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女刑事と50億ユーロ

 17.女刑事と50億ユーロ


「今度こそ巻いたようだな」

 ハイラックスは横浜東部の住宅街を走っていた。

「まさか骨董品のスーパーカーに助けられるとは…… あれもシチリアの連中なのか?」

「さあ……」

 僕には何となく、あのマセラティ・ボーラのドライバーに心当たりがあった。

 しかし、アレックスには言わなかった。


『ホテルでの発砲事件の続報です。警察関係者によりますと、ホテル内の防犯カメラは事件当時、すべて作動停止状態にあったことが判りました。犯人グループは地下の駐車場からホテル内のレストランへ向かう途中で地下の防災センターに押し入り防犯カメラの録画装置を破壊したと見られています。続けて今入ったニュースです。保土ヶ谷で救急車が数人の男に襲われるという事件がありました……』

 ホテルに押し入った賊は覆面も何もしていなく、素顔をさらしていた。

 やはり防犯カメラを使えなくしていたのだ。


「?」

 Tシャツの脇腹の部分に赤い染み。

 血の臭いがする。

 タワーマンションで銃撃され飛び散った後藤の血がついたようだ。

 しかし、その血はたった今体から流れ出たかのように真っ赤で、全く凝固していなかった。

 あの時付いた血だったら、今頃はどす黒く固まっているはずだ。

 自分の体を調べてみる。

 どこにもケガはない。

 やはりこれは後藤の血だ。

 これはどういうことだ?

「どうした少年? ケガでもしたのか?」

 アレックスが訊いた。

「いえ、何でも……」

 僕は指についた赤い液体を見つめながら答えた。  



「何だ?」

 アレックスが前方を凝視していた。

 前を見ると青と白に塗られた大型の警察車両数台が、道路を塞ぐように駐まっていた。

 その手前では赤い誘導棒(ニンジン)を持った警官が『止まれ』の合図をしていた。

 若い警官が近寄り、窓を開けろとジェスチャーをした。

「け、ぱそぉ?」

 アレックスはまた、日本語が判らないふりをして警官に訊いた。

「ポリシア。ポルファボール、モイステラメラ、リセンシア」

 警官は流ちょうなスペイン語で言った。

「そろ、うんもめんと」

 アレックスは言いながら日本の物ではない、どこかの国の免許証を取り出した。

「全員、車から降りてください。この車に違法な武器が積載されているとの通報がありました。捜査令状はここにあります。 ……日本語、判りますよね」

 警官は白い紙を掲げながら言った。

 いつの間にか車の後方にも大型の警察車両が回り込み、さらにフル装備の機動隊によって完全に包囲された形になっていた。

「まいったね。警察にしては手際が良い」

 アレックスは不敵な笑みを浮かべながらハイラックスのドアを開けた。

 僕とジャンナもアレックスに倣い車から降りた。

 ハイラックスの荷台には武器と弾薬が満載されている。

 僕たちはこのまま逮捕されてしまうのだろうか。


「おい、部外者は立ち入り禁止だ」

 僕たちを取り囲んでいる警官隊の外側から聞こえてきた。

 前方で何か起こっているようだ。

「はいはい、ちょっとここ通してね」

 警官の人垣をかき分けるように姿を現せたのは風祭という女刑事だった。

 高級ブランドと思われる純白のスーツ。

 相変わらずスカートは短く深いスリットが入っていた。

「警視庁が何で……」

 若い警官が顔を顰めた。

「公安のメデューサ……」

 どこからともなく声がした。

「石にしてほしいの?」

 女刑事は声のした方を睨むと、低い声で言った。

「獲物を横取りする気か。警視庁は管轄外だろ!」

 先刻の警官が顔を紅潮させながら言った。

「横取りって…… 何をみみっちいこと…… 。私はこの子に用があるの。ほらこれが、オ・フ・ダ」

 風祭刑事は警官の鼻先で白い紙をひらひらとさせた。

「ぐ……」

 警官の顔が赤くなったり青くなったりするのを眺めながら、僕は風祭刑事に訊いた。

「俺、逮捕されるんですか?」

 彼女は不必要に妖艶な笑みを浮かべながら答えた。

「逃げたり抵抗しなければ手錠かけたりはしない…… もしかして、そういうプレイが好きなのか?」

 んなわけねーだろ!

「しかし……」

 僕はアレックスを見た。

「心配するな、少年。こっちは大丈夫だ」

 アレックスはにやりとサムアップ。

 ジャンナは…… スマホを取り出し、自分たちを取り囲んでいる警官隊をバックに自撮りしていた。

「無茶しないでください」

 僕は小声でアレックスに言った。

「それじゃ」

 風祭刑事は僕の手を曳いて歩きだした。


「春に異動してきたペーペーのキャリアが……」

 白いインフィニティーに乗り込むや否や、風祭刑事は話しだした。

「最近、妙にやる気出して…… ここんとこ不祥事続きだったからな、神奈川県警。違法な武器屋の情報を流してやったらすぐに食いついてきた」

 この大捕物はあんたの仕業か!


