現れた魔王の側近
「どうした!? 今の悲鳴はなんだ?」
ぞろぞろと教師たちが教室内に入り込んでくる。
その瞬間、俺はようやく我に返り教師たちへと視線を送った。
「イスラ。一体何があった?」
教師たちの一番前にいた大柄な男が俺にそう尋ねてくる。
俺はどう答えるべきか迷い、「えーと……」と声を発することしかできない。
すると、見かねたエリナが俺と教師陣の間に割って入ってきた。
「イスラさんの『職業』を見たところ『人形使い』だったのですが、イスラさんはその能力に戸惑ってスキルを暴発してしまったのです」
「スキルを暴発? 大丈夫だったのか?」
エリナの話しに顔をしかめた教師は心配そうに俺を見てきた。
「怪我はありません。……ただ、私のご主人がイスラさんへと強制的に変更されてしまいました」
一度も止まることなくつらつらと言葉を発していくエリナ。
とっさに考えたにしてはキッチリと筋の通った言い訳に俺は素直に感心した。
「強制的に変更……か。それは少し困ったな」
「すみません。俺も動揺してしまって」
「エリナは本来この学校の魔導人形だ。だが、あいにく私たちの中に君の能力を上書きできる人物はいない。しょうがないがエリナは君に任すしかない」
「任す……って言われても……」
俺は思わず不安げな表情でエリナを見てしまう。
エリナは相変わらず無表情でその感情は読めない。
「『人形使い』なら魔導人形一人くらい持っていて損はない。運がよかったと思ってこれからはエリナと一緒に鍛錬するんだな」
「はぁ……」
そうして、俺の学校生活は開始早々魔導人形エリナとともに歩むことへとなった。
--少しして俺とエリナはようやくその騒ぎから解放され、今日はもう学校は終わりということで下宿先の宿へと帰ることになった。
朝通った校舎の入り口、そこで俺は見知った顔を見つける。
「イスラさん!」
俺を見て途端にぱあっと顔を明るくさせたリリー。
リリーは小走りで俺のもとへ駆け寄ってくると、エリナには目もくれず口を開いた。
「大丈夫ですか? イスラさんの教室で何かあったみたいでしたけど?」
「いや、ちょっとね。でも大丈夫だよ。怪我とかはしてないから」
「そうですか。それならよかったです。--あれ?」
そこまで話してリリーはようやく俺の隣にいるエリナに気が付いた。
「えーと、こちらの方は?」
不思議そうに俺を見てくるエリナに対して俺は事情を説明しようとする。
しかし、それよりも早くエリナが話し始めた。
「私は魔導人形のエリナです。色々ありましてイスラさんのものへとなりました」
「え?」
冷たい目で俺を見てくるリリー。
エリナの話しは要点をまとめすぎていて逆に分かりづらい。
こういう風に誤解されるの当然だった。
「いやいや話を飛ばし過ぎだ!」
ーー俺は再度分かりやすく教室内で起こったことを説明する。
もちろん俺の『職業』が『魔王』だとは伝えない。
「『人形使い』ですか。聞いたことのない珍しい『職業』ですね」
「俺の事はもういいよ。リリーはどうだったんだ?」
正直このままリリーに嘘を吐き続けるのは心が痛む。
俺は早々に自分の話を切り上げてリリーに話を振る。
「私は、実は……」
何やら言いづらそうな表情を浮かべるリリー。
うれしくない結果だったのかと思ったが、リリーはやけにそわそわしていた。
「私の『職業』は『勇者』だったみたいです」
「……は? まじ? すごいな! 『勇者』って言ったら最高の『職業』だぞ!」
俺はその話を聞いて思わず目を見開いていた。
まさか『勇者』が目の前にいるとは思いもしなかったのだ。
もし自分だったら飛び跳ねて喜んでいる。
しかし、どういうわけかリリーの態度はやけに控えめだった。
「……あ」
少し考えて俺はリリーのその態度の理由が理解できた。
「俺に気を使ってるなら気にしなくていい。もし『勇者』になれたらラッキーぐらいにしか思ってなかったからな」
それだけ言うとリリーは少しだけ表情を明るくさせた。
「そう言ってもらえると私も気が楽です。やっぱりイスラさんは優しい人ですね」
