パトラのわがまま
全てがパトラの思い描いていたように進んでいた。
リオンとは貴族院でも順調に関係を深め、専属の侍女、ベスティアも手に入れた。だが知らない内にベスティアを押し除けた形になったことにパトラは気がついていなかった。
ある日、パトラが王妃教育に疲れ切っていた時だった。パトラは息抜きがしたいと次期王太子妃の教育係にわがままを言うことを思いついた。パトラの剣幕に押された教育係は、ピクニックにでも行って来いというのが精一杯だった。こうしてパトラは外出許可をもぎ取ることに成功した。そして街を外れた森へベスティアを連れてピクニックに出掛けることになった。この時はベスティアが御者席に座り、馬を引いていた。なぜ専属侍女のベスティアが馬を引くことになったのかにも理由があった。
通常は執事や馬を引く専門の者がいる。以前から執事だったベアーノは公爵家当主の用事で不在にしていたことも理由の一つではある。しかし、今回は専属侍女を狙っていた他の公爵家における使用人からベスティアへの嫌がらせでもあった。これもまたパトラが知らぬ内に招いたことだ。
ベスティアが専属侍女になった事に納得がいかない使用人は皆口を揃えて専属侍女であるベスティア様なら、当然馬車も引けますよね、と嫌味を言ってきたのだった。パトラは公爵家の使用人達の中でまさか自分の専属侍女を望んでいる者が存在するだなんて発想はなかった。使用人達は公爵家に長く仕えてきた自分こそが、次期王太子妃候補となる養女の専属侍女になるのだと息巻いていただなんて知る由もなかった。貴族制度や慣習などの知識がないパトラはただ、自分にはない知識があり、仲良くやって行けそうな歳の近い子を選んだだけのつもりだったからだ。ゲーム感覚で自分に都合の良い結果を選択し続けただけに過ぎない。
そうは言っても不本意ながらベスティアは父親からもパトラの侍女を厳命されていたこともあり、王太子妃の座を退けられた今、せめてこの地位は守る必要があった。ベスティアは意地を張って、それぐらいは出来ると言って護衛もなく、2人で出かけていった。護衛がないのも、専属侍女を狙っていた別の身体能力の優れた者に専属侍女であれば主人を守れて当然、と言われてしまったからだ。
「なんでわたくしが御者まで……護衛もつけてくれないなんて……
専属侍女であれば全て出来て当然と言われればそれはそうなのでしょうけど……」
ベスティアはパトラには聞こえないよう、ブツブツ文句を言いながら森の中へ馬車を走らせた。どの道パトラには御者席から話しかけても、小さな声では聞き取れない。公爵家の馬車は御者席と客室側は完全に別れており、客室は小さな個室のような作りになっている。互いに話しかけたければ大声を出すしかない。段々と道は険しくなり森が深くなって来たが、そこを抜けると広場に出る。公爵家のプライベートな森なので部外者も立ち入らない。馬車を引くのには慣れていないが、安心して馬車を走らせられる。
もうすぐ広場に出ると言うところで、目の前をサッと何かが通りすぎた気がした。轢いてしまう!ベスティアはグッと手綱を勢いよく引っ張った。
「グゥウウウ!」
いきなり手綱を引っ張られたウマが怒るが、ベスティアは乗馬の経験はある。ウマの扱いには手馴れていたので、どう、どう、と落ち着いた声で話しかけ宥めた。パトラはベスティアが扉を開けるまで決して自分からは扉を開けないという淑女の教育を受けていたので、もう着いたのかと思い、ワクワクしながらベスティアが扉を開けるのを大人しく待っている。
轢いてしまった魔獣はいなかった、とホッとしたベスティアはまた馬を走らせようと手綱に力を入れようとした時、またサッと何かが目の前を通った。しかし今度は1つではなく、いくつもの影が横切った。
まさか、公爵家の森に魔獣が?いや、ありえる。狩りをして楽しむこともあるのだから、魔獣を放ったらかしにしていることは十分に考えられた。御者席を降り、ベスティアはウマが驚かない程度の声でパトラに話しかけた。
「パトラ様、何かが馬車を囲んでいます。きっと魔獣です!決して扉を開けないでください!」
パトラはベスティアの言ったことが聞こえなかった。なんとなく、何か用事があるから待ってろ、と言われた気がしたパトラだったが、一応、
「え、なーにい?」と返す。しかしベスティアからの返事はなかったので、まあいいや、と扉が開けられるまで暇なので、魔力袋から本を取り出し、読み始めた。
一方、ベスティアにはパトラが「あ、はーい」と言ったように聞こえていた。これで安心して周囲を警戒できる。しかしパトラの手元にあるのは鞄の外付けポケットに刺した針一本。パトラのドレスがほつれたり、汚したりした時にすぐ対応するためだけの物。魔道具針ではあるが、武器ではないので魔力袋に入れるほどでもない。それよりも必要な時にすぐ取り出せるようにしておく必要があったので、鞄からすぐ取り出せる位置に入れていた。
何もないよりはマシだ。
パトラはその針を手に戦闘の体勢をとった。魔力値が低いので、せめて魔法を乗せた攻撃をと思い、針を介して攻撃することにしたのだ。ベスティアは魔力感知も一般的な獣人族より劣る上、魔力も劣っている。だが専属侍女である以上、こういったケースは今後も起こることが予想される。魔獣でなくとも、もしかしたら人型種族に狙われる可能性だってある。たかが魔獣ごときで二の足を踏んでいるわけにはいかない。
魔力関係は劣るものの、獣人族特有の身体能力の高さには自信があった。優れた動体視力で周囲をぐるぐる回る魔獣が何かを捉える。
コヨーテウルフだ!
