イルの想い
確かにブランドネームタグが取り付けられている。しかし、魔力は感じない。
「ごめんなさい、教えて欲しい事があるの。奥さんが亡くなったのはいつ?」
「約3歴前だ。埋葬時は店にあった一番上等な服を着せて見送った。試作品はそれ以来ずっとこの中にしまいっぱなしだ」
約3歴前という言葉がリタは引っかかった。埋葬済でかつ、魔力を感じないこの服を見ている限り、既に死者となっているはずの奥さんは放って置いても大丈夫だ。イルを見ると、おそらく関連があるだろうと言いたげな顔で頷いた。
魔力は感じないものの、一応取り外しておくことにした。
服から切り離したタグをイルに手渡すと、イルは自分の魔力袋にしまった。
「やっぱりその布切れに問題があったのか?俺が新しい事なんかを取り入れようとしたばかりに、こんな……」
「ロバートさん、自分を責めないで。きっとロバートさんじゃなくてもこの事件はどこかで起こっていたはず。それにブランドネームタグからは魔力を感じなかった」
「なんだと?どういう事だ?それが原因じゃなかったのか?」
「分からない。今は説明出来ないの。ごめんなさい。イル、奥さんの物はロバートさんに任せて、私達は他の部屋を整理しよう。今日中に終わらせるよ!箱をまた調達してきてくれる?良いですか?ロバートさん」
「お、おう。また何か分かったら教えてくれ。それじゃあ、マリー、自分の部屋で持って行きたい物を一箇所に纏めなさい」
「ハーイ!」
元気良く答えたマリーは自分の部屋に向かって走って行った。
イルが戻って来てから途中昼食を取って休憩しながらも、荷物の整理は続いた。
途中、ジルクからリタ宛に書物伝令が届いた。明日になったら、ロバートとマリーの家の前に馬車を寄越すから、それに荷物を積み込むようにとのことだった。それにロバートとマリーも乗り込むらしい。用意ができたらその馬車は一旦派出所に寄る。そしたら騎士団に引き渡すはずだった衣類の補填分を、傭兵から受け取るよう伝えてくれ、ともあった。
ロバートにそれを伝えると、この街ともお別れか、と名残惜しそうに呟いた。
日が暮れ、夕食時になったところで作業が終わった。明日には旅立てるよう、手荷物が纏め終わった所でお開きになった。
「明日には私達も旅立たないといけないけど……ロバートさん、マリーちゃん、楽しかったよ!アメリゴ都市に行っても、元気でね!」
「お姉ちゃん!!マリーも楽しかった!また遊ぼうね!」
マリーがリタに笑顔で抱きついた。
「リタ様。見ず知らずの俺たちにこんなに良くしてくれて……本当にありがとう。次に会う時はもうちょっとマシな姿に俺もなっているはずだ。楽しみにしていてくれ!そしていつか絶対この御恩は返すからな!ハッハッハ!!ゲホゲホゲフ!」
咳込んではいるが、ロバートはすっかり元気が戻って来たようだ。この様子なら安心だ。
それじゃあ、と2人に別れを告げ、あの場では聞けなかったことをイルはリタに聞くことにした。
「リタ様、私の魔力袋でお預かりしているブランドネームタグとやらをいかがいたしましょうか?」
「今から派出所に行ってすぐ渡しに行こう。夕食時をちょっと過ぎてるけど、まだいると思う」
「承知いたしました。ところで、なぜ奥様のワンピースにあったこちらのタグは魔力を感じないのでしょうか?」
「それはやっぱり、補充する対象がいないからじゃないかしら?」
「やはりそうでしたか……しかし、魔力を感じないのでしたら、あまりこちらは証拠にならないかもしれませんね」
「そうでもないかもよ?糸の種類とか、針穴とかでお婆さんなら何か分かるかも!無駄にはならないと思う!十分、重要な証拠だよ!早く騎士団に渡しちゃおう!」
イルはまだロバートに縫い付けられていたタグを消炭にしてしまったことを悔やんでいる。そう思ったリタは元気付けようと、イルの背中を上下に摩る。身長の差がそれほどないので、背中に手を置いたらお互いの顔の距離が近くなる。
イルの目を覗き込み、ニコッと微笑む。するといつもはひょうひょうとリタのあらゆる部分を褒めてくる癖に、背中を撫でただけでイルは顔を真っ赤に染め上げた。
「リ、リタ様!」
顔の距離に慌てたイルは、口元を腕で押さえ、表情を隠した。
ち、近い!唇がニコって!!艶ってしてる!目が優しい!僕に微笑んで!しかも背中を撫でられ……!