気を使ったことはリリーも分かっているみたいだった。
それでも何も言わないよりもずっとましだろう。
「まあ確かにこんな『職業』になるなんて思いもしなかったからな。本音を言うとかなり戸惑ってる」
『魔王』なんて俺の目指したものとは正反対に位置するものだ。
今でも何かの間違いなんじゃないかと思っている。
しかし自分の事だ。自分が一番理解していた。
俺は正真正銘『魔王』だ。
「大丈夫ですよ。どんな力だって使い方次第。イスラさんが努力を積み重ねれば自然と道は見えてくるはずです」
そう優しく声をかけてくるリリー。
「私はイスラさんと一緒に『魔王』と戦いたいです」
「……」
リリーのその優しさに俺はどうしようもなくいたたまれなくなってくる。
「そうだな。俺もそうなってくれるといいなって思ってるよ」
どんな力でも使い方次第。
そんなリリーの言葉が何度も俺の頭で反芻される。
--その後、リリーは自分の家へと帰っていった。
残された俺とエリナは無言でその場に立ち尽くす。
「……イスラさん」
最初に口を開いたのはエリナだった。
「私はイスラさんについていきます。あなたの道がどうであれ、それだけは変わりません」
「……」
俺は何も返事を返すことができない。
『魔王』がどうすれば『勇者』を目指せるというのだろうか。
理想と現実の差に俺はただただ戸惑うことしかできない。
--入学式の夜。
俺はなかなか寝付くことができず、宿の外へと抜け出した。
魔導人形が睡眠をとる必要があるのかは知らないが、エリナは臨時で用意してもらったベッドで目を閉じて横になっていた。
「さすがに夜は冷えるな」
宿の裏手にある小さな池。
夜空に浮かぶ三日月が不気味に湖面に映し出されている。
深夜ということもあり、辺りからは何も音が聞こえてこない。
無音が俺の両耳を包み込んでいる。
「よし。こんな時は素振りでもするか」
俺は宿から持ってきた自分の剣を握りしめる。
剣の修行はもう長い間してきた。
それもすべては『勇者』になるためだった。
俺はただ無心で剣を振り続ける。
「はっ! はっ! はっ!」
やがて体が温まり始め、徐々に汗をかき始める。
周囲に異変を感じたのはその時だった。
「……!」
殺気といえばいいのだろうか?
まとわりつくような嫌な感覚を身に覚える。
「イスラさん。こんな時間まで修行ですか?」
突然の背後からの声に俺はすぐさま振り返る。
すると、そこにはエリナの姿があった。
「エリナ……か」
俺は謎の気配の正体に安堵する。
しかし、それはエリナの発言で即座に覆された。
「誰かいるようです。私の魔力感知に反応があります。普通ではない魔力。……これは、魔族のものみたいですね」
「魔族?」
「ーーよくわかりましたね。なかなか優れた人形を捕まえたようで」
背後からの声。
俺はとっさに剣を振るっていた。
しかし、それはただ空を切るだけ。
声の主はいつのまにか俺から距離を取っていたのだ。
「お前。何者だ?」
赤い髪に浅黒い肌。
見慣れない黒い装束。
最も異質なのはその頭に生えた二本の大きな角だった。
エリナの言った通りこの女は人間ではない。
俺は再度剣を握る手に力を込めた。
「私は魔王様の側近の一人。名をルビと申します。この度は魔王様の復活により迎えに来た次第でございます」
優雅にお辞儀をするルビと名乗る魔族。
その妖艶な雰囲気に俺は一瞬のまれそうになる。
「あいにく俺は『魔王』になんかなるつもりはない。わざわざ来てもらったのに悪いがここは帰ってもらおうか」
俺の言葉にルビは眉を寄せて怪訝そうな表情を浮かべた。
「……なるほど。まだ完全には覚醒はしていないようですね。あまり気は進みませんがここは力づくでいくとしましょうか」
言い終わった瞬間、ルビは突然俺の視界から姿を消した。
次の瞬間、右からの気配に俺は反射的に身をかわした。
紙一重でルビの拳が俺を通り過ぎる。
そして、お互いに再度距離を取ってにらみ合った。
「さすが魔王様。覚醒前とはいえこれをかわしますか」
