8 ☆
♦︎ロキルside♦︎
テュナ、キオル、オルトたちは、黒い尾尻を揺らしながら部屋を出るロキルのあとを追いかけ外へ出る。そして村の中を少し歩き畑の近くまで来たところで、彼はクルリと反転して立ち止まった。
「では皆さん、あちらをご覧ください」
ロキルが後方を指差し、皆がつられて振り返る。と、そこには先日までこの村の領主であった、スクルータ・ドゥ・ディスハ・ヘルゼルトのきらびやかな甲冑が丸太に括り付けられていた。
「今からこの弓で、あの頑丈な鎧を貫いてみせましょう」
ロキルがそういった途端、重鎮たちが戸惑いの色を浮かべてこそそこと話し合いを始めた。
「一体なにをするのかと思って来てみれば……。帝国の鎧に穴を開ける?そんなの無理に決まっておろう」
「左様。たとえ怪力で弓を限界まで引いたとして、奴らの装備は世界一。鎖帷子の鎧なら容易に勝てたじゃろうが……」
「現に先の戦では、新装備の鎧を開発した奴らに致命傷を負わせることは叶わなんだ。故に我々は負けたのではないか……」
帝国の鎧は世界一と豪語されるだけのことはあり、彼らはその新装備のお陰で大陸随一の帝国として版図を広げてきた。
そんな新装備を前にした亜人たちは、人間より優れた肉体でこれに挑んだものの、ことごとく返り討ちに合い踏み倒されてしまったのだ。
落胆する彼らを目にしたオルトの瞳に光が宿る。が、彼がなにかを言う前に、ロキルは手を叩いて全員の視線を自身に向けさせた。
「皆さん、落ち込むのはまだ早いですよ。それを判断するのは結果を見てからにしてもらいたい」
「ふん、結果なんぞ最初から決まっておる!」
そう言って鼻を鳴らすオルトを無視したロキルは、会議が始まってから今までずっと静かに様子を見守っていたテュナを手招きして呼び寄せた。
「おいで、テュナ」
「ふぇ、私っ?」
「うん。これからキミに手伝ってもらおうと思ってね。ちょっと良いかい?」
「う、うん。私で出来ることなら喜んで!」
緊張した面持ちでロキルの隣に立つテュナ。肩の力が抜けるよう、彼女の白い耳を撫でてやる。と……。
「おい長!オレは?オレの出番はっ?」
「大丈夫、キオルにも後で頑張ってもらうから。ちょいと大人しく待ってろ」
「ほんとかっ?じゃあ待ってるぞ!」
約束を取り付けて意気揚々と小躍りするキオル。自分もロキルの役に立てると知って喜んでいるようだ。
ロキルは和やかな空気に戻してくれた彼に微笑を浮かべる。
(やっぱりキオルを呼んで正解だったな。馬鹿がいると怒るに怒れない空気になる。ほんと助かったよ、ありがとう)
若干失礼な感謝を胸内に留め、ロキルはテュナに向き直って、自身が持っている弓を彼女に手渡した。
「じゃあテュナ。この弓であの鎧を打ち抜いてみて」
「え、ええっ私がっ?ロキルがするんじゃないのっ!?」
「俺がしても意味が無いんだ。それだと納得しない人もいるだろうからね」
「う、うう……。私、弓なんてヘッポコだし……どうしても私じゃなきゃダメ?」
「まあ、テュナがどうしても無理だって言うんなら無理強いはしないよ。でも、俺はキミがしてくれると凄く嬉しいな」
「……ロキル、なんかその言い方ズルイと思う」
頰を膨らませてジト目で見上げてくるテュナに「ごめんよ」と言って頭を撫でる。すると、彼女は甘えるような声をあげてすり寄ってきた。
「う〜ん……。じゃあ、ちゃんと出来たら一つだけお願い聞いてくれる?」
「俺に出来ることならなんでも良いよ。それでキミが頑張ってくれるのならね」
「うん、分かった。じゃあね……私と結婚してくれないかなっ?」
「ぶはっ!?」
予想だにしていなかったテュナのお願いに、突然言い渡されたロキルは間抜けな声を吐き出し、思わず彼女の顔を見返した。
「け、結婚って……?」
「あ、う……だ、ダメ……だったかな?」
「ぅえ?え、あ……いや、全然そんなことない!むしろこっちからお願いしたいくらいだよ!」
