。公爵家だろうから羽生草も持っているはず。すぐ治癒させてしまえば死にはしない。
2枚だけだから、いいよね。