 運転席には昨日と同じ中年の警官。

 車は根岸方面に向かっているようだ。

「僕に逮捕状が出てるんですか?」

「そんな物出るわけないだろ」

 風祭刑事は子供っぽく笑った。

 うっかり『意外とかわいい』と思ってしまう。

「じゃあ、さっきの紙は……」

 神奈川県警の警官に何かの令状のような物を見せたはずだ。

「あ、これ?」

 そう言うと女刑事はハンドバッグの中から白い紙を取り出した。

「うちのマンションの、粗大ゴミ回収日程のお知らせ」

「え?」

「外務省に出向中とはいえ、警察庁キャリアの息子が、よりにもよって神奈川県警に逮捕されるのはまずいんだ。判るだろ」

「……」

「それに、今、君はとても面倒な状況に置かれている」

 風祭刑事は真顔になって僕を見つめた。

「面倒?」

「ソフィア・ラマツォッティ…… 今、あそこは跡目相続問題でいろいろあるようだが、君のお母さんが、ラマツォッティ家にある貴金属、宝石、美術品、有価証券、つまり現金以外の財宝、総額50億ユーロ相当を、独断で、リヒテンシュタインのプライベートバンクの貸金庫に移した」

 独断で?

 ラマツォッティ・ファミリーの跡目相続など、今の僕には関係ない話だ。

「でも、俺はもうあの人とは……」

「その、貸金庫の鍵を息子に預けた、という噂が裏社会の間で流れている」

 僕の言葉に被せるように女刑事が続けた。

「鍵?」

 (ソフィア)からの荷物。

 銃と一緒に入っていたあの鍵か?

 何だって?

 50億ユーロ?

「心当たりがあるのか?」

 澄んだ瞳、まっすぐな視線。

「え、いや…… 母とはしばらく会ってないものですから……」

「…… そうか」

 彼女は視線を外し、虚空を見る。

「あの、風祭さんはどうしてこのことを?」

「だから警察舐めんなって言ってんだろ」

 女刑事は僕を睨んだ。

 ただし、その目は少し笑っていた。

「イタリア警察からの情報だが、あいつが…… いや、ソフィアが現在、ラマツォッティ・ファミリー財宝を勝手に移動し、その鍵を息子に預けた、っていう噂は、かなりの信憑性を持って裏社会を駆け巡っている」


 あの銃……


-L'usi per proteggersi.(あなた自身を守るために)-

 そういうことだったのか。


「 ……全く、どれだけ猛さんに迷惑かければ気が済むんだ、あの女は」

 猛さん?

 親父?

「ロシア人だろうがイタリア人だろうが、君自身に近づいて来る人間は皆疑え」

「疑う、って……」

「50億ユーロのためなら、人間はどんなことでもするぞ。すべてを疑ってかかるんだ」

「……」

 50億ユーロ…… 日本円にしていくらになるんだ?


「俺はこれからどうすればいいんですか?」

「とりあえず家に帰れ」

「家に? ……でも」

「警備の人間を用意しておいた。君はしばらく家でじっとしていろ」

 いや、それじゃ彩姉(あやねえ)が。

彩姉(あやねえ)…… いや琉城(りゅうじょう)(あや)さんが……」

 僕は後藤の部屋から持ち出したスマホを出し、今夜0時に彩姉(あやねえ)のオークションが行われることを女刑事に話した。


 風祭刑事は嫌悪感の混じった厳しい表情で僕の話を聞いていた。

 そして少しの間の後に言った。

「だからといって君ひとりでは何もできないだろ」

「……」

 その通りだ。

 しかし、それでも家でじっとしていることなんてできるわけがない。

「オークションが終わってもすぐにどうこうされるわけでもあるまい。大人を人知れず運ぶってのは意外と大変なんだ。神奈川連合については県警の方で既に動きがある。これから先は専門家に任せるんだ」

「……」

 そして風祭刑事は右手を出して言った。

「そのスマホは預かっておこう。君の行為は、厳密には窃盗だが、その件については目をつぶってやる。これは、私が県警の捜査チームに直接届けよう。メールの発信元が特定できれば隠れ場所を見つけられるだろうし、なにより連中を逮捕する直接の証拠になる」

「 ……判りました……」

 僕は後藤のスマホを女刑事に手渡した。

 必要なメールは既に自分のスマホに転送済みだ。


 車は僕の家がある磯子方面へ向かっている。

 僕にできることはもうないのだろうか?

 これから先は警察に任せる他はないのだろうか?

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