「本当にっ!?嗚呼良かったぁ……」
盛り上がった二人は、場違いであるにも関わらず熱い抱擁を交わし、それを見ていたキオルが「これが勝ち組ってやつか……」と死んだような目を浮かべて灰になり、重鎮たちは「若いっていうのはええのう」と遠い目をして彼らを見守った。
しかし——。
「——うおっふんっ!……長。話が全然進んでおらんのだが、そろそろ始めてもらってもよろしいかな?」
イラついたオルトの咳払いで、現実に呼び戻されたロキルは慌てて頷いた。
「あ、ああ!すいませんでした。これから少し準備しなければいけないので、待っていて下さい」
そう言い残すと、ロキルはテュナの手を引いて彼らから少し距離をとった。
「これからは真面目にいくよ。良いね?」
「う、うん。頑張るっ!」
テュナの意気込みを確かめたロキルは、彼女に握らせた弓に視線を落として説明を始めた。
「この弓はコンパウンドボウって言ってね、別の大陸で誕生した最新式の弓なんだ」
「そうなんだ……。でも、ずっと私たちといたロキルがどうしてそんなことを知ってるの?」
「えーっと……それは企業秘密ってことで」
「き、金魚秘密……?もぅ全然分かんないよ」
頰を張って耳を寝かせるテュナ。その様子があまりにも可愛らしく、ついついからかってやりたくなるのを抑えてから口を開いた。
「まあそんなことは重要なことじゃないんだ。さぁ、早速本題に入るけど、これがハンドルライザーって言うんだけど、まずはそのグリップを握ってみて」
「なんだかまたはぐらかされたような……まぁいつものことだし良いかな」
どうにか納得してくれた様子のテュナ。彼女はハンドルを握ると、う〜んと首を傾げて唸った。
「どうしたんだい、なにか気になるところでも?」
「え?ううん。色々と付いてる割には軽いなぁって。それに、この持ち手のところ凄く握りやすいし」
「軽いけど頑丈だよ。それにハンドルは人が握りやすいように改良されているからね」
「へぇ……そうなんだ!」
感心したようにテュナは頷き、こちらは説明の続きをするように促した。
「それで、この矢を弦のノッキングポイントに番えて」
「この垂直になっている方の糸だよね。……これで合ってる?」
「うん、そうそう。で、足を肩幅くらいに開いて……。まあ、あとは弓の基本通りに狙いをつけて引く感じだね」
「またロキルったらそんなざっくりと……本当にそんなので大丈夫?もっと複雑なことしなくて良いの?」
「大丈夫大丈夫。よっぽど下手じゃない限り、矢を水平に撃てばちゃんと当たるはずだから。ほら、頑張って」
「うぅ……。それって、ハズしたら私が物凄くヘッポコっていうことになるんじゃ……」
「うん、そうだね。そうなっちゃうから頑張って当ててね」
「はうぅ……!」
テュナが体を小さくして竦んでいると、離れた所からオルトの苛ついた声が飛んできた。
「族長、我々も暇ではないんです。やるのなら早くやって頂きたい!」
「おーいテュナぁ!早くやって俺と代わろうぜぇ!」
「ほら、皆んな待ってるから。頑張ろう!」
「えと、練習はぁ……?」
「基本が出来てるんだから大丈夫だよ。俺を信じて」
「う、うん。信じる……!」
テュナをその場で置き去りにし、ロキルは皆と同じところで彼女を見守ることにする。
「い、いつ撃ったらいいのっ?」
「自分のタイミングでどうぞ」
あてにならない回答を受けてテュナは耳を寝かせる。が、なにか吹っ切れたかのように息を吐き出すと、彼女は矢を番えて約100メートル離れた大鎧へと照準を向けた。
その表情は真剣そのもので、恐らく彼女が弓の稽古で、これほど射ることに集中したのは初めなのはないだろうか。
そして狙いをつけてから数十秒後、全くブレることなく放ったテュナの矢が真っ直ぐ真っ直ぐ吸い込まれるように鎧へと飛んでいき——
——ガツンッ!!!!
