夜の訪問者
05 夜の訪問者
「なんか、さっきから外が騒がしくない?」
リビングに移動し、2杯目のエスプレッソを飲んでいるとき、彩姉が言った。
窓を開けると、遠くの方でパトカーのサイレンが鳴っていた。
『こちらは根岸警察署です。本日午後7時頃、旭台のマンションで発砲事件が起こりました。犯人は武器を持ったまま付近を逃走中と思われます。住民の皆様は窓や玄関に鍵をかけ、なるべく外出を控えるようお願いします』
警察の広報車が前の通りを通過して行った。
「発砲事件?」
「何それ、怖い…… 旭台のマンション、て、族マンションかな」
彩姉が顔を上げた。
「族マンション?」
「旭台の、前の坂を登って森林公園の近く、割と目立つところにある赤いレンガのマンションなんだけど、所有者が元暴走族で、最近流行の半グレとかいうの? 暴走族とか、なんか怖そうな人たちが出入りしてるって、近所じゃ有名らしいの。地元の暴力団ともトラブルがあるって……」
「最近、この辺りで族関係の事件が多いのはそのせいだったのか?」
そういえば、昼間の女子高生に絡んでいた奴らも暴走族風だったな。
「銃を持ったまま逃走中って、…… レオ君、今日はこっちに泊めてね」
「おいおい彩姉の家は隣だろ。それに両親も貞夫さんもいるんだし……」
「うん、パパとママは兄貴がいるから大丈夫。だから、私はレオ君に守ってもらうの」
何が『だから』なんだ?
「接続詞がおかしい」
「スマホが…… 、メールかな」
彩姉の指さすテーブルの端で、スマホが震えていた。
「誰だ、こんな時間に…… 親父?」
フランクフルトにいるはずの父親からのメールだった。
『今、斎賀という男がそちらに向かっている。何も訊かずに手助けしてほしい。尚、この件に関しては警察等には一切知らせるな。無論、他言無用だ』
何だって?
玄関チャイムの音がした。
「え? あ……」
外に立っていたのは顔色の悪い長身の男と、金髪のゴスロリ少女だった。
ベルクート財団……
頭の中で数日前のハイデルベルグでの出来事がフラッシュバックした。
「こちら愛羽猛警視正のお宅ですね…… 斎賀森と申します…… すみません…… こちらで少し、休ませてください……」
苦しそうな表情で男が言った。
金髪の少女は、深く澄んだアイスグリーンの瞳で僕を見つめていた。
「血が…… 大変、救急車呼ばないと!」
彩姉が叫んだ。
斎賀という男の脇腹に血が滲んでいた。
「大丈夫です、救急車は呼ばないでください。すぐに仲間が来ます」
「でも……」
「彩姉、奥の部屋に救急箱があるから取ってきて」
僕は斎賀に肩を貸し、リビングに向かった。
少女は心配そうに斎賀を見つめていた。
「まさかあなたが愛羽警視正の御子息だったとは……」
彩姉が消毒薬と包帯で傷口の手当てをしているとき、斎賀が言った。
傷の見た目は小さかった。
しかし、鋭利なナイフで刺されたらしく、傷そのものは深そうだった。
「……」
「何だ、レオ君この人たちと知り合いだったんだ」
「い、いや……」
ハイデルベルグで見たことを彩姉に話すわけにはいかないだろう。
「愛羽警視正は私の元上司なんです」
何だって?
「警察庁ですか?」
「5年前…… 私が外事を辞めるまで……」
痩せて老人のような体。病人のような顔色に銀髪。
とても元警官には見えなかった。
「あの、お腹空いてません? それとも何か飲みますか?」
一通りの治療が終わると彩姉が立ち上がって言った。
「いや、お構いなく。すぐに仲間が来ますから…… ナターリャ、君はどうだ? お腹空いてないか?」
「Никакая проблема(問題ありません)」
今まで心配そうに斎賀を見ていた金髪の少女が答えた。
「あなた、ナターリャって言うんだ、かわいい名前。それにこの服も似合ってる」
彩姉はナターリャの視点に会わせるようにしゃがんで言った。
「……」
少し困った表情で彩姉と斎賀を交互に見るナターリャ。
こうした仕草は全く子供そのものだ。
「斎賀さん、彼女、日本語は?」
「日本語はほとんど話せない、ウクライナ語、ロシア語、英語だけだ」
ナターリャの戸惑いを他所に彩姉は一方的に話しかける。
「あ、よく見ると結構汚れてるじゃない。レオ君、お風呂借りるね。ナターリャちゃん、れっつばするーむ、とぅぎゃざー、みー。女の子はきれいにしてなくちゃ」
そう言うと彩姉は強引にナターリャの手を曳いて風呂場へ向かって行った。
「彩姉ちょっと……」
着替え、どうするんだ?
