婚約者…… って、誰?
09 婚約者…… って、誰?
「このホテル……」
マセラティに誘導され、着いたのは横浜港大桟橋に近い老舗の高級ホテルだった。
地下駐車場では一番奥まった場所に車を駐めた。
「In questa direzione,per favore.(こちらへどうぞ)」
イタリア語…… イタリア人か。
マセラティから降りてきた若い白人男性が僕たちを促した。
僕たちは車を降りエレベーターへと向かった。
駐車場には地下特有の湿った空気が漂っていた。
しかし、特に身の危険を感じる物はなかった。
エレベーターを2階で降りる。
そのままイタリアンレストランへ通された。
僕は奥の個室へ、彩姉とフィオナ、いやナターリャは別の個室へ案内された。
個室には3人の男が待っていた。
いずれも背の高い白人で、ひとりはテーブルの向こうに座り、ふたりがその後ろに、さながらボディガードのように立っていた。
「ようこそ」
やはりイタリア人だった。
男は立ち上がり、僕に握手を求めてきた。
高級そうなスーツ、糊のきいたシャツ、趣味の良いネクタイ……
頭のてっぺんからつま先まで、メンズ・ファッション誌から抜け出てきたような全く隙のない伊達男だった。
ダークブラウンの髪とブルーグレーの瞳、彫りの深い完璧な美形…… 面影は母を思わせた。
「やはりソフィアの息子。よく似ている」
男は僕の目をしばらく見つめた後、笑顔で言った。
「あの……」
意外と筋肉質な掌。上品なコロン。
「え?」
男は僕の手を握ったまま跪き、僕の手の甲にキスをした。
「ちょっ……」
予想外の事態に事態に少々パニックに陥った。
「失礼。初めまして。私はミケランジェロ。あなたとは、ソフィア…… つまりあなたの母上の従兄に当たる間柄になります」
従兄だったのか。
いきなりどうして?
しかし、次に僕の耳に聞こえてきた言葉は、想像のさらに斜め上を行くものだった。
「本日はあなたをラマツォッティ・ファミリーの次期当主としてお迎えに伺いました」
やはり、ラマツォッティ・ファミリーの人間か……
って、え?
次期当主?
「あの……」
「突然で申し訳ありません。しかし、本家の長兄であるリカルド・ラマツォッティが急死した今、現在の当主に一番近い男の血縁者はレオ様、あなたなのです」
伊達男は微笑みながら、僕をテーブルの上座に誘導した。
「あの、俺は…… もう母とは縁を切っていますし…… ラマツォッティ家とも……」
「そのことは我々も理解しています。しかし、現状のラマツォッティ・ファミリーの危機には、レオ様の力が必要なのです」
慇懃だが有無を言わせないミケランジェロの言葉。
目の前のグラスにウェイターが液体を注いだ。
「危機、って…… うぷっ!」
うっかりその場の雰囲気でグラスを口にしたところ、吐き出しそうに……
酒…… シャンパンかよ!
「クリュッグはお口に合いませんでしたか?」
意外そうな顔のミケランジェロ。
合うも合わないも、未成年にアルコール勧めるなよ!
「お酒は、ちょっと…… すみません、ミネラルウォーターにしてください」
「ガルヴァニーナでよろしいでしょうか?」
ウェイターはシャンパングラスを下げながら訊いた。
銘柄なんてどうでもいい。
「ガス入ってなければ何でもいいです」
「ではガルヴァニーナブルーをお持ちします」
「まず、レオ様にラマツォッティ・ファミリーの現状をお話したいと思います」
飲み物が運ばれるのを待って、ミケランジェロが話を再開した。
「ファミリーの現当主であるガストーネは、長男のリカルドに跡目を継がせる予定でした。しかし、リカルドは先日の抗争によって死亡し、現在、ガストーネの甥であるマウリツィオが仮の当主としてファミリーの実権を握っています」
ミケランジェロは険しい顔をこちらに向けた。
「仮でも当主がいるならそれでいいんじゃないか……」
「我々シチリア人は、90年代からのイタリア当局による徹底した摘発によって弱体化しました。ラマツォッティ・ファミリーも例外ではなく、生き残りのため、麻薬などの非合法手段を放棄し、不動産や金融など、合法的な事業に力を注いできました。ところが、マウリツィオは権力を握った途端に、再び旧態然とした非合法ビジネス、麻薬や売春、賭博などに手を伸ばしはじめたのです。しかも、ロシアや東ヨーロッパの組織と提携して人身売買にまで手を染めるようになったのです」
「人身売買……」
ミケランジェロはグラスの液体で喉を潤すと話を続けた。
「そのため、時代に逆行するようなマウリツィオのやり方に反感を持つ者たちが現れ、何人かの幹部を中心にマウリツィオに対抗するグループが生まれました……」
ミケランジェロは額に縦皺をよせた。
「しかし、これら反マウリツィオ勢力は各々の利害関係、そしてお互いに対するメンツの問題など、様々な要因によって統一的な行動が取れないでいます。そこで……」
ミケランジェロは僕の目をまっすぐ見た。
「……」
「現首領に一番近い血縁であるあなたを次期当主として担ぎ上げ、マウリツィオに対抗しようって話。そうでしょ、ミケランジェロ」
不意にドアが開き、和装の少女が入ってきた。
振り袖?
