疑惑のベスティア
しかし中々手綱に手が届かない。すると、布が捲れたままになっているので、レイズがイルのしようとしていることに気がついた。馬車内にある手すりを持って転けそうになる体を固定し、イルに向かって指示を出した。
「何をしている!風魔法で浮かび上がらせろ!」
人はパニックに陥ると、往々にして正常な判断が下せなくなるものだ。イルも例外ではない。イルは自分が魔法を使える体になったことをすっかり忘れていた。
『疾風!』
レイズの言葉で思い出したイルは、すぐさま詠唱し、ふわりと浮かんだ手綱を自分に手繰り寄せる!
馬の走りを止めようと、暴れ狂う馬の手綱を自分に向かって力一杯引っ張った。
流石に魔獣である馬の力は強い。早くリタを探しに行きたいのに、手綱を引いたところで、馬は首を左右に動かし、手綱を緩めようとする。力任せにこれ以上手綱を引っ張っても、落ち着く気のない魔獣は、首がつっかえて転けるのが関の山だ。
頭を左右に馬が揺らしたまま走るせいで、馬車も左右に揺れ、今にも横転しそうだ。
「イル、それじゃあ駄目だ!手綱を握るだけにしてくれ!オレが交代する!」
ジルクはふらつく足元に気をつけながら、御者席に向う。イルと場所を交代する余裕はない。また、男性が2人座れるほどのスペースもない。
それでもジルクは無理やり体をねじ込み、イルの隣に座ると、横から手綱を引き受けた。
手慣れた手つきで馬の手綱を引く。
最初は抵抗していたものの、引いたり緩めたりを上手くジルクが調整する。徐々に落ち着きを取り戻した馬はようやく暴れるのをやめ、通常の速度にまで落ち着いた。
「どう、どう」
また真っ直ぐに走り出した所でグーっと手綱を引き、馬車を止めることに成功した。
「ベスティア嬢」
落ち着いて馬車内でレイズとベスティアはまずは、と息を落ち着ける。
そしてレイズは落ち着くや否や、ベスティアをジロリと睨んだ。
「液体が溢れたあたりからずっと怯えているようだが、これはどう言う事だ?」
「はあ?!怯えてなんていませんわ!瓶が割れてしまったことがショックでしたの!それだけですわ!」
「では、先ほど溢した液体はなんだ?」
「あ、あれは……なんでもないですの。ただの気つけ薬ですわ」
「ならこの状況はどういうことだ?」
「わたくしを疑っていますの?!わたくしは何もしていませんわ!失礼な!」
「何もしていないだと?!瓶が割れた後に、リタが姿を消した!関連がないはずがないだろう!リタを何処へやった!」
レイズはベスティアの胸ぐらを掴むと、馬車の外に投げ出した!
背中から思いっきり地面にぶつかるかと思った瞬間!
ベスティアは先ほどのか弱い女性は嘘だったかのように俊敏な動きでバク転を繰り出した。
「流石、腐っても獣人族か。お前は何者だ」
「誤解ですわ。獣人族ならこれぐらいは誰でもできますことよ。わたくしはただの侍女ですわ」
「ふんっ。どうだか」
レイズはベストの内側にあるポケットに手を差し込んだ。ベストの内側ポケットから魔力袋を引っ張り出すと、乱暴に手を突っ込む。そして中から素早くまとめて3体の死者を取り出し、命令を告げる。
「死者の王が告ぐ。死者達よ、この者を捕らえよ!おい、イル!お前も捕縛するんだ!」
怒りに任せてベスティアを投げ飛ばすレイズの様子を、イルはポカンと呆気にとられて見ていた。
イルはレイズの怒鳴り声でハッとした。レイズが疑うのにも何か理由があるのだろう。イルはレイズの言う通り、捕縛する事にした。ベスティアがリタをどこかに連れ去ったのだろうか?ベスティアがもし何かを知っているなら捕らえなければ情報源が逃げてしまう。
イルは詠唱を短縮した。威力は落ちるが、強度は考慮しなくても良い。イルが魔法で生み出した糸で捕縛している間に、死者がベスティアを組み伏せてくれればいいのだ。
『我の忠誠を受け入れよ。不死者の願いをここに叶えたまえ!』
『糸紡ぎ!』『捕縛!』
「ちょっ!嫌ですわ!」
バッと後ろに下がり、イルの糸を回避する!しかし回避した先には既に死者が待ち構えている!
後にいる死者を蹴り飛ばし、自分が代わりにその場に立つ。土にいつの間に潜ったのか、ベスティアの足元からスボッと死者の手が突き出てきた。
危ない、足首を掴まれる!
ベスティアは足首を掴もうとしてくる死者の手を上から思いっきり踏んだ。死者は怯まない。だが足で力強く踏まれたことで腐敗した体がグチャっと音を立てた。骨が剥き出しになった手はその状態でもまだベスティアの足を掴もうとする。
動き続ける手を相手にしていてはキリがない。ベスティアは素早く身を動かして移動する。
これで死者から距離を取れたか、と目だけを動かし周囲を確認する。しかしレイズは次々と死者を魔力袋から取り出している。
「死者の王が告ぐ。死者達よ、あの者を捕らえよ!」
最初に蹴り飛ばしたはずの死者に今度は肩を掴まれ、ベスティアは肩に置かれた手を払い除ける!