「斎賀さん、すいません、強引で……」
「珍しいな、ナターリャがあんな表情をするなんて……」
斎賀は彩姉たちの後ろ姿を見ながら呟いた。
「あんな表情って……」
「あんなに他人に近づかれても警戒しないなんて……」
彩姉は強引だからなあ……
ただ、不思議と嫌な感じはしない。
「ところで、斎賀さん、ベルクート財団というのは本当は何をしているんですか?」
少女に銃を持たせて人殺しさせる慈善団体なんてあり得ないだろう。
「そうだな…… 、君は見てるんだったな……」
斎賀は深く息を吸い込んだ後、吐き出すように言った。
「復讐、だよ……」
「復讐?」
「ベルクート財団は犯罪被害に遭った子供たちの保護と支援を目的とする活動をしている。表向きは……」
斎賀はソファから身を起こし、まっすぐ僕の目を見つめた。
「表向き、って……」
「我々の本当の活動は、犯罪で親や家族を失った子供のために、犯人への復讐を手助けすることだ」
斎賀はテーブルに置かれたミネラルウォーター入りのグラスを掴み、一口、口に含んだ。
「……」
「そもそもヴォロージャ・ベルクート氏がベルクート財団を創設した理由そのものが氏のマフィアへの復讐だった」
「……」
「ベルクート氏…… 、本名は…… 非公開なんで察して欲しいんだが…… 氏は旧ソ連時代、ソ連国家保安委員会の第一総局でそれなりの地位に就いていた」
「KGB……」
「ソ連崩壊によりKGBは解体された。ベルクート氏はKGBを去り、事業家として会社を興した。KGB時代に培ったノウハウやコネを使って。ま、当時ではよくある話だ。彼の会社は大成功を収め、氏は億万長者になった」
斎賀は続けた。
「ところが、氏の成功を妬んだライバル会社がマフィアを使ってベルクート氏の屋敷を襲わせた…… 妻と、12歳の息子、15歳と10歳のふたりの娘…… が殺され…… ここで『殺された』というのは彼らに起こった厄災の最も穏便な表現だと思ってほしい……」
「穏便な表現、て……」
「ベルクート氏も奇跡的に命は取り留めたものの、重傷を負い、あのように半身不随となってしまった……」
「……」
「復讐を誓ったベルクート氏は、自らの資産をすべてつぎ込みベルクート財団を創設した。そして、KGB時代の情報網と人脈を駆使し、昔の部下や以前、工作員として使った傭兵を雇い、家族を殺したマフィアとライバル企業を探し出し、殲滅した…… 言葉通りの皆殺しだったそうだ…… 以後、財団は、犯罪被害に遭った子供たちの救済という表の顔を見せながら、同時に犯罪者へ復讐という裏も……」
「犯罪被害者の救済はともかく、復讐というのは、それは非合法活動ですよね」
「もちろん、そうだ。しかし、各国は財団の活動を、黙認している」
「黙認?」
「各国の司法は、財団からマフィアや国際的な犯罪組織の膨大な情報を提供してもらう代わりに、財団の裏の活動を黙認しているのが現状だ」
父からのメールは、そういうことだったのか……
「しかし、いくら復讐と言っても、年端のいかない子供に銃を持たせて人殺しをさせるというのはやり過ぎではないのですか」
僕はまだ納得できていない。
「大抵は我々のメンバーが被害者の代わり犯罪者を処分するのだが、希に被害者本人自ら手を下すのを我々がサポートする場合もある。ナターリャがそれだ」
「ナターリャが? あんな小さな子供が、ですか?」
「ナターリャの父親、スヴャトスラーヴ・グラスコフ氏はウクライナ内務省の次官だった。ウクライナは現在、ロシア同様に政治経済すべての分野におけるマフィアの浸透に悩まされている。1年前、彼は配下の組織犯罪対策総局に、組織犯罪による麻薬と人身売買に対する捜査の拡大と強化を命じた」
「……」
「その直後だった…… グラスコフ氏の屋敷が10数名のテロリストに襲われた」
「テロリスト?」
「反政府テロリストと報道されたが、実際はマフィアが雇った殺し屋だ。奴らはグラスコフ氏とその日たまたま屋敷にいた四名の使用人を殺害し当時11歳のナターリャと15歳の姉のユリアを拉致した」
「拉致、って……」
「その後ナターリャは、ベラルーシでチャイルド・ポルノを作っているグループに売られた」
チャイルド・ポルノ…… やばい、鬱展開かよ……
「ユリアはウクライナの、未成年者を専門とする売春組織に売られたらしい」
「ということは……」
「まだ見つかっていない…… ナターリャは自力で組織を脱出して我々に保護された。しかし、ユリアの消息は不明のままだ…… 今のナターリャの目的は、行方不明になった姉のユリアを探し出すことだ」
「でも、何で日本に?」
「その、ウクライナの売春組織が、最近、日本の暴力団と手を結び、商品、つまり、女性たちを融通しあっているという情報が入った」
「商品の融通、って」
「つまり、日本で人気の白人少女と、海外で人気の高い日本人少女を交換しようってわけだ」
「……」
聞いているだけで気分が悪くなってきた。
「ただ、連中の誤算は仕事のパートナーとして選んだ相手が、正式なヤクザではなく、元暴走族主体の不良グループだったてことだ」
「半グレ、ですか?」
「そう、よく知ってるな…… 先週、組織を通じてヨーロッパから日本へ送られた10代の少年少女の中に、ユリアに似た少女がいたという情報が入った。私たちは、元暴走族、神奈川連合とか言ったな…… 彼らにウクライナの組織より早く接触し、組織の仲間と誤認させて情報を得ようとしたんだ」
斎賀はテーブルの上のグラスを掴むと残りの水を一気に飲み干した。
「そうだったんですか…… それじゃ、マンションの発砲事件というのは、やっぱりあなたたちの……」
「そうだ…… ちょっと話し合いがこじれただけだ」
苦笑しているのか?
