女子高生と女刑事
03 女子高生と女刑事
隣の家からチューニングされた野太いエンジン音が聞こえてきた。
彩姉の車だ。
「相変わらず近所迷惑な車……」
真っ赤なスバルWRX STI。
世界ラリー選手権で活躍したスバル・インプレッサの血を引く走り屋垂涎のスポーツセダン、富士重工のスバルWRX STIを彩姉はずいぶん無理してローンを組んだと聞いている。
ローンだけではない。
ガソリン代やらパーツ代、チューニング費用など、毎月結構な額を注ぎ込んでいるようだ。
玄関のドアを開けると、女の子が立っていた。
「え?」
「あ……」
突然ドアが開いたので驚いたのか、彼女は明らかに動揺した表情で僕を見つめていた。
確か、B組の子だったか…… 名前は知らないけど。
「あ…… あの、これ」
深呼吸の後、覚悟を決めたような目。
そして1通の封筒を差し出した。
薄いピンクの封筒は、それだけで内容が想像できた。
「あ…… 俺、今はまだ恋愛とか興味ないから……」
女の子の落胆した表情に少し申し訳なさを感じながら、僕は手を振って封筒を拒絶した。
「ごめんなさい……」
彼女は軽くお辞儀をしてからくるりと背を向け、小走りに走り去って行った。
「さすが柏陰一のイケメン。モテるねえ」
門柱の脇に彩姉が立っていた。
「……」
「結構かわいい子だったじゃない。それに、度胸もなかなか。家までラブレター届に来るのってかなり勇気がいることよ」
「迷惑…… どうせあいつらは俺の外見しか見ていない」
僕は意識的にぶっきらぼうに言った。
「女性不信もここまで来るとねえ…… もったいないなあ、何で彼女作らないの? レオ君くらいの高校生男子だったら、穴があったら何でも入れたい年頃でしょ?」
「彩姉……」
下品すぎる……
「 ……やっぱり、お母さんのせい?」
「関係ないよ……」
関係ない…… あの人とは…… 本当に……
本牧でランチを摂った後、僕たちを乗せた赤いSTIは本牧通りを関内方面へ向かった。
「馬車道行く前にちょっと元町寄ってかない?」
彩姉が言った。
「別に、いいけど……」
「ツーリングの費用が浮いたんで、新しい服買おうかな、なんて」
なぜかいつもよりうきうきした彩姉の言葉だった。
珍しくメイクをばっちり決めていた。
いつものくたびれたジャージではなく、ペールピンクのカットソーとデニムのミニスカートに着替えている。
甘い香り……
「……香水もつけてるんだ……」
「え? 何?」
「何でもない」
ふと左のドアミラーに視線を移した。
「?」
目の位置を変え、ドアミラーに映った後続車をよく見ようとした。
「後ろのハイエース、さっきもいなかった?」
彩姉の車の後ろには、白いワンボックス、トヨタ・ハイエースがぴったりとついていた。
「ハイエースの1台や2台、別に珍しくないでしょ」
彩姉はルームミラーを一瞥して言った。確かに、ハイエースなんてそう珍しい車でもない。
しかし、あの車は僕たちが家を出たときから後ろにいたような気がする。
本牧方面から元町へ向かうと、手前に山手隧道がある。
彩姉は隧道の手前の交差点でステアリングを左に切り、車を角にあるコインパーキングに入れた。
「ちょっと歩くけど、中に駐めるよりここの方が安いから」
彩姉はそう言って車を降りた。後ろにいたハイエースはいつの間にか消えていた。
「久しぶりだなレオ君とデート」
彩姉は僕の腕を掴むと鼻歌交じりに歩きだした。
山手隧道の元町側の出口近くにバス停があった。
そのバス停の前で騒動は起こっていた。
「何だ…… ?」
白いセーラー服の女子高生の周りを3人の若者が取り囲んでいた。
そろそろ根元が黒くなってきた金髪に顎髭、黒いタンクトップに派手なゴールドのネックレス、グレーのカーゴパンツ。ドレッドヘアにサングラス、黒に黄色のストライプの入ったジャージの上下。中途半端な長髪を後ろで束ね、グレーの作業着にジーンズ。
女子高生は黒髪、ストレートロングに少し野暮ったい黒縁眼鏡。
清楚な美少女だった。
「やめてください」
女子高生は毅然とした口調で、肩にかけられた男の手を払いのけながら言った。
「一緒にカラオケでもって、言ってるんだよ」
「ちょっとぐらい付き合ってもいいじゃん」
「お高くとまりやがって」
男たちは女子高生を取り囲み、近くに駐めてある車に連れ込もうとしていた。
黄色いトヨタ・ヴィッツ?