四足歩行の犬型魔獣だ。体は小さく、成人女性の手のひら2つ分ぐらいのサイズだ。群れで行動をする傾向にあり、縄張りに入ってしまうとやっかいだが、獣人族の身体能力を持ってすれば、たとえ何匹来ようとも大した敵ではない。群れと言っても20〜30匹前後で行動することが分かっている種類なので、より大きな群れで行動する犬型魔獣よりはよっぽど楽な相手だと言える。それに、こちらの方が強いと知らしめれば尻尾を巻いて逃げていく比較的弱い魔獣なので、ベスティアでも倒せる。
魔獣とはいえ、傷つけるのを嫌がったベスティアは馬車をぐるぐる走っていた1匹の尻尾を素早く掴み、遠くへ放り投げた!
牙を向いて走ってきた個体には鼻っ面に思いっきりパンチをして怯ませる。10匹ぐらい退けられれば、あとは勝手に尻尾を巻いて逃げて行ってくれるはずだ。しかしすばしっこく、コヨーテウルフの尻尾を中々掴むことが出来ない。ベスティアが苦戦していると、しびれを切らしたパトラはとうとう扉を開けてしまった。
「ちょっとベスティア!何処か寄るなら最初からそう言ってくださいですわ!」
まさかパトラが自分で扉を開けるなどと思ってもいなかった、一般的な淑女のベスティアは目を見開いた。
「危ない!」
初めて魔獣に遭遇したパトラは対応が遅れた。自分をガードしようと咄嗟に出た腕にシュッと爪で引っ掻かれた傷が走った。
「いった!何こいつ!あたしを傷つけるなんて、マジギレなんだけど!ちょー許せない!おっとっと、ヤバイヤバイ、地が出ちゃってたわ。ベスティア戦ってたならそうと言いなさいですわ!怪我してしまいましたですわ!」
顔を青ざめさせたベスティアは震える声で、
「申し訳ありません……」と力なく言った。パトラの心配よりも、パトラも怪我を負わせたと他の使用人に知られたら何を言われるかと想像し、ベスティアは絶望した顔を見せた。
その表情を見て、ベスティアが魔獣に怯えているのだと捉えたパトラは、ベスティアを安心させるように元気な声で言った。
「大丈夫よ、ベスティア!あたしが、じゃなくて、わたくしが全部倒してあげますですわ!」
パトラは魔力袋からナックルを取り出し、素早く指にはめるとパトラを攻撃した魔獣に向けて拳を突き出した!
『火力粉砕』
コヨーテウルフは炎に包まれるとともに、拳が当たった腹が爆発した!パトラに肉片がびちゃっと飛び散り、周囲にも肉片が散らばる。炎はそのまま風に乗って周囲にいた他のコヨーテウルフを巻き込み全ての個体を焼き払った。周囲に散らばっていた肉片にも火が付き、油がパチッと跳ねて火花が所々で上がる。
パトラはコヨーテウルフの群れを倒した!
しかし遠くからまたコヨーテウルフの遠吠えが聞こえる!
「コヨーテウルフの群れがまだいるですって?ありえませんわ……ここは今倒したこの群れの縄張りのはず……」
グルルルルル……
コヨーテウルフは小さな体をしているので動きがすばしっこい。気がつけばまたベスティアとパトラは囲まれていた。何がどうなっているのかが分からない。ベスティアは現れた新たな群れに諦めの気持ちを抱いた。たとえパトラがまたこの群れを倒したとしても、ベスティアが主人を守れなかったことには変わりない。どうせもう、厄介払いされる。
パトラがベスティアを後ろにして足を踏み出した。コヨーテウルフに攻撃を仕掛ける気だ。だがそれを見たベスティアは思った。
最後くらい、せめて専属侍女としての役割を果たしたい。
ベスティアはパトラの動きを手で制し、自分がパトラより前に出てコヨーテウルフの目の前に命を捨てる覚悟で立った。
「コヨーテウルフとかもう、どうでもいいです……」
ベスティアが諦めた瞬間、コヨーテウルフの様子に変化が起こった。