払い退けた手を死者に掴まれ、相手の腕を捻り上げて背後に回り、死者を盾にする。
捕まらないよう、逃げ回っていたはずが、気がつけばベスティアは死者に周りを囲まれていた。
『糸紡ぎ!』『捕縛!』
ベスティアの動きが止まったので、狙いを定めてイルはもう一度詠唱した。
ベスティアは死者を前に押し出し、盾にするものの、イルの糸は意思を持って触手のように動きベスティアに向かっていく!
遂にベスティアをイルの糸が捕らえた!しめた、とばかりに数十体の死者は、ベスティアの上に乗りかかる。ベスティアの腕や足、髪までも掴み、身動きが取れないように絡みつく!
「いやあああああああ!」
ベスティアは腐敗した肉が体に付き悲鳴を上げる。
「吐け。リタをどこにやった!」
レイズの青い目が怒りでギラギラと光っている。
「やめて下さいな!あ、あれは魔獣避けですわ!本当ですわ!魔獣が遠ざかってくれるんですの!ウグッ……!」
イルの糸がベスティアの全身を締め上げる!
「本当か?それであれほど狼狽するものか!死者よ、圧迫しろ」
レイズの命令で死者はベスティアに絡みつかせていた腕や足に力を入れてベスティアの体を圧迫する。
レイズは死者の間を潜ってベスティアに近づいた。
「でも視認できる範囲にいると、駄目なのよ!それまでは本当に遠ざかってくれるわ!」
「視認できる範囲に魔獣が現れた場合、どうなる?」
「遠くにいる間は魔獣にとって嫌な匂いがするらしいの!でもとても強い薬らしくて、近付くと錯乱状態になって襲ってくるのよ!……グッ!も、もうやめて!」体を死者が圧迫する度に腐った肉がベチャリベチャリと体に張り付き気持ちが悪い。
「リタをどこへやったかの質問にまだ答えていない。答えろ!!!」
レイズは更に一体、浄化間近の死者を取り出す。普段なら自然に任せるところ、強制的に魔力を送り込んで青い霊魂へと浄化させた。既にいる霊魂とは別にもう一体霊魂を作り出した。今手元にある霊魂だけでは心許ない瞬間がやってくるかもしれないと思ったからだ。魔力を失っても大した量ではない。構わずレイズは詠唱する。
「王の命によって告ぐ。霊魂よ、火球」
それをベスティアの顔に近づける。
「綺麗な顔を火傷したくなかったら、今すぐ吐け!!」
「わ、わたくしではありませんわ!本当ですわ!!やめて、やめて!!」
「レイズ、やりすぎだ!やめろ!」
馬を落ち着かせ終わったジルクがレイズの様子に気が付き、急いで止めに入る!
「止めるな!どうせこれ以上は何も言う気がないんだろう!」
「お待ち下さい!今、リタ様が!」
イルがジルクとレイズの間に割って入る。
「どうした?」
リタ、と聞いて、火球をベスティアの顔に押し付けようとしていたレイズは手を止めた。
「あっちです!来た道を戻りましょう!リタ様があちらから助けを呼んでいます!」
「わかるのか?!」
レイズは火球を消失させる。
「指輪です!リタ様に差し上げた指輪がリタ様の危機を伝えてきているのです!さあ、早く!」
「馬車だと遅い!死者にここは任せて向かうぞ!」
イルとジルクが頷いたのを見てレイズはもう一体魔力袋から霊魂を取り出し、2体の霊魂を自分の周りにふわりと浮かばせた。そして胸元のポケットに魔力袋を戻す。
「ちょっと!わたくしをこのまま置いていきますの?!」
「大事なことを隠したお前が悪い。すぐ洗浄をかければ良かったものを、リタはまだ床を拭いたハンカチを持っているはずだ。そこで死者と反省していろ!死者よ、この者を俺が戻るまで監視していろ」
魔力袋に消費する魔力の負担を少しでも軽くしようと、レイズはまた数十体の死者を取り出した。約30体の死者でベスティアを囲む。イルの糸も消失させ、縄を新たに取り出し、物理的に拘束した。
「痛い!臭い!汚い!こんなものと一緒にわたくしを放っていく気ですの?!」
レイズはベスティアの文句に聞く耳を持つ気はない。その場にベスティアを死者と一緒に放置してリタの元に向かう。
「答えよ霊魂!死者の王の命を聞き届けたまえ!『暴風』!!!」
強い風が湧き上がり、レイズとイルとジルクの体を巻き込んで一気に叫リタの元へと連れ去った。
「霊魂に王が告ぐ!『状態維持』!!イル、どっちだ!」
「先導します!」
イルはリタの魔力を辿って来た道を戻り始めた!
「ちょっと待ちなさいよー!」
ベスティアはイル達の背中に向かって最後の抵抗を見せるかのように叫んだが、立ち止まる者は誰もいなかった。