男達の外見と全く似つかわしくないコンパクトカーだ。
しかもルームミラーに小さなぬいぐるみがぶら下がっている。
他の通行人やバス停の客たちはその様子を遠巻きに眺めているだけだった。
「まっ昼間から何やってんだ……」
「あっ、ちょっとレオ君」
無意識に走りだしていた。
「おい、嫌がってんだろ」
僕は金髪を女子高生から引き剥がした。
「んだ、てめ」
いきなり掴みかかってきた。左腕の手首と肘を取り、右に捻った。
「いっ!」
金髪はアスファルトに右肩から落ち、転がった。
「んが!」
「この……」
ドレッドヘアは悠長なテイクバックでパンチを放ってきた。左腕でパンチを払いながら一歩踏み込んで相手の首に右腕を絡めそのまま左に振った。
「わ……」
ドレッドヘアは尻餅をつくような格好で地面に倒れた。
「やろ……」
長髪は助走をつけて蹴りを放ってきた。バックステップで躱し足首を掴んで跳ね上げた。
「んぎっ……」
長髪は宙を舞い背中から地面に落ちた。
意外とたいしたことなかったな……
なにしろこいつら、体の動きにキレがない……
「く……」
ふらふらと立ち上がった男たちは、完全に戦意を喪失していた。
次の攻撃に備え、身構える僕に向かって……
「お、覚えてろよ」
何のオリジナリティのない捨て台詞を残し、慌ただしく傍らの車に乗り込むと、逃げるように去って行った。
「昼間から…… この辺もずいぶん物騒になったものね」
追いついてきた彩姉が呟いた。
「あの…… ありがとうございます」
女子高生は深々とお辞儀をした。
「別に、礼なんか…… 俺、ああいう奴らが嫌いなだけだから……」
「そう、この人の趣味みたいなものだから、気にしなくていいのよ」
「趣味?」
彼女は怪訝な顔。
眼鏡の下の気丈そうな瞳が印象的だった。
「京浜共立女子かな、さっきのコ。典型的なお嬢様だった」
女子高生と別れ、しばらく歩いてから彩姉が言った。
「……」
「見事なくらいの関心のなさ…… ホモ疑惑もむべなるかな、と」
「違うって……」
「いいじゃない、腐女子にも大人気」
「やめろ」
「でも、レオ君ってお母さんのこと嫌ってる割には、今でも言いつけを守ってるのね」
「……」
「今の合気道だってお母さんから教わったんでしょ」
『困っている女の子がいたら助けてあげるのが男の義務よ』
『強くなりなさい、あなたとあなたの愛する人を守るために』
「愛羽レオ、だな」
4丁目の靴屋の前、ウインドウショッピングの最中だった。
背後から女性の声で呼び止められた。
「はい……」
振り向くと、深紅のスーツに身を包んだ妙齢の女性が立っていた。
「警視庁の風祭だ。ソフィア・ラマツォッティについて少々訊きたいことがある。手間はかけないからちょっと付き合ってくれ」
柔らかそうなワンレンボブの美女は、セカンドバッグから端整な顔立ちとモデルのようなスレンダーな長身にはまるで不釣り合いな黒い革ケースを取り出した。
ケースの中身は警察バッジだった。
「あの……」
「これは任意ですか?」
彩姉が割り込んだ。
「そうよ、に、ん、い、任意よ」
風祭という女性警察官はわざとらしい笑顔で答えた。
「……」
「ほんの10分程度でいい。ちょっと顔、貸してくれ」
女性警察官はそう言うと強引に僕の手を曳いて歩きだした。
「ちょっと! 国家権力、横暴でしょ」
彩姉が女性警察官の肩に手をかけた。
「安心しろ、私は年下には興味ない」
「そういう問題じゃないでしょ。令状なしで身柄を拘束していいの?」
「だからコレは任意。そうだろ君。その手、放さないと公務執行妨害で逮捕するぞ」
女性警察官は自分の肩の上にある彩姉の手を掴むとそのまま上に捻りあげた。
「痛っ、……特別公務員暴行陵虐致死!」
彩姉が叫ぶと女性警察官ははっとして手を放した。彩姉って法学部だったっけ?
彩姉と女性警察官はその場で睨み合っている。
「あ、彩姉、ちょっとそこの喫茶店で待っててよ。すぐ終わるから」
険悪なムードをなんとか収拾しなくては。
「そうよねー、レオ君もこんなオバサンに興味ないわよねー」
彩姉は女性警察官から離れると、皮肉な笑みを浮かべた。
「オバサン、って…… この、ガキが……」
「何? 高い服着てりゃ偉いってもんじゃないでしょ」
「そのコーディネートにムスク系は合わない」
「そんなのこっちの自由でしょ。年取ると大変よねえ、厚塗りしなくちゃならないから」
「私はまだ20代だっ!」
意外と煽り耐性の低い人だ。
「やめてくれ。ふたりとも」
周囲には野次馬の人だかりができはじめていた。