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美少女は死の香り

異世界に飽きた貴兄、貴姉に捧ぐ。


 00 アイスグリーンの瞳


 美しい少女だった。

 動かなければ、おそらく、人形と見誤っていただろう。


 天使?


 ゴスロリと言うのだろうか。

 少女は漆黒の古風なファッションに身を包んでいた。


 12、3歳くらいだろうか。

 整いすぎた顔立ちには僅かに幼さが残っていた。


 繊細で絹糸のようなプラチナブロンドは腰の辺りまで長く、朱い夕日を浴びて輝いていた。


 手には小型の拳銃(ハンドガン)


 白昼夢?


 少女だけではない。

 僕の視界の中のすべての光景は、あまりにも現実からかけ離れていた。


 南ドイツの旧い街、ハイデルベルグ。

 山の上の古城、深い森。

 中世の記憶を残した風景。


 サマータイムとはいえ、午後9時を過ぎてもまだ明るい空。


 銃口が僕に向けられている。


 森と古城を背景に立つ少女の右手には、天使のような容貌にはおよそ似つかわしくない、大口径の小型自動拳銃(サブコンパクト)が握られていた。そして、その拳銃の銃杷(グリップ)の根本に内蔵されたレーザー照準器(サイト)の赤い光点(ダット)は、今、僕の眉間をまっすぐに照準(ポイント)していた。


 彼女の拳銃が玩具(おもちゃ)などではないことは、乾いた風に微かに漂う硝煙の臭いと、赤土に転がっているいくつもの屍体が証明していた。


 僕は…… 死ぬのか?


 しかし、そんなときでも、僕の魂は、黒くぽっかりと開いた45口径の銃腔よりも空虚な、少女のアイスグリーンの瞳に吸い込まれて行きそうだった。



 01 ハゲじゃねぇ!


 新興住宅地、緩やかな坂を下りると街路樹の隙間からコンビニの看板が見えてきた。

 残暑厳しい8月の最終週。

 晴れ上がった空。

 肌を突き刺すような日差し。


 セミの声。


 遠くを見ればマンション群と、高速道路の向こうに林立する赤いクレーン、色とりどりのコンテナ船。

 湿った風に僅かな潮の香り。

 横浜港だ。

 

「?」


 気がつくと4人の男に取り囲まれていた。

 高校生くらいの若い男たち。

 黒いジャージに派手な刺繍の入った典型的ヤンキーファッションだ。

 金髪に茶髪、鼻ピアスもいる。

 初めて見る顔だった。


 正面に立ってガン飛ばしているのはリーダー格だろうか、しかしIQの低そうな顔。

 そしてさらにIQの低そうな3人が左右と後ろで囲んでいる。


愛羽(あいば)レオだな」

 リーダー格の男は僕の名前を告げた。

「そ、そうだけど…… 何の用、ですか?」

 トラブルに巻き込まれるのはごめんなのでとりあえず下手に出てみる。


「とぼけてんじゃねぇよ! 人の彼女に手を出しやがって」

「?」

 全く身に覚えがない。

「ハーフなんだか知らねえがイケメンだからってちょーしこいてんじゃねえぞ」

 確かに僕は日本人とイタリア人のハーフだ。

 しかし……

「全く話が見えないんですが…… 」

「何だと? とぼけやがってこの…… 」

 いきなり胸ぐらを掴んできた。

 上体を反らして躱すと相手の両腕を左手で跳ね上げる。

 右足で相手の左足を引っかけ、右腕を相手の左脇に入れ、上体ごと左に捻る。

「うぐ!」

 おっと、男の髪を掴む。

 頭から落ちたら大怪我をするところだ。

 リーダー格の男はそのままアスファルトに転がった。

「いて…… この…… 」


「あ、このヤロー」

 左右からふたり同時に殴りかかってきた。

 身を屈めて躱し、一歩前進。

 素早く振り向くと勢い余ってぶつかりそうになっているふたりの頭を押さえてそのままぶつける。

「い…… て…… 」

 頭を抱えて踞るふたり。


「あ…… 、うっ」

 後ろにいた男は睨み付けただけで後ずさり、躓いて尻餅をついた。

 

「てめ…… 」

 よろよろと起き上がったリーダー格の男。

 尻餅をついたままの男が叫ぶ。

「あっ! 思い出した。こいつ…… 柏陰(はくいん)のジェイソン・ステイサム」

「何? ……ハゲなのか?」

 とリーダー格の男。

「ちがーーう!」

 ここは声を大にして否定しておく。

 

