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パトラが知るベスティアの針の特性

キューン……キューン……キュキュキュ


今まで魔獣がそのような声を出したのを聞いたことがなかったベスティアは何が起こったのか分からなかった。ベスティアから敵意や怯えの気持ちがなくなった瞬間、コヨーテウルフがベスティアを慰めるような声を出し始めたのだ。


「……ベスティア、これは……?」


「わかりません……ですが、何やら私に懐いているよう……です」


ついにベスティアに触れられる距離まで歩いてきたコヨーテウルフが、ベスティアの針を持っている右手をペロペロと舐め出した。他の個体もスンスンと音を立て、鼻をヒクつかせながらベスティアの右手の匂いをしきりに嗅いでいる。尻尾も振って敵意がないことをコヨーテウルフは全身で表していた。


その時ベスティアはある知識を思い出した。

「もしかして、魔道具針の……特性?」


「魔道具針ってなあに?」


「わたくしの持つ、この針のことです。魔力登録を行う魔道具には何らかの副作用というか、特性が生まれる傾向にあるのです。これまでは、こうして馬車の外に乗ったり、魔力袋の外に針を常備したりしていることがなかったので気がつきませんでした。どうやらわたくしの針は魔獣を惹きつけてしまうようです。わたくしの怯えが消えてから懐き始めたので、敵意がなければ好意を持って貰えるのかもしれません……」


ベスティアの感情に魔獣も左右されるのか、とパトラは感心した。


「でも、これは捨てた方がいいですわ。危ないですわ」


「そ、そんな!この針は……」ベスティアがリオンに渡すハンカチに刺繍がしたいという想いで購入したものだ。その淡い恋心を捨てろと言われた気分になったベスティアは躊躇した。俯いて無言になったベスティアに、パトラはそれ以上何も言えなかった。ベスティアが魔道具針を持つことになった理由を知らないパトラは、もしかしたら大事なものなのかな、と思ったのだ。


「針は手放したくないのね?」


コクリ、とベスティアは頷く。ベスティアが頷いたのを見たパトラは、はあ、とため息をつき、


「仕方ないなあ。では今日あったことは秘密にしましょう。家の者に知られたら取り上げられることは間違いないですわ。針の特性についてもわたくしとベスティア、2人だけの秘密ですわ。あ、でもリオンにだけはこういう針が存在することを報告しますですわ。家の者には今日、わたくしはピクニックで転んで怪我をしたと説明しますですわ。良いですわね?」


「パトラ様はそれでよろしいのでしょうか?わたくしの不注意でお怪我を……」リオンには何と言うつもりだろうか?ベスティアはもはや自分の心配ばかりをしていた。そんな卑しい考えを以前はする事もなかったのに、パトラが来てからはずっとこんな調子だ。ベスティアは自分が嫌になりそうだった。


「何言ってるの?わたくし達、お友達でしょ?勝手に扉を開けたお転婆なわたくしに問題がありましてよ。さあ、この犬っころ?に帰れと命じてちょうだい」


ベスティアのそんな考えを払拭する言葉に罪悪感で涙が出そうになる。だが淑女たるもの、人前で簡単に涙を流すわけにはいかない。ベスティアは溢れそうになる涙を目に力を入れてグッと堪えた。


「コヨーテウルフです、パトラ様……。コヨーテウルフの群れよ、ここを立ち去りなさい。って言うことまで聞いてくれるのでしょうか?あ、聞いてくれるのですね。ありがとうございます」


こうしてピクニックにを終え公爵家に戻ると、パトラは笑って転んだと報告したが、使用人達はベスティアに冷ややか態度を取った。


「主人に傷を負わせるだなんて」


「転ばせるなんて信じられない」


「パトラ様が自分で転んだなんて嘘じゃない?引っ掻き傷みたいだったわ」


「次期王太子妃のパトラ様を妬んでベスティアが引っ掻いたんじゃないの?」


「あーだってあの人、王太子妃狙ってたんでしょう?」


「あの魔力値で?ないわ〜」


使用人達はキャハハとベスティアに聞こえるように甲高い声で笑う。


ベスティアは強く唇を噛みしめ、怒りに身を震わせた。犬歯が当たってツーっと唇から血が垂れた。



この一件でリオンとパトラの仲はより一層深まったように見えた。魔獣に襲われたこととベスティアの針の特性をパトラがリオンに話してから余計に仲睦まじくなった気がする。


そんなリオンはベスティアに優しかった。


「扉を開けたパトラが悪い。淑女たるもの暇で我慢が出来なかったなどと言う理由から自分で扉を開けるなんてあってはならないよ。主人を失うかもとさぞベスティア嬢は怖い思いをしただろうね。可哀想に」と労ってくれた。あとはお二人でどうぞ、とその後に席を外した。


凍りついていたベスティアの心がリオンの言葉で溶かされていくようだった。リオンの言葉があるだけであらゆる嫌味に耐えられるとベスティア思った。大事な物を抱えるようにそっと胸に手を当てた。


「パトラ、ベスティアの事だけど、針の扱いに注意しておいて。本人が手放そうとしないうちは引き剥がす事はできない。頃合いを見て手放すように仕向けよう。それまではパトラがベスティアの監視を頼む」


「ええ、承知していますですわ。あと、実はもう一件気になったことがあったんですの」


他の店にも採用されたブランドネームタグのサンプルが出来上がった話をベスティアはリオンに説明した。ベスティアがパトラに了承を得る為、店に卸す前にパトラにも見せた時のことだ。


