3 ☆
♦︎ロキルside♦︎
「ひぃぎゃああああああっ!!??」
「たっ、助けてくれえーっ!!」
「痛いよぉっ!痛いよぉ母さぁんっ!!」
両方の腕から鮮血が吹き出し、切り落とされた腕をくっ付けようと必死に地面を這いずり回る兵士たち。その側で返り血を浴びて眺めていたロキルは泣き喚く兵士の頭を踏んづけた。そして瞬く間に勢いを失ってしまったスクルータたちへ視線を向ける。
「どうしたんだいキミたち。可哀想だから早く助けてやりなよ、仲間なんだろ?」
剣についた血糊をヒュッと吹き飛ばして余裕の構えを見せつける。そんなロキルの態度に、数瞬言葉を失っていた兵士たちが揃って顔を青ざめた。
「ば……馬鹿な!ハイウルフに劣るローウルフのガキが……。それに、魔力拘束具を付けていてこの強さなど……絶対にあり得ん!」
「ん?ああ、この首輪のこと。実はこれ、来る途中で無力化させてもらったよ」
「……は?」
「まあ、ちょっと賭けに近い強引な手段だったけど……。結果はほら、この通りさ」
ロキルはそう言うと、首に取り付けられた拘束具に手を掛けて勢い良く引き千切ってみせた。
魔力が込められていたはずの、頑丈な鉄の輪っかをいとも容易く破壊してしまったロキルを見て兵士たちが絶句する。
「ほら、これで魔力が使えるって分かっただろ?」
「そ、そんな……嘘だ……」
腰が引けて後退りする兵士に、焦りを滲ませたスクルータが馬上から檄を飛ばした。
「な、なにをボサッとしておる!魔力が使えようと所詮相手はガキ一匹だ。取り囲んで息の根を止めてやれ!」
命令を受けた兵士たちは、慌ててロキルを中心に置いて十数人で取り囲む。ロキルは兵士たちをザッと見渡して黒の尾尻を楽しげに揺らした。
「三十人くらいか……ちょっと多いかな」
「かかれえぇ!!!!」
「悪いけど、手短に終わらせるよ」
雄叫びをあげて武器を振り回す兵士に向かって、ロキルは何もない空間を剣で薙ぎ払った。
「——え……ええ?」
何が起きたのか理解する前に、三十人程の兵士たちが胴体から真っ二つに両断されて地面に突っ伏した。勢いが余っていた下半身は血飛沫を上げながら、倒れ込んだ上半身から二、三歩も走った所でようやく膝をつく。
最早地獄絵図と化した惨状を目の当たりにしたローウルフの女性たちは、胃の中のものを吐いたり白目をむいて失神してしまった。
その中でも意識を保ったままでいた数人の中にはテュナの姿があり、彼女は目の前で繰り広げられている悪夢を目に焼き付けるようにジッと見据えていた。彼女ほど気の強い女性はそうそういないだろう。
ロキルはテュナから目を逸らして、馬上にポツンと佇んでいるスクルータに身体を向けた。
「もうキミだけになっちゃったみたいだね。逃げる?戦う?どうする?」
「う、うわ……」
「うわ?」
「う、ううう……うわあぁぁぁ!!化け物めぇっ!!!!」
てっきり逃げ出すのだろうと思っていたロキルは、馬の腹を蹴って切り込んできたスクルータに対し、尾尻を揺らして賞賛の言葉を投げつける。
「へぇ、流石百戦錬磨の帝国騎士様だ……。キミだけは敬意をもって殺してあげるよ」
「ファエクス大帝国に栄光あれ——」
スクルータの首が血飛沫とともに宙を舞い、血溜まりを作った地面にベシャリと落ちた。その顔は自分の首が切り離されたことなど理解していないのか、鋭い目付きのまま白い雲が流れる青空を鬼の形相で睨みつけている。
「これが俺なりの敬意の仕方だ。他と違って痛みなんてなかったろう。感謝しろよ」
肩の力を緩め、吐息を漏らしたロキルは、握っていた二本の剣を地面に突き刺し、テュナたちの方へ歩み寄る。全て終わったことを悟った彼女は一目散にロキルへ駆けつけた。
「ロキル……!ロキル!」
「……待たせてごめん。大丈夫だったかい?」
「うん、私も皆んなも大丈夫……。ロキルはその怪我……大丈夫?」
「ん?ああ、これ返り血だからね。全然大丈夫さ」
全身のほとんどを血で染めたロキルの顔を、テュナは両手で拭い取ってくれた。そして二人はお互いの顔を愛おしそうに見つめ合う。
ロキルは、目の端に涙を浮かべて微笑む彼女を抱き締めた。彼女の命の温もりを全身で確かめ、やっと大切なものを護ることが出来たのだと実感する。
そうやってお互いの尾尻を絡め合っている最中、怒気をはらんだ男の声がロキルの後方からぶつけられた。
「ロキル……!貴様、自分がなにをしでかしたのか分かっているのかっ!?」