「こじれたってレベルの話じゃないと思うんですが……」
「連中がナターリャにちょっかいを出そうとして…… 迂闊だった」
「それで銃を?」
「結果的に…… 私は、情けないことに奴らのひとりにナイフで刺されてこの通りさ」
斎賀は自嘲気味に微笑んだ。
また、ハイデルベルグでの光景が甦った。金髪とアイスグリーンの瞳、そして銃撃。
「ではドイツでのことも……」
「そうだ、あれは人身売買専門の組織によって、ウクライナや東欧から、誘拐同然で連れてこられた子供たちだ。上は15歳、下は6歳……」
「人身売買……」
「ソ連崩壊以降、東欧、つまり旧社会主義国では経済的破綻による失業問題が深刻化している。そのことを人身売買組織が悪用し、西欧で仕事があると若い女性を騙し、実際は強制的に売春をさせるという事件が社会問題化しているんだ。あの子供たちはウクライナからモルドバ、ルーマニアで集められ、アルバニアから船でイタリア、さらにスペインへ送られ、そこでモロッコの組織に引き渡される予定だったんだ。ユリアの情報を追っていた我々は偶然、人身売買の現場に出くわした」
「出くわした、って……」
「フィ……、いや、ナターリャが子供たちを救おうと言い出した。捕らわれた子供たちに、かつての自分や姉のユリアを重ねたんだろう……」
「そうだったんですか……」
「ルーマニアの国境を過ぎた辺りで奴らの隙を突き、子供たちを乗せた車を強奪した…… 我々は北上し、オーストリア、ドイツを経由してスイスに逃げ込もうと車を走らせた」
「スイスですか?」
「スイスには財団の欧州ロッジがある。それにスイスは欧州連合に属してないから怪しげな連中は国境で足止めできる…… しかし、追っ手は予想より早く我々を補足し、ドイツ国内…… ヴュルツブルク辺りで補足された。我々はハイデルベルグまで逃げ…… 後は君が知っている通りだ……」
「別に綺麗事を言うわけではありません、でも、犯罪者への復讐というのは、本当に彼女のためになるんですか? 憎しみの連鎖にしかならないような気がするんですが……」
「ふふ……」
斎賀は笑みを漏らした。
「……」
「いや、笑ってすまなかった。君のお父さんにも同じことを言われたよ」
「父が?」
「やはり親子だな、と思って…… 君の意見はもっともだ。綺麗事だと切り捨てるつもりはない。それに、我々は自分たちが正義だなんてこれっぽっちも思っていない。我々の目的は復讐、ただそれだけだ」
ただそれだけ?
「そんな、それじゃ不毛ですよ何の解決にもならない……」
「解決、か…… 目の前で家族を惨殺され、本人も死ぬより辛い目に遭わされた…… そんな小さな魂を癒やすには他に方法がないとしたら?」
「癒やし、ですか」
「もちろん、この方法がベストだとは、我々も思っていない」
「……殺すことで癒やしになるなんて、狂ってるとしか……」
僕は頭を振った。
「狂ってる、か、そうかもしれないなあ……」
斎賀は天井を仰ぎ、目を閉じた。
「俺の替わりに来る男は、元傭兵でナターリャの訓練を受け持った、いわば彼女の師匠だ」
斎賀は目を閉じたまま言った。
「師匠……」
「俺なんかよりよっぽど頼りになる男だよ……」