「やめてーー 」

 向こうの方から女の子の声がした。

 ローズピンクのTシャツにライトグレーのジャージ姿。

 金髪で派手なアイメイク。


「かっちゃん、やめて。この人はそうじゃないの」

 女の子はリーダー格の男と僕の間に両手を広げて立ち塞がった。

「そうじゃないって、どういうことなんだ」

 かっちゃんと呼ばれたリーダー格の男は訝しみながら女の子を睨んだ。

「だから、この人はあたしが族に拉致られようとしたときに助けてくれた人なの」

「じゃ、じゃあ何でメアド登録してあんだよ」

「お礼のメールしようと思って、柏陰(はくいん)の知り合いに頼んで教えてもらっただけだよ」

 誰だ、余計なことしたのは……

「…… 」

「まいあが愛してるのはかっちゃんだけなんだからね…… 」

 抱きついている。

 真っ昼間、道の真ん中なんですけど……

 手下の3人はばつが悪そうにあたりをキョロキョロと見回している。


「それじゃ、誤解も解けたようなんで俺はこれで…… 」

 抱き合っているふたりを横目に僕はコンビニに急いだ。


 ただ、まいあという女の子が彼氏と抱き合ったまま僕にアイコンタクトを取ってきた意味がよく判らなかった。



 コンビニでミネラルウォーターのペットボトルと漫画雑誌を買って家に戻るとリビングで人の気配がした。

 ドアの向こうからテレビのニュースが聞こえてくる。

『……イタリア、シチリア島でマフィア同士の大規模な抗争が起こり、少なくとも10数名の死者と多数の負傷者が出た模様です。…… 』


 ドアを開ける。


 リビングには薄手のカーテンを通して夏の日差しが溢れていた。

 フローリングの床に50インチのテレビ、壁際にオーディオセット、中央には白いソファー。

 そのソファーに寝そべってチョコレートをぱくついている女子大生がいた。

 程良く肉のついた小麦色の生足が、オレンジ色のショートパンツから延びている。

 ネイビーブルーのタンクトップに包まれた自称Dカップの胸。

 実年齢より幼く見える化粧っけのない顔。


 相変わらず油断した格好だ。


 それにしても他人の家で寛ぎすぎだろ。

彩姉(あやねえ)、来てたのか」

「あ、レオ君。どこ行ってったの?」

「コンビニ」

 彩姉(あやねえ)が上半身を起こしてこちらを見た。

「今日はブラをしているだけましか…… 」

 彩姉(あやねえ)琉城彩りゅうじょうあやは隣に住む幼なじみだ。

 僕よりふたつ年上で大学生。

 合い鍵を持っていて勝手に家に入ってくる。

 僕のひとり暮らしを心配してドイツで単身赴任中の父が渡したものだ。

 ただし、料理や掃除をするでもなくほとんどリビングでテレビを見たりゲームをするだけだ。


「大学生は気楽でいいよな…… あれ? 今日からツーリング行くんじゃなかったのか?」

 僕はテレビのリモコンを操作している彩姉(あやねえ)に言った。

 平日の午前中はワイドショーかドラマの再放送ばかりだ。

 彩姉(あやねえ)は大学の自動車部に所属し、今日はツーリング合宿の予定日だったはずだ。

「部長が一昨日、箱根で滑ってね、合宿は中止だって」

 彩姉(あやねえ)が身を起こし、こちらを振り向いた。

 下唇にチョコレートが付いている。

「滑った?」

「旧道で地元の走り屋に煽られてスピンしたんだって。完全な自爆で、まあ本人にもケガはなかったんだけど、リア・アクスルが完全に逝ったって」

「煽られて自爆、て、若葉マークのあんちゃんかよ。一応ラリー屋なんだろ」

「本人は先週換えたピレリの皮剥きが済んでなかった、って言い訳してたけど」

 彩姉(あやねえ)はテーブルの上のティッシュを1枚つまむと、口の周りを拭った。

「 ……彩姉(あやねえ)も気をつけろよ」

「ありがと。あたしだってまだ嫁入り前の体に傷つけたくないからね。 ……これ本当においしいね。フランクフルトで買ったの?」

「もうちょっと南のノイゼンブルグって街」

 彩姉(あやねえ)の右隣に座る。

 洗いざらしのショートカットはシャンプーの匂いがした。

「ふーん、有名なお菓子屋さん?」

 彩姉(あやねえ)は褐色の欠片をさらに1粒、口に放り込みながら言った。

「お菓子屋じゃなくてホテルの中にあるカフェだけどね…… 地元では結構有名だって」

 僕はテレビのリモコンを掴んだ。

「そか、……いいなあドイツ。行きたいけど、まだ(STI)のローン残ってるし、そろそろブレーキパット換えなきゃならないし…… アウトバーンて速度無制限なんでしょ?」

