1 ☆☆
新章です!
♦︎スードル・ドゥ・ヤクルフ・ファエクスside♦︎
ところは変わり、こちらは中央大陸の中央部。ファエクス大帝国北方辺境領であるブラッタ属州。
その首都の貴族街にある、一際大きな邸宅にその男はいた。
「こちらの報告書をご覧下さいスードル殿下。今年も良質な魔石が多量に収穫できた模様です」
「へぇ、どれどれ……」
浅黒い肌でくせ毛の髪型が特徴的な壮年の人物が、机を挟んで座っている彫りの深い青年——スードルに報告書を手渡した。
それを受け取った彼は「へぇ、これは凄いな」と感嘆の声をもらす。
スードル・ドゥ・ヤクルフ・ファエクス。彼はファエクス大帝国の第6皇子である。5年前からこのブラッタの周辺諸国を統括する総督として任命され、それ以来まで停滞していた帝国の版図を急速に拡大させた若輩のやり手だ。
スードルは報告書を適当に机へ投げ捨てると、浅黒い肌の男に視線を向ける。
「それで、このうちのどれくらいが僕の手元に残るのかな、セルウス君」
「本国からは、収穫の6割を引き渡すよう要求が寄せられております」
苦い表情を浮かべるセルウスとは対照的に、スードルは余裕の態度で背もたれにもたれかかった。
「へぇ、それはえらく強気に出たものだな。まあ別にいいんけど……」
「ですが……。本当によろしいのですか?」
「なにがだい?」
「収穫の6割もの量を奪い取られてしまうのですよ?これではブラッタや近隣地域の財政が立ち行かなくなってしまいます」
ブラッタ属州では、主に魔石の輸出によって内政が保たれている。逆に言えば、その他の資源は著しく乏しいもので、魔石以外での収益は望めない土地である。強いて言えば材木程度のものだろう。
だが、スードルはそんなことは露ほども知らぬ様子で、黒い笑みを浮かべた。
「そうだな。ならもっと領土を広げれば良い。亜人たちを征服し、大陸中央部の魔石をブラッタが独占するんだ」
「それほどたやすく参りますかどうか……。現にエルフやハイエルフそれにハイウルフなどといった上位種の抵抗は凄まじいものです。征服を果たす前にこちらが根をあげてしまいましょう」
怪訝な心情を吐露するセルウスの考えに、スードルは手を横に振って否定した。
「それについては問題ない。陛下や兄さんたちは魔石をかき集めるのに必死だからな。ブラッタを見捨てる様な馬鹿な真似はしない」
「たとえブラッタを見捨てなくとも、殿下を批難し総督の任を解くかれるやもしれません……。最悪の場合、皇位継承権を降格されてしまい兼ねます」
「確かにそうなれば厄介なものだ。だが、陛下らには僕から与えられた恩義が多いにある。それに加えて民からの支持も熱い。もし僕に牙を向たのなら、それは結果的に己の首を絞めることになるだろうな」
そんな風に自信にありふれたように笑みを絶やさないスードル。セルウスは眉根を寄せて心配そうに顔を歪めた。そんな彼を励そうとスードルは再び黒い笑みを送る。
「大丈夫だセルウス君。すでに征服に向けての手は打ってある。君の懸念は杞憂に終わるだろう」
「……分かりました。それならばよう御座います。……ですが、慎重にことをお進めなされますよう。くれぐれもよろしくお願い致します」
「もちろんだ」
スードルは最後まで黒い笑みを絶やすことなく、そう頷いたのであった。
♦︎ロキル side♦︎
スードルがなにやら策を講じていた数時間後。ローウルフの村ではある出来事が起きようとしていた。
「おいロキル!ロキル!」
「ふえぇっ!なにっ!?」
「煩いな……聞こえてるよ」
族長宅で眠りに就いていたロキルとテュナ諸共叩き起こすキオル。ロキルは眼をこすりながら以前なら笑えない冗談を飛ばして大きな欠伸をかました。
「なんだよキオルこんな朝早くに……もう帝国の奴らがピクニックにでも来たのか?」
「いやそうじゃねぇけど……ってテュナっ!?す、すまん!なんか邪魔しちまったかオレっ!!??」
一つのベッドで、ロキルへ寄り添うように横たわっていたテュナを目撃したキオルは、頭を抱えて部屋を飛び出してしまった。
「落ち着けキオル!ただ添い寝してただけだからっ!」