「……あぶねぇ」
当たっていたらそれで終わりだった。
それほどに今の攻撃は危険だった。
「なめるな。俺だって『勇者』を目指している男だ。そう簡単にやられはしない」
俺は剣を振り上げてルビに斬りかかる。
さっきの攻撃もギリギリとはいえ反応できた。
勝てない敵じゃないはずだ。
しかし、その慢心が命取りだった。
「っ!!」
右肘、左肩、腹部、顎。四か所にルビの拳が突き刺さる。
反応できなかった。同時に攻撃されたとしか感じなかった。
それほどルビの速度は速かったのだ。
「かはっ! うぅっ!」
右手で首を掴まれ宙に持ち上げられる。
圧倒的な腕力に俺は何もできない。
「『使役』を覚えた程度なら私にも十分勝てるようですね。どうか魔王様お許しください。これも魔王様のためなのです」
ルビの左手に突然白い炎が燃え上がる。
「さっきは速すぎて見えなかったかもしれませんが、この炎で加速するんです。でも本来の使い方はそうじゃない。直接相手を燃やすんです。この炎は相手の魂を直接焼き尽くします。人間のあなたを燃やせば魔王様が出てきてくれるかしら?」
不気味に微笑むルビ。
徐々に近づくその左手の炎に俺は顔を歪ませる。
「クソ! やめろ!」
必死に身をよじらせて逃げようとするが、ルビの力が強すぎて逃げ出せない。
「魔王様。速く私の前に……!?」
突然吹き飛ばされるルビの体。
その衝撃で俺自身も高く吹き飛ばされてしまう。
しかし、俺はすぐに誰かに抱きかかえられて地面に着地した。
「イスラさん。大丈夫ですか?」
こんな状況だというのにエリナは無表情で俺を見ていた。
「エリナ。お前、どうして?」
エリナは俺を優しく地面に下ろした後、淡々と答えた。
「主人を助けた。それだけです」
「……俺はお前の」
「主人です。経緯はどうであれイスラさんは私の主人なんです。……嫌ならやめますが」
一瞬ためらったエリナの様子を見て俺は硬直した。
人間みたいだ……と思ったのだ。
「いやじゃない。正直助かったよ」
「そうですか。それならよかったです。ーーそれで、目の前のあの女はどうしてやりましょうか」
いつのまにか立ち上がってこっちを見ていたルビ。
その表情は一見穏やかだが、確かに怒りが漏れ出ている。
ピクピクと口元を震えさせているその様子に俺は身震いしてしまう。
「エリナは助けを呼んできてく……」
「逃がしませんよ!」
俺が言い終わるよりも前にルビはエリナに突撃した。
それは決して俺の追える速度ではなかった。
そう理解できたのは、ルビと掴みあっているエリナを見たからだ。
「!? この人形! 私の速度を見切ったの?」
「見たわけではありません。魔力を感知しただけです」
そう言い終わるとエリナは即座にルビの頬を力強く殴りつけた。
「っ!!」
再度吹き飛ばされるルビの体。
さっきよりも格段に力強い一撃。
「……どうやら私とあの女は相性がいいみたいですね」
「どういうことだ?」
完全に蚊帳の外の俺だったが、エリナのその発言に問いかけた。
「私には魂がありません。なのであの炎は私には効かないようです」
特に誇るでもなくエリナは相変わらず淡々と話す。
「--はぁ。どうやら逃げられたようです。魔力が感知できなくなりました。おそらく魔法でワープでもしたのでしょう」
「そうか。ひとまずは安心だな」
俺はこわばった体からどっと力を抜く。
今回の件で俺が『魔王』だというのは確信に変わってしまった。
魔王の側近ルビ。
これからどう俺に関わってくるのか。
色々と気を付けなければならない。
「--イスラさん」
「ん?」
突然名前を呼ばれ俺はエリナに向きなおる。
すると、エリナはやや細くなった目で俺を見ていた。
「少々疲れました。魔力をためるためにそろそろ寝てしまっても大丈夫ですか?」
「あ、ああ。いいよ。今日はありがとうな」
「はい。イスラさんもどうか早くおやすみになってください」
それだけ言うとエリナはすぐに宿へと戻っていった。
残された俺はポツリと一言だけつぶやく。
「やっぱりエリナも寝るんだ……」