「アウトバーン、て…… ドイツって言ったらロマンチック街道とかノイシュヴァンシュタイン城とかじゃないのかよ」

 彩姉(あやねえ)に一般的な女の子らしい台詞を期待するのが間違いだった。

「夏休みの宿題進んでる?」

 肩と首の周りに柔らかい感触があって、ほろ苦く甘い物が口の中に広がった。

 彩姉(あやねえ)が後ろから腕を回して僕の口へチョコレートを押し込んだのだ。

「ああ…… 」

 世界史のレポートを2日で何とかでっち上げようとしているところだ。

 リモコンで適当にチャンネルを変えた。

 ニュース番組だった。

『 ……メキシコのシナロア州で20日、交通事故で亡くなった日本人は身元確認の結果、アメリカ、アリゾナ州在住の日本人、田宮明さんと判明しました。現地の日本大使館では日本に住む田宮さんの親族と連絡を取り…… 』

 彩姉(あやねえ)は僕の手からリモコンを奪うと、またチャンネルを変えた。

 ワイドショーのグルメリポートだった。

「大変ねえ、受験生は」

 彩姉(あやねえ)はテレビには関心を向けず、僕の首に手を回したまま言った。

「俺はまだ2年だよ。で、何しに来たんだ」

「だってレオ君のお父さんから、くれぐれも息子を頼む、って言われてるから」

「社交辞令を拡大解釈するな」

 彩姉(あやねえ)はさらに体を密着させてきた。

「いいじゃない。レオ君だって一人じゃ寂しいでしょ」

 いろいろ柔らかい部分が纏わり付いてくる。

「どうせお菓子食べながらテレビ見てるかゲームしてるだけだろ…… 料理くらい作ってくれてもバチは当たらないと思うが」

 意外と筋肉のついた腕を振り解きながら言った。

「だって、料理ならレオ君の方がうまいんだもん。ねえ、また作ってよ、カルボナーラ。クリーム使わない本格的なやつ。あれって結構作るの難しいのよね」

「パンチェッタ切らしてる」

「ベーコンならうちから持ってくるよ」

「本格的なの食べたいんだろ」

「じゃあ買い出し行く? 行くなら車出すよ」

 目を輝かせている。

「あのねえ…… 彩姉(あやねえ)、近所で『残念な美人』って言われてるの知らない?」

「本当? 嬉しい!」

「何でだよ」

「だって『美人』って言われれば嬉しいじゃない」

「いや、褒められてないんだが…… 」

 皮肉や冗談ではなく本気で喜んでいる顔だ。

「あ、誰か来たみたい」

 玄関の呼び鈴が鳴っていた。


「お荷物のお届けです。愛羽(あいば)レオ様ですね」

 宅配便の配達だった。

「はい、ご苦労様です」

「ここに印鑑かサインをお願いします。あと、すみません、これ、本人確認サービスなので、身分証等の御呈示をお願いします。免許証か…… なければ旅券(パスポート)でもかまいません」

「あ、はい……旅券(パスポート)ですか…… 」

 僕は自室に戻って旅券(パスポート)を持ち、見かけの割にずっしりと重い小包を受け取った。


 差出人は……

 ソフィア(Sophia)……

「ソフィア?」

 荷物はB5判くらいの大きさで10センチほどの厚みのある段ボール箱。

 文字が書かれていた……

あなた自身を(L'usi per)守る(prote)ために。(-ggersi.) ソフィア(Sophia)

「守るために? って、何のことだ?」

 箱を開けた。

「…… 」

 中身を一目見てすぐに箱を閉めた。

 そしてクローゼットを開けその箱を一番奥に押し込んだ。

「何のつもりだ…… 」

 何を考えてるんだ、あの人は……


「アマゾン? またエッチなDVD買ったの?」

「違うって…… 『また』って何だよ『また』って…… 」

「えっちなことなら、おねえさんが教えてあ、げ、る」

 彩姉(あやねえ)は僕の首に両腕を絡ませ、ソファに押し倒した。

「やめろって、暑苦しいから…… え?」

 クッションと、自称Dカップの膨らみの隙間からちらりと覗いたテレビの画面に、僕の視線は釘付けになった。


 この子……


「レオ君て、こういう子が趣味だったんだ」

 彩姉あやねえは僕の体から離れ、起き上がるとテレビを覗き込んだ。

 僕はその言葉には応えず、しばらく凍り付いたように、じっと画面を見つめる。

 画面には12、3歳くらいの白人の美少女が映し出されていた。

 漆黒のゴスロリ風衣装を纏い、まるで人形のような整いすぎた顔立ち、腰の辺りまであるプラチナブロンド。


 そして何より忘れ難いアイスグリーンの大きな瞳……


 間違いない、あのときの少女だ。


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