大きな衝撃音を響かせて鎧の頭部を貫いた。
「ん……うおっ?うおっ!うおおおおっ!?つ、貫いたぞ!あの帝国の鎧を……まるで生身にあっさりと突き刺したぞっ!!」
「なんと……本当にやりおったわ……!」
それまで疑心暗鬼だった重鎮たちが、掌を返すように歓声をあげてロキルへと口々に賞賛の言葉を述べた。
「ロキル、やはりお前は天に恵まれておるのだ!良くあの様な武器を思いついてくれたな!」
「これで帝国に勝てる!奴らの装甲を無力化すれば、最早ただの鈍重な的ではないか!」
「お前を長にしたのは間違いではなかった!これから村の者たちを率いてくれ!」
ロキルは、まるで子どもになって大喜びする彼らをなだめ、惚けた様子で突っ立っているテュナへ駆け寄った。
「見事だったよテュナ。ちゃんと当たったじゃないか」
「う、うん……そ、そうだね!」
「どうかしたのか?あんまり嬉しそうに見えないけど」
「ふぇ?そ、そうかな……?ちょっと現実感がないのかも。あ、あはは……。——そ、それより!あ、当たったね!」
「うん、当たった当たった」
「結婚……してくれるんだよねっ?」
「もちろんさ。愛してるよテュナ」
「うん!私も愛してるよっ!」
そうして抱き合い、再び二人の世界へ落ちようとしたところで。尾尻の毛を逆立てたオルトが怒気を孕んだ口調で鎧へと歩み寄る。
「たかが弓で鎧を貫いただとぉっ!?バカなことをヌケヌケと!どうせなにかしらの細工をしていたんだろう!」
「そんなに疑うのならどうぞお確かめ下さい」
「ふんっ!ハッタリなんぞかましよって!……ぬ?」
「どうかしましたか、オルトさん」
「ほ、本物……だ、と?」
「ええ、そうですよ。ですから最初からそう言っているじゃありませんか」
鎧を手に取り、強度を確かめていたオルトの肩がワナワナと揺れる。
「う、嘘だ!これは……そう!鎧は鎧でも、帝国の鎧ではないんだ!そうだ、きっとそうに違いない!はっはははっ……皆んなまんまと騙されよって……!」
「いい加減目障りだな……」
「なっ、なんだとっ!」
決して大きな声ではなかった。だが、それでもロキルの言葉は不思議とオルトのところまで届いた。
「分からない奴だな。目障りだと言ったんだ」
「ひ、ひぃ?」
ロキルのあまりにも冷たい視線を受けたオルトが腰を抜かしてその場に座り込む。ロキルはゆっくりと彼の元へ歩み寄った。
「ろ、ロキル?ど、どうしたの急に……」
「大丈夫だよテュナ。直ぐに終わるから」
明らかに先ほどまでとは違う態度を見せるロキルに、テュナやキオル、その場にいた誰もが氷に取り憑かれたかのように動けないで固まっている。
ゆったりと近づいてくるロキル。悲鳴をあげたオルトは、かろうじて力の入る上半身だけで、彼に背を向けて後ずさる。
「ば、化け物か……。お前、なにか取り憑いてるんじゃないのかっ!?」
「そうだな。確かに取り憑いてしまっているのかもしれない」
オルトの目は一体なにを捉えているのか……。彼は産まれたての子鹿のように震える。さらに、下腹部辺りにジンワリとシミが広がっていた。
ついに逃げることが叶わなかった彼の肩に、ロキルは手を置いて冷酷な微笑を浮かべた。そして他の誰にも聞こえぬように低く小さな声を発する。
「そう怯えることはないさ。俺たちは仲間だ、そうだろう?」
「な、仲間……?」
「そうだ。お前のように、たとえ配給品をかすめ取っていたような屑でも仲間であることは確かだ」
「は、配給品を……。お、俺はそんなこと!」
「はは……。嘘が下手なんだね。顔に「どうしてそれを」って書いてあるよ」
ロキルの浮かべる冷笑に耐えきれなくなったオルト。彼は顎を震わせて、自ら口を割るような言質で尋ねる。
「だ、だったら!俺にどうしろと……!」
「簡単だよ。俺の命令に黙って従っていればそれで良い。そうすればいずれ、横領品とは比べ物にならない程の恩恵が手に入る。約束しよう」
「わ……分かった。長の言う通りにする!だ、だから殺さないでくれ……!」
「ありがとう。分かってくれればそれで良いんだ」
ロキルがそう言うと、彼に纏わりついていた冷たいオーラが嘘のように霧散し、そこにはいつもの優しい風貌を浮かべる少年の姿が戻っていた。
「皆んなお待たせ。オルトさんが認めてくれたから、続きをはじめましょう。……あ、そういえば次はキオルの番だったな。じゃあ先ずは彼から撃ってもらいましょう」
「あ、ああ。そ、そうだな!よ、よぉーし、オレだって当ててやるぞぉー!」
沈黙を破ろうとしたのか、妙に張り切った声をあげるキオルに弓と矢を渡す。
——その後はスムーズに試射会が進行し、見事全員が的を射ることに成功した。
そして、コンパウンドボウの実用性を証明させたロキルは、これの増産に皆の同意を得ることに奏功するのであった。