白人、燃えるような赤毛、深いウルトラマリンの瞳。
黒地に深紅の牡丹と昇り龍が描かれた振り袖……
振り袖だって?
「Piacere di conoscerti.(初めまして)あなたがレオ?」
イタリア語…… この子もシチリアの……
「あの……」
「想像してたよりいい男ね。愛しのケン様には劣るけど……」
少女は僕に近づくと、ぐっと顔を寄せて言った。
ウルトラマリンの瞳の向こうには静かな情熱を秘めている。
でも、ケン様って誰だよ。
「ジャンナ様」
ミケランジェロは少々慌てた様子で椅子から立ち上がった。
「あの、君は……」
「ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私はジャンナ、ジャンナ・バルボーニ。あなたの婚約者よ」
え?
つまり、ミケランジェロは、現当主の血を最も濃く受け継いでいる男という理由で僕を次期当主に祭り上げ、僕を中心に反マウリツィオ勢力をひとつに纏めようという計画を進めていたのだ。
そして、僕をシチリアのもう一方の有力者であるブルーノ・バルボーニの末娘、ジャンナと結婚させることでバルボーニ・ファミリーの後ろ盾を得、シチリアでの地位を確実なものとしようとしていたのだった。
「悪いけど、僕はマフィアの首領になるつもりはありません」
マフィアのお家騒動の真っ直中に、片方のトップとして君臨するなど、命がいくつあっても足りないだろう。
「お気持ちは解ります。しかし、レオ様の命は我々が責任を持ってお守りします。安全のため当面は日本で生活していただきますので……」
「昨夜、僕は僕の家でイタリア人に襲われた」
「!」
ミケランジェロははっとして息を呑んだ。
僕は昨夜の顛末を、かいつまんで話した。
「……おそらく、その賊はマウリツィオの手のものに間違いありません…… しかし、ベルクート財団があなたと共に行動していたとは、まさに神が起こしたもうた奇跡……」
ミケランジェロは深刻な顔で言った。
「それにしても、ソフィアがあなたに託した品が気になります。今ここにお持ちですか?」
「い、いや…… 安全な場所に保管してあります」
本当はデイパックの中に入っている。
まだこの男は信用できない。
「ああ、おいしかった…… あ、レオ君。ここのイタリア料理おいしいね。もう食べた?」
前触れなく彩姉とナターリャが入ってきた。別室で食事を摂っていたようだ。
ナターリャはミケランジェロを見て緊張した面持ちになった。
堅気ではない雰囲気を察したのか。
「あ、あなた誰? ふーあーゆー?」
彩姉はジャンナを見て食ってかかった。
「わしは、レオの許嫁たい。あんたつそ誰?」
日本語?
日本語できるのか、この子。しかし、どこの言葉だ? 九州弁?
「許嫁? な…… 何言ってるの…… どういうことなの……」
彩姉は絶句し、ジャンナと僕との間で視線が彷徨っていた。
「あ、いや、違うよ。ジャンナとは今日会ったばかりだから」
慌てて彩姉に言った。
「あんたはん彼の恋人? いや元恋人やね。今日からわしが彼の恋人やけん」
ジャンナは挑発するように僕の首に腕を回した。
「何勝手なこと言ってるの…… 婚約って…… 残念でした。レオ君はまだ16歳だから法律上結婚できないでしょ」
彩姉は僕からジャンナを引き剥がしながら言った。
「あはは、イタリアじゃあ男は16、おなごは14から結婚できるたい。大聖堂予約せんとね」
ジャンナは彩姉の腕を撥ね除けた。
「なにすんの!」
顔を真っ赤にした彩姉が今にもジャンナに掴みかかろうとしたそのとき、部屋のドアが開いた。
男が4人、女がひとり。
銃を持っていた。