パトラはそのタグを見た瞬間に嫌な感覚があった。その感覚が何なのか、まだコロンバス連合世界に来てから数ヶ月しかたっていないパトラには分からなかった。だからとりあえず貸してもらったのだ。


パトラはその嫌な感覚は自分だけが気がつける感覚だと思っていた。なぜならそれを作ったベスティア本人がポカンとしていて、意味が分かっていないようだったからだ。


ヒロインの力なのかしら、と思ったパトラはそれを自分だけで調べることにした。パトラが調査に取った方法は様々だ。本を読んでみたり、使用人に聞いてみたり、具体的な事は伏せて刺繍について調べた。


守護の紋章を刺繍する事は貴族間で広く普及しているので、調べるのに時間はかからなかった。そしてパトラが気になった嫌な感覚が守護の紋章に縫い込まれた悪意である事が分かった。守護の紋章からはベスティアの魔力を強く感じる。


早速パトラはその紋章の修正に取りかかることにした。まずは獣人族の手芸屋で売っていた適当な魔道具針と刺繍糸を購入した。本に書いてある守護の付与方法を読みながら、前世で培ったゲーム知識を応用する。パトラは自己流でベスティアの縫った紋章の上から針で糸を通し、紋章の上から守護を新たに掛け直した。


ベスティアの縫った刺繍は精巧に出来ており、刺繍をしたことのないパトラは表面に軽く糸を通すだけにする。流石にその精巧な刺繍の上から、同じ刺繍を自分で一針一針刺す気力が湧かなかったからだ。

パトラが買った刺繍糸は生地に浸透する刺繍糸とのことだった。パトラが糸に広がれと命じれば、一本の糸の撚りが解除され、細い糸が紋章全体を覆った。こうすれば、上手く悪意の紋章に溶け込むはず。そうイメージして他の紋章にも上から守護を新たに掛けた。


だがパトラはこの時知らなかった。浸透するとは液体が糸に染み渡り、溶け落ちるということを意味していたのを。パトラは計らずとも、王宮騎士団の防具にあった刺繍と同じことをやってしまっていた。だが、当時のパトラは王宮騎士団の防具の異変など知らない。自分の魔力が、紋章に付与されている魔力に浸透するイメージをしたので、そうなっているはずだと自分の腕を疑わなかった。実際上手く浸透する糸が広がって、紋章を覆ってしまったので成功したと勘違いしてしまった。


この世界のヒロインであると信じているパトラは、自分に出来ないことはこの世界にはないのだと根拠のない確信を持っていた。全てのサンプルに上書きが出来たと思ったパトラは、ベスティアに返却する前にリオンに相談したのだ。


「今持って来てはいるかい?」


「ええ、ここに」


パトラは魔力袋からタグを一つだけ取り出し、リオンに渡す。


「どれ、見せてご覧?」


見た目上は完璧だった。ベスティアとは比較にならないほど強いパトラの魔力は、完全にベスティアの悪意の紋章を打ち消していた。その糸が溶けさえしなければ、劣化さえしなければ問題なかっただろう。


「完璧に解呪出来ているね!流石はパトラだ!」


褒められたパトラは嬉しくなり、これで返却すると言い切った。


「ああ、でも万が一今後問題が浮上した時にパトラの所為にならないよう、もう見せる必要はない、とベスティアには言っておいた方がいいよ」とリオンは一応予防線を張っておいた。


もしここまでしても問題が発生した場合、王族も相談をパトラからとは言え受けたのに何もしなかった、となったら国家規模でまずいことになる。それに、リオンはパトラの言う『ベスティアの悪意の紋章』が気にかかった。王宮騎士団から防具が原因で不調が起こっているかもしれないとの報告があったからだ。この情報はまだパトラにさえ話していない、極秘事項だった。再度念を押してパトラにベスティアの監視を頼み、その場はお開きになった。


パトラはベスティアにサンプルを返却する際、もうパトラの許可は要らないから勝手にすると良いとの許可を出した。この時パトラは、ベスティアが自らの手で引き続きブランドネームタグを量産するとは思っていなかった。細長い布にブランドネーム刺繍して売るという手法に対して許可を出したつもりだったのだ。


ベスティアに返却した時も何がどうなったのかは分かった様子がなかったので、ベスティアは魔力感知に疎いのだろうとパトラは察した。きっとベスティアは魔力が低いから、想いまで縫い込んでいるとは思っていないのだろうとも予想する。本にある守護の魔法陣を忠実に変換し、ブランドネームを刺繍したとしか思っていないはずだ。


ベスティアはこのタグを付けられた衣類を着用する者を対象とした悪意でなかったとしても、良い気持ちで縫ったのではないことを意味する。


では、何に対して悪感情を持っていたのだろうか?とパトラはフッと疑問を抱いた。パトラはまさか自分が現れた事でベスティアを次期王太子妃候補から押し除けたとは思っていなかったし、知る由もなかった。だからあの優しいベスティアが悪意を持つこと自体が信じられなかった。


きっと何かの間違いだ。


そう思ったので、針の特性については決してリオン以外の者に話さないことを徹底した。ベスティアにも同じことを命じた。ベスティアが何かで怪しまれるような事があってはならない。自分が無事、王太子妃になるまでは有能な侍女を手放すわけにいかない。


こうして獣人族はこの件に関与しないことに決まった。王宮騎士団の不調の本当の原因はこの時にもまだ判明しなかった。リオンはベスティアを怪しんでいたが、怪しいだけでどうにかできるほど簡単な問題ではなかった。


こうして3暦前から人族の王宮騎士団は見えない悪意によって蝕まれ始めていったのだった。


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[良い点] 謎解きミステリーって感じですな!ワクワクする!
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