抱擁を解き声の主へ振り向くと、そこには顔を真っ赤にさせて憤慨する65歳前後の男——ローウルフの族長であるヴォリスの姿があった。
他にも親友のキオルや仲間たちが続々と集まっていた。彼らは目の前に広がる血の海から一様に目を覆っている。
ロキルはヴォリスを無視してキオルの方へ身体を向けた。
「どうしてキオルたちがここにいるんだい?確か皆んなを広場に集めるように言っておいたはずなんだけど……」
本当は、戦闘の終盤頃から、彼らの存在には気がついていた。しかし、分かっていたからといってテュナを諦める訳にはいかなかったのだ。
……ロキルの質問に、キオルは吐き気を我慢しながら呼吸を整えて応える。
「す、すまねぇ。一応皆んなを広場に集めようとしたんだけど……。ロキルたちのことを話したら、皆んな心配になっちまって……」
「ああ、そういうことか……」
(確かに集めておくようには言ったけど、口封じの方は言ってなかったな。やれ……面倒だ。本当なら盗賊の仕業にしようと思ってたんだけど、この人数の記憶を消すのは無理があるか。仕方ない……)
内心舌打ちを打ったロキルは、キオルの失敗に対しそれ以上追及するのをやめる。……と、青筋を立てたヴォリスが再びロキルを怒鳴りつけた。
「……ロキル、話を聞いておるのか!?この有様は一体どういうことなのか説明しろ!」
「説明、ですか。見ての通り俺が殺したんですけど……それがなにか?」
「き、きさっ……!貴様、それを本気で言っているのかっ!?兵士はおろか騎士様まで……これがどういうことになるか知っているのかっ!?我々が帝国に反乱したということになるのだぞ!!」
「ええ、もちろん知っていますよ。だから、それがどうしたというんです?」
「な、なぁっ?……正気か貴様!」
ヴォリスの予想通りな反応を受け、ロキルは彼を見下すように鼻を鳴らした。
「反乱?……ふんっ上等じゃないですか。このまま家畜でいるより、帝国から離反して自由に生きていく方がよっぽど良いでしょう」
「自由な暮らしだと?はっ、笑わせるな。よもや貴様、我々が帝国に支配されている理由を忘れた訳ではあるまいな?」
そんなことはロキルとて忘れた訳ではない。ローウルフたちは三年前、大陸の中央部——ベスティア地方に住む亜人たちの討伐に本腰を入れた帝国軍に完膚なきまでに蹂躙されたのだ。
……今もなお抵抗を続けている亜人たちが存在しているが、ローウルフのように種の存続のために魔石牧場を余儀なくされた者たちが大勢いる。
「確かにあのとき俺たちは負けた。でも、だからといって次も負けるとは限らない」
「それを言うなれば、勝つ保証もないということだ。無駄に血を流すのではなく、少しの犠牲で平和を保つ方がより幸せであることは明白。貴様の親父が扇動したあの戦で、一体我々は幾人死んだ?5千人いた一族は千人まで数を減らしたんだぞ。今度帝国に歯向かえば、間違いなく一人残らず皆殺しにされるだろう」
「なるほど、小さな犠牲で幸せな平和をですか……」
「ああそうだ。だから騎士様方に対し謀反を起こした貴様を帝国へ引き渡すことにする。なに、貴様の命一つでテュナや皆んなの命を守ることが出来るんだ。安い物ではないか、ん?」
そう言ってロキルの肩に手を置くヴォリス。その顔は表面こそ菩薩のように優しく照らしだされているが、その内面からはドス黒い敵意が溢れだしていた。
確かに……。確かにヴォリスの言っていることは理解出来る。それにロキル自身、実際彼の主張は正論であるとも思っていた。だが、だからといって引きさがる訳にはいかなかった。
(だって——)
「——ではお聞きしますけど、少しの犠牲ってなんですか?」
「なに?」
「この三年間、帝国の支配を受けてから死んでしまった仲間の数。あなたはそれをご存知ですか?」
「………………」
「ああそうですか知りませんか。良いでしょう、ではお教え致します——約700人です。これって、果たして少ない犠牲なんでしょうか?」
「それは……。だが、あのとき服従していなければ、今頃我々はこの世にはいなかっただろう」
「本当にそうだったと思います?」
「なんだと?」
「本当にそうだったのかと聞いているんです!」
突然激しい剣幕でヴォリスに詰め寄るロキル。ヴォリスは少し面食らったあと、ロキルに対して真剣な眼差しを寄越して答えた。
「我々ローウルフは戦闘民族だ。その特性を知っている帝国は、我々に対していずれ害を与える危険な存在として排除しにくることだろう」
