母の罪状
04 母の罪状
元町商店街の裏、運河沿いの通りに白い大型乗用車が駐まっていた。
日産スカイラインセダンか。
僕と女性警察官は後部座席に乗り込む。
運転席には黒縁眼鏡をかけた実直そうな中年男性。
左ハンドル? 逆輸入車、インフィニティーかよ……
「佐伯さん。10分くらい、この辺を流してください」
インフィニティーは静かに、滑るように動きだした。
「デートの邪魔をして悪かったな。緊急事態なんだ」
女性警察官は車が走りだすや否や、バッグから分厚いファイルを取り出した。
「今朝、イタリアの国家警察から国際刑事警察機構を通じて、ソフィア・ラマツォッティ、つまり君のお母さんに対する国際逮捕手配書が送られてきた」
「国際逮捕手配書? 何やったんですか?」
僕の母はシチリア・マフィアの有力者のひとり、ガストーネ・ラマツォッティの娘だ。
尤も、マフィアと言っても近年は麻薬や密輸などの非合法活動からは手を引き、現在では不動産や金融などの合法的事業が主な収入源と言われている。
「殺人、誘拐、強盗、監禁、暴行、傷害、詐欺、不法侵入、放火、贈賄に脱税…… ありとあらゆる犯罪容疑、まるで犯罪の総合商社だな。ないのは性犯罪くらいか…… いや、あったぞ」
え?
「公然猥褻に未成年者に対する淫行……」
彼女はファイルから取り出した書類の束を捲りながら答えた。
何やってんだ…… あの人は。
「僕とあの人はもう関係ありませんから…… あの人は僕たちを捨てて出て行ったんです」
僕は視線を車外に移した。
『あなたはもうひとりで生きていけるから』
中学の入学式の日、母はそう言って僕たちの前から姿を消した。
離婚?
父は何も言わなかった。
僕も何も訊かなかった。
ただ、学校から帰って、誰もいなくなったリビングルームでいつまでも呆然と立ち尽くしていた記憶だけがあった。
車は左折して山下公園方面へ向かっていた。
前方にマリンタワーが見える。
「彼女と最後に会ったのは?」
女性警察官は僕の背中越しに訊いた。
「ちょうど1年前、オッフェンバッハで」
「オッフェンバッハ?」
「あ、ドイツです」
振り返って答えた。
母は完全に僕たちの目の前から消えたわけではなかった。1年に1、2度くらいの割合で、偶然を装い僕に接触してきた。手紙やプレゼントが届くこともあった。
「そうか…… 、た、いや…… お父さんはまだフランクフルト領事館に?」
視線を下げると女性警察官の短すぎるタイトスカートに深いスリット。
「はい、単身赴任で」
慌てて視線を彼女の脚から外す。
父は警察庁のキャリアで外事課から外務省に出向し、現在はドイツのフランクフルト領事館で1等書記官として勤務している。
父が警察のエリート、母がマフィアの娘なんて悪い冗談のような組み合わせだ。
しかし、ふたりともお互いの素性を十分理解した上で結婚している。
「じゃあ、君はずっとひとり暮らしなのか?」
「はい。でも年に2回、夏休みと冬休みは僕がドイツへ…… なんか、向こうの暮らしが気に入ったらしく、日本へは帰りたくないって……」
「じゃあ、今年も?」
女性警察官は僕の視線に気づかない様子で、手元のファイルにメモを取っていた。
「1週間前に帰って来ました」
「その、1年前、なんとかバッハであいつ、いやソフィア・ラマツォッティと会ったていうのは、向こうから連絡が?」
突然、ファイルを下げて僕をまっすぐに見た。美女と目が合い、一瞬、脈拍が上がった。
「い、いえ、全く偶然です」
「偶然? 広いドイツで偶然ねえ……」
彼女は再びファイルを取り上げ、目を落とした。
「だから、俺に聞いたって無駄ですよ。今頃何やってるかなんて全く知らないんですから」
僕は再び視線を車外に移した。
横浜スタジアムの前だ。
「ドイツで合ったのはソフィア・ラマツォッティひとりで?」
「いえ、確か、彼女の友人の女性と一緒でした」
「友人? 年は? イタリア人か?」
「本人はスイス人と言ってました。年は母と同じくらいか、上に見えました」
「彼女の職業は?」
「スマホのアプリを作っているIT企業の社長とかで…… 今度手相占いのアプリを作っていると言っていました……」
「ソフィア・ラマツォッティは日本に潜伏してるって情報がある」
あの宅配便……
「……」
「何か心当たりでも?」
「い、いえ、全然……」
「…… そう ……」
女性警官は僅かに疑いの視線を僕に向ける。
「お役に立てなくて申し訳ありませんが……」
僕は心の動揺を見透かされないように、なるべく平静を装って言った。
「リカルドが死んだ」
唐突に女性警察官が言った。
「え?」
「ニュースでやってなかったか? 先週のローマとシチリアで起こったマフィアの抗争で、リカルド・ラマツォッティが殺されたって」
リカルド伯父さん…… 小さい頃、1度会った記憶がある……
「リカルドの死でラマツォッティ・ファミリー直系の男子は絶えた。現在の首領に一番近い男の血縁者は君だ」
「…… でも僕は……もうあの人たちとは……」
「君がどう思おうと、連中には関係ない」
「まさか、そんな……」
『L'usi per proteggersi.(あなた自身を守るために)』
そういう意味なのか?
「何か判ったら、連絡してくれ。これ、私の携帯の番号だ」
女性警察官は名刺大のカードを差し出した。
カードには名前と携帯電話の番号だけが書かれていた。
『風祭冬香』
気が付くと白いインフィニティーは僕が乗った元町の裏通りに戻っていた。
「あ、そうそう」
僕が車を降りようとしたとき、風祭刑事が背中から声をかけた。
「柏陰のジェイソン・ステイサムなんぞとおだてられて、正義の味方ごっこもいいが、あまり調子に乗らないことだ。今に痛い目に遭うぞ。それから、くれぐれもケガさせないように。暴行と傷害は罪状にかなり差が出るからな」
「真っ赤なイヴ・サンローラン着た刑事なんてあり得ないでしょ。あいつ、絶対偽警官よ」
山盛りのカルボナーラを頬ばりながら彩姉はまだ怒っていた。
「どうしたの、さっきから浮かない顔して。あの女に何聞かれたの?」
「たいしたことじゃないよ。おふ…… ソフィア・ラマツォッティについて何か知ってることはないかって」
「ソフィアおばさんに何かあったの?」
「知らない……」
「レオ君のお母さんをダシに使った逆ナンね」
「あのねえ」
「あいつ絶対レオ君狙ってる。年下好きそうな顔してた」
「なわけないだろ……」
今朝届いた宅配便と女刑事の話……
何かが僕の周囲で動きだしたのだろうか?