ゴスロリと45口径
02 ゴスロリ美少女と45口径
1週間前、僕はドイツにいた。
「しまった、道に迷ったかもしれない……」
森が深くなってきた。
木々の向こうに見え隠れするハイデルベルグ城を振り返った。
観光ルートを外れ、人気のない山道を散歩しながら旧市街へ戻るつもりだった。
「南へ寄りすぎた…… やっぱり徒歩じゃ無理だったか…… いや大丈夫。まだ、時間はある」
時計は午後8時を過ぎていた。
しかしヨーロッパの夏時間。陽はまだ高く、辺りは十分明るかった。
「まあ、何とかなるだろ……」
フランクフルト行きの最終列車まではまだまだ余裕だ。
夕食は最悪、中央駅のギロスでいいか……。
ドイツではギロスと呼ばれているドネルケバブ、フランクフルト中央駅の売店で売られているものは具材を挟むパンが巨大な丸い白パンなので、それだけで腹一杯になる。
森の中の小径をしばらく西に向かって歩く。
少し開けた場所に出た。
材木や煉瓦が積み上げてある。
建築現場か資材置き場のようだ。
スマホで現在位置を確かめてから再び歩きだそうとした。
「!」
背後から車が迫ってくる音がした。
黒い大型のバンが土煙を上げながら近づいてくる。
フロントウィンドウと前席のサイドにはスモークフィルムが貼られ、車体後部の窓にはガラスの代わりに目隠しの黒い板が装着されている。
内部の様子が全く分からないその車は、黒いボディーカラーと相まって不気味な雰囲気を醸し出していた。
そして、その黒いバンを追うように、3台の黒い大型乗用車が猛スピードで迫り、バンを取り囲むように止まった。
「ベントレー?」
英国の高級車だ。
ただならぬ雰囲気を感じた僕は思わず、積み上げられた煉瓦の陰に身を隠した。
3台のベントレーからそれぞれふたり、合計6人の男が現れた。
仕立ての良い高級そうなダークスーツ姿。
全員が黒いサングラスをかけ、およそ堅気ではない雰囲気だ。
「出てこい! もう逃げられないぞ!」
ロシア語?
ロシア・マフィアか?
男たちの手には各々自動拳銃が握られ、その銃口は黒いバンに向けられていた。
ギャングの抗争かよ。
やばい。
膝がガクガクと笑っている。いや、全身が震えている。
しかし、僕の両目は冷静に男たちを観察していた。
僅かな間があって、バンの助手席側のドアが開き、降り立った人影。
「え?」
小柄な少女だった……
見間違いではない。
美しい少女だった。
まるで人形、いや天使だった。
腰まで伸びたプラチナブロンド。
所謂ゴスロリ、黒を基調とした古風な衣装。
翻ってそれが、少女の清楚な美しさを引き立てていた。
しかし、僕の心を捕らえたのは、冬の湖のような、彼女のアイスグリーンの瞳だった。
「?」
男たちも意外な人物の出現に一瞬たじろぎ、躊躇しているように見えた。
「!」
一瞬の静寂を破るように、銃声が二発、辺りに谺した。
「何?」
信じ難い光景だった。
いつの間にか少女の右手には小型自動拳銃が握られ、ふたりの男が地面に倒れていた。
「気をつけろ、銃を持っているぞ!」
「回り込め! 左だ!」
男たちが口々に叫んだ。
少女はバンから遠ざかるように走る。
彼女を追う4人の男たち。
プラチナブロンドが踊り黒いスカートが翻る。
まるでバレエのような優雅なターンで振り返った少女は、男のひとりを1発の銃弾で斃した。
残った3人は咄嗟に身を伏せた。
「レーザー照準器?」
少女の持つ銃から、赤い光線が出ていることに気づいた。銃の銃把にレーザー照準器が内蔵されているのだ。
弾丸はレーザー照準器から照射された赤い光点に正確に命中している。
「それにしても、良い腕だ……」
映画でも見ているようだった。
それほど、目の前の出来事には現実感がなかった。
「スプリングフィールドのウルトラ・コンパクトV10か」
45口径の大型軍用拳銃の遊底と銃杷を切り詰めて小型化した銃だ。銃身に開けられた10個のガス放出孔の効果で跳ね上がりを多少は軽減できるとはいえ、反動の大きな大口径拳銃を、小柄な少女が完璧にコントロールしているのは驚異的だ。
男たちの反撃。
9ミリ弾の銃声。
しかし、猫のように素早く移動する少女を捉えることはできなかった。
少女の反撃。男の額に、赤いレーザーの光点が現れると同時に、まるで小型の爆弾が破裂したかのように血飛沫が上がった。
「ソフトポイント…… ハイドラショックか?」
ソフトポイント弾とは通常は銅などの固い金属で覆われている弾頭部分を、鉛剥き出しあるいはアルミなどの柔らかい金属で覆うなどした弾丸のことで、着弾した際に内部で大きく広がって大きなダメージを与えることができる弾丸だ。
効果を高めるために弾頭の先端部分に穴を開けた『ホローポイント弾』が有名で、その中でもフェデラル社のハイドラショックは高い効果を持った弾丸として知られている。
頭を狙っているのは防弾衣の着用を想定しているのだろう。
少女は走りながら、しかし正確に残りのふたりを斃した。
「百発百中かよ……」
レーザー照準器を使っているにしても、並大抵の腕じゃない。
僕の視界の隅で何かが動いた。