「それは嘘だね」
「なぜだ。なぜそう言い切れる!現に、他者に屈することに抵抗したのは貴様の父親ではないか。それが全ての証拠だ。私は戦うことにしか能の無い貴様らの為に、知恵を振り絞って帝国に慈悲を乞うたのだ。褒められこそすれ、蔑まれることではないわ!」
それを聞いた周りの者たちから「確かにそうだよな……。俺たちが馬鹿だったんだ」という声が散見する。
確かに……それが本当に彼の手腕の結果なのだとすれば、これ以上とない生存戦略であったことだろう。だが——。
「父さんは決して馬鹿だったんじゃない。ただ皆んなを助けようとしただけだ!」
「だから、それが全ての過ちであったというんだ!何度言わせれば気がすむというのだっ!」
「ええ、あなたがそう言い張っているうちは何度だって言ってやりますよ。——いえ、もう分かりました……全部俺の口から皆んなに言ってやります。真実をね……」
「真実……?ま、まさかお前っ——」
ロキルが一体なにを言おうとしているのか、なにかに思い至ったヴォリスはハッと目を丸くさせて止めようとする。が、しかしもう遅い。村人はこの男に騙されていたのだ——。
「——戦が始まる前、実はこんなものが、帝国から父さんに送りつけられていたんだ」
「ぬわっ?そ、それは!?な、なぜその書状を貴様なんかが持って……」
ロキルの懐から取り出された一通の書状。それを目にしたヴォリスは、さらに目を見開かせて驚愕気に打ち震えた。
その書状には、はっきりと帝国の印鑑が押されていることから、それが紛れもなく帝国からの文であることが容易に想像することが出来る。
ロキルは大きく息を吸った後、書状を高々と掲げてこう述べるのだった。
「この書状には大人しく帝国に従えば、村人の命を差し出すことと引き換えに、父さんとその一族の安全を保障するという条件が記されている!」
「なっ?そんなものが送りつけられていたのかっ!?」
「じゃ、じゃあロレフ族長は、みすみす俺たちを売り飛ばすことに反対して……」
そう、全てはその通りだ。ロキルの父ロレフは、分かっていながら他人の命を犠牲にしてまで己が助かりたいなどとは思っていなかったのだ。それ故、帝国に争う道を選んだのだ。
ロキルは掲げた書状を、狼狽するヴォリスへ向けて言い放つ。
「こいつは皆んなの為にと言っておきながら、自分たちは関係ありませんよと、ずっと安全圏からのうのうと生きて来たんだ!」
「違う、違う、違う……!」
「さらにこの書状には、帝国から送られてくる配給品として、塩・胡椒・砂糖・酢・酒・肉……などその他諸々の嗜好品類が提示されている!」
ロキルは村の重鎮の一人である壮年の男、ロルフにその書状を手渡して確認させる。
「ほ、本当だっ!他にも菓子や帝国金貨まで譲歩されている……。こんなもの、帝国に支配されてから一度たりとも目にしたことなんてないぞっ!」
書状がそれぞれの手に渡り、それを認めた人々は、怒りに満ちた形相をヴォリスへと向けた。
「族長が俺たちを裏切っていたっ!良く良く思い返してみりゃあ、長に所縁のあるヤツだけなんの被害もなかったな!親族を失っていないヤツなんてコイツラだけじゃないか!」
「俺たちの子どもが餓死で死んでいる間、たらふく美味いもん食っていやがったって訳か。クソ、てめぇ……レミルを返しやがれっ!!
「裏切り者は極刑だ。縛り首にしてやれ!」
「おい、誰か縄を持ってこい!嬲り殺しにしてやるっ!」
「あ、ああ、あああああ……!」
ロキルがそれ以上なにかを言うまでもなく、怒りで頭を沸騰させた村人たちの視線に耐えらなかったヴォリスが頭を抱えて膝をついた。
……その後真意を問いただすべく、村人に裸で縛りあげられたヴォリスは、隠していた横領品のありかを自白させられた。
その証言の真相は正しく、彼の家から三百メートルほど離れた山の斜面の隠し地下室から、大量の調味料や干し肉など、その他諸々の嗜好品が押収された。
そして、ロレフ宛てに送られたものと全く同じ書面の書状が、引っ剥がした彼の衣服の懐から発見されたのであった。
どうやら、帝国から約束を反故にされない為に、いつも肌身離さず持っていたらしい。
……ロキルは、縛り上げられたヴォリスが納屋へ放り込まれるのを黙って見送った。
(監視兵の交代までには優に一週間ある。それまでに色々と準備しておかないとな)
そんなことを胸内に秘めながら、ロキルはその場から静かに姿を消すのだった。