一生懸命冷静になろうと、背中に回っていたリタの腕をもう片方の腕で掴む。しかし掴んだリタの腕の柔らかさに、イルはより一層狼狽えた。
「大丈夫よ、イル。ロバートさんの分は燃やして正解だったわ。だから気にしないでいいの」
イルはリタの安全を守るという執事としての職務を全うしたのだ。気にすることはない、とリタは更に付け加えた。
フォローは完璧だ、とリタはイルを慰める状況に酔いしれている。
そんなリタのあんぽんたん具合に癒され、照れている自分の邪な考えの方が恥ずかしくなった。イルはリタの腕から手を離し、顔を両手で隠した。
「リタ様、純粋過ぎて僕には尊いよ……」
イルは小声で悶えていたので、リタには聞き取れなかったようだ。
「イル?本当に気にしなくていいのよ?」
「ついでに頭も撫でていただければ心が穏やかになりそうです……」
凹んでいると勘違いしているリタに、ついでと言いながらおねだりを要求した。
しかし、両手で隠していた顔から手を外し、俯いたイルを見て、リタは本当に凹んでいるのだと真剣に受け止めた。本当はテヘペロという表情を隠すために俯いただけなのをリタは気がついていない。
今まで魔力がない中で執事をこなしてきた前世のイル。記憶の中の自分は別人だという意識があるらしいものの、記憶としてある以上、完全に無視するのは難しいはずだ。もしかしたら些細なミスで前世では酷く当られたことがあるのかもしれない。だから今回もミスをしたと思い詰めているのかもしれない。
そう思うと、自分の事のように心がキュウっと痛くなった。思わずリタはイルの真正面に立ち、少し背伸びをして頭を両腕でギュッと抱きしめた。
案の定、イルの顔にはリタの胸が強く押し当てられた。息が苦しい。というよりもなにが起こったのか分からない。でも甘くいい香りがする。
そして状況を理解したイルは頭が沸騰しそうに熱くなった。
リタ様の胸が!僕の顔に!苦しいけど横を向いたら目の前にはきっと尖った……!ああ、絶対に動くまい。停止だ、活動停止。そう、それが正しい……でも意識はダメ!意識はしっかり!記憶に刻み込む!!!
ああ、でも良い香りだ。幸せの香りがする。温かい。リタ様の温もりを感じる。こんな心地の良い日々が今まで一度でもあっただろうか?
否、あの記憶はもはや僕の物ではない。僕は僕として生まれてからずっとリタ様がいて幸せだ。ああ、リタ様、一生お守り申し上げます。でもこの柔らかい谷間でお名前だけでも呼ばせて下さい。
「リタ様?」
「イル、イルが持っている記憶のイルはイルじゃない。分かってる。でもね、言わせて。イル、今まで大変だったね。誰だってミスはする。でも今回のミスはミスじゃない。そこは間違えないで。イルは当然のことをしてくれただけ。私はイルがいつも皆の事を考えて、最善を尽くしてくれてるのは分かってる。だから大丈夫だよ、イル。気にしないで。自分を責めないで。これからは私がイルを幸せにするから。絶対幸せにするから!」
慰めなど期待していなかったイルは、リタの言葉に衝撃を受けた。ただの従者にここまで心を砕いてくれる主人が存在することに。心優しい言葉を当然のように言う存在がいることに。
些細なミスで暴言を吐くのが主人だと思っていた。魔力がない僕はクズだと教え込まれた。何をさせても要領の悪いノロマだと罵られた。何か嫌な事があると僕が殴られた。それが普通だと思っていた。
魂を黒く染め上げていた記憶が浄化される感覚があった。そしてリタ様に出会った。もう僕の記憶にある男はとうに浄化されていると言うのに、リタ様はそれでも気にかけてくれている。
リタが主人で良かった、そうイルは心から思った。
「リタ様、苦しいです」
「ああ、ごめん!つい!」
ぎゅうっと強く抱きしめていた腕をするりと解いた。
「いえ、至福の時でした。このまま昇天させられるのかと……」
「ごめんってば!」
「アハハ!リタ様、僕はもう大丈夫です!早く派出所に向かいましょう!」
「そっちの方が素っぽくて、私は好きだよ?」
イルの一人称が本当は僕なのをリタは知っていたが、執事であろうとしてくれていて気をつけているのも知っていた。だが、リタにはそう畏まらなくて良いのに、とも思っていたことからの発言だった。
「ふふふっ、これからもよろしくお願いします、リタ様。偉大なる創造神のカイルスと大地を司る素晴らしきサートゥルと指輪に誓って、僕はリタ様を一生お守り申し上げます」
「あら、頼もしい!じゃあ、お願いしちゃおうかしら?よろしくね、イル」
「ええ、頼りにして下さい。僕もリタ様を頼りにしています」
リタはこの時気がついていなかったが、イルはリタにプロポーズの言葉を告げていた。リタがそれを理解していないのは分かっていたが、肯定してくれたのが嬉しかった。
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