「後ろ! ライフルを持っている!」
思わず叫んだ。
3台のベントレーのうち、最後尾の車の後部座席から、7人目の男が姿を現せたのだ。
男は銃身を短く切り詰めた突撃銃を持っている。カラシニコフ、AK74Uだ。
少女は一瞬、僕の方を振り返った。
アイスグリーンの視線が突き刺さる。
少女は僕が指さした方向に気づくと真横に跳んだ。
光る風になったプラチナブロンドの残像。
一瞬遅れ、少女の過去位置に5.45ミリ弾が降り注いだ。
同時に少女の拳銃が火を噴く。
突撃銃を持った男は弾かれたように後方へ倒れた。
「……」
武装したすべての男を斃した少女は、改めて僕の方へ向き直った。
「!」
既に最終弾を撃った拳銃の遊底は後退したまま止まっている。
少女はどこからか予備弾倉を抜き出すと、慣れた手つきで交換し、遊底を戻した。
そして銃口をまっすぐ僕の額に向けた。
おい…… ちょっと……
「待て!」
いつの間にか少女の傍らに男が立っていた。
右手に持った杖で少女の利き腕を押さえ、銃口を僕から外した。
痩せた長身、肩まである銀髪、青白い顔にサングラス、全身黒ずくめのスーツ姿。
杖を持っている姿は一見、老人に見えた。しかし、声や身のこなしからすると、見かけより若いのかもしれない。
少女は鋭い視線を僕に向けたまま銃を下ろした。
「Ein lokaler Mensch?(土地の者か?)」
男が尋ねた。
「い、いえ……」
「観光客か…… どこから来た?」
「日本です」
「何? 君、日本人か」
突然、男の口から日本語が飛び出した。
日本語?
「はい…… 母がイタリア人ですが……」
「そうか…… 道理で……」
男の表情が少し和らいだように見えた。
外国語訛りのないネイティブな日本語だった。
「シン」
少女が会話に割り込んできた。
シンと呼ばれた男は、ロシア語で僕が日本人であることを伝えた。
後方で物音がした。
振り返るとバンの後部ドアが開き、数人の若い男女が降りてきた。
全員が若い少年少女、美少女、美少年ばかりだった。
彼らは一様に険しい顔で死んだ男たちを見つめていた。
「もう安心していい。君たちを追って来た連中はみんな死んだ」
男は彼らに向かって、英語とロシア語と僕の知らない言語で言った。
追って来た? この子たちはいったい……
「ここまで追いかけてくるとは想定外だったが……」
改めて男たちの屍体を見回した。
まるで壊れた人形のように無造作に転がり、地面には血溜まりができていた。
シンという男は携帯電話を取り出すとどこかへコールした。
そして、ロシア語の短い会話の後、再び僕に向き直った。
「君は、このままホテルへ帰って、それから熱いシャワーでも浴びて、今日ここで見たことはすっかり忘れてしまうんだな」
「……」
「警察に通報してもいいけど、夢でも見たんだろう、って言われるのがオチだからね」
男は笑みさえ浮かべていた。
『ベルクート財団はロシアの資産家ヴォロージャ・ベルクート氏によって、主に犯罪被害に遭った子供たちの救済、支援を目的に1996年にロシアで設立されました』
テレビの画面には車椅子に乗った老人と、傍らに立つアイスグリーンの瞳を持つ美少女。
ナレーションが続けた。
『今回の来日の目的は、アジア地域での活動範囲を広めるために、財団の事務局を日本国内に正式にオープンすることということです』
犯罪被害に遭った子供たちの救済?
あの日、ハイデルベルグで見た子供たちを思い出した。
結局、あの日はどうやってフランクフルトまでたどり着いたのか、記憶がなかった。
駅までの山道で何度か嘔吐したことは覚えている。
アイスグリーンの瞳、プラチナブロンドの美少女、黒ずくめの男、死んだ男たち、様々なイメージが頭の中で渦を巻いていた。
食べ物は全く喉を通らず、その後丸二日、ベッドの上でうなされていたという……
「ほんと、ロシア人の女の子って天使よね。10代のうちは……」
彩姉は画面の中の美少女を見ながらチョコレートを口に入れた。
「ベルクート……、ってイヌワシって意味か、人の名前じゃない。何か胡散臭いな」
ヴォロージャ・ベルクート氏は、痩身で頭頂部まで禿げ上がった白髪、高い鷲鼻に口髭、そしてテレビカメラを通してもはっきり判る鋭い眼光の老人だった。
「でも、スターリンだって『鋼鉄の人』っていう意味のペンネームで本名じゃないでしょ。それと同じなんじゃないの」
彩姉はニュースに飽きたようで、リモコンを手にしてチャンネルを変えた。
テレビの画面は料理番組に変わっていた。
「彩姉、昼飯はどうする?」
壁の時計を見ると11時を過ぎていた。
朝は起き抜けにトーストを一枚、マキアートで流し込んだだけだった。
「久々にブギーカフェでも行く? 車出すから」
ブギーカフェは本牧にあるアメリカンスタイルのレストランでここから車で十数分だ。
「いいね、じゃ、帰りにちょっと遠回りだけど、馬車道寄って。買い物したい」
馬車道にはイタリア食材の専門店がある。
「馬車道? それじゃ今晩はイタリアンね」
彩姉は立ち上がりながら言った。
って、晩飯までうちで食う気かよ。