「ただ添い寝してただけだって!?そんな破廉恥な行為、俺が許した覚えはないぞ。この裏切り者っ!」
扉の向こうから咽び泣くような大声をあげるキオル。ロキルはやれやれと頭を振って扉を開け放った。
「恋人と戯れてなにが悪い、この童貞野郎っ!」
「色男め……お前には失望した!親友だったのにっ!」
「ね、ねえキオル……?なにか急いでるんじゃなかったの?」
照れ隠しで互いにオーバーに罵り合う二人を見兼ねたテュナが、彼らの間に割って仲裁する。
すると、キオルはハッと手を打って「そうだった。遊んでる場合じゃねぇ!」とロキルの肩に手を置いて慌てて捲し立てた。
「夕方交替した見張り台から報せが届いたんだけどさ!村の麓に盗賊がわんさか集まってて、今までに見たことがない数に膨らんでるんだってよ!一応もう何人かが村中で、皆んなに避難するよう駆け回ってる!」
「数が多いったって、多くて精々三百人くらいだろ?もう皆んなの拘束具は解除したんだし、十人くらいで充分に対処できるだろ。今更そんなに慌てることじゃない」
帝国の支配を受ける前から、亜人たちは盗賊などからその命を狙われて来た。捕らえた男の目の前で女を凌辱し、全てを愉しんだ後に魔石を奪い取るのだ。
帝国の支配により力を失ったローウルフたちは、帝国の兵士によってこれらから守られて来たが、支配から脱した今では盗賊などという脆弱な組織はまるで相手にならない。
ロキルは正確にそのことをキオルに伝えるが、彼は地団駄を踏んで興奮したように大きな声をあげる。
「そんなことは俺だって分かってるって!そうじゃなくてさ、あの弓!あの弓を使わせてくれないかっ!?」
「うん?……ああ、そういうことか」
キオルの言いたいことを理解したロキルは苦笑した。要するに彼は、実戦の中でコンパウンドボウの性能を確かめたいのだ。
本来、盗賊程度が揃えているお粗末な装備の前では、コンパウンドボウの力に頼る必要性はない。しかし、まだコンパウンドボウを手にとって日が浅い今、実際に動く敵を打つ練習にはもってこいの的である。
「分かった。じゃあ十人で五つの弓を交替で使って。一人五射まで許可するよ。念のために俺もついていくけどな」
「流石ロキルだぜ話が早い。もう討伐隊は呼び出してるんだ。急ごうぜ!」
「ね、ねえ待って!私も連れて行ってくれないかなっ!?」
黒い尾尻を振り、早速駆け出そうとしたロキルの背後からテュナが呼び止めた。ロキルは振り返って彼女のもとへ駆け寄る。
「キミにとっては面白いものじゃないよ?俺としてはもう、ああいうところを見せたくないんだけど……」
「……うん。私も出来たらあまり見たくないよ。でも……ちゃんと見ておかないとダメなんだと思う!」
「え……?」
ロキルはこの時、テュナがなにを言いたいのか分からなかった。その矛盾している言葉に困惑していると。言葉に詰まっているのを理解したのか、彼女はとつとつと話し始めた。
「確かにね、盗賊も帝国も私たちにとっては悪い人なんだと思う。でも、彼らにだって大切ななにかがきっとあると思うんだ」
「でもテュナ。それは……」
「分かってる。私たちにだって大切なものがあることくらい。でもね、だからってただ殺せば良いっていうことじゃいけないと思うんだ」
「——っ!ど、どうしたんだいテュナっ?」
突然涙を零してしまったテュナを見て、目の前が真っ白になりそうになった。どうしても彼女を泣かせてしまった理由が思い当たらない。
取り敢えず涙を拭おうとテュナの顔へ手を伸ばす。と、彼女はその手を振り払ってロキルの腰に勢い良く抱き着いた。
「テュ、テュナっ?お、落ち着いて……」
「——今のロキル、なんだかすごく楽しそうっ!私……あなたがまた楽しそうに人を殺しているところなんて見たくないっ!」
「——っ!!」
人を殺すことを楽しんでいる自分がいる……。
(俺が?そんな訳……)
『いやいや、実に愉しそうであったではないか——』
(なっ!オプス!?くそっ、こんなときに……!)
オプスの声がロキルの頭の中で突然鳴り響き、その重厚な低い声の振動が痛みを伴って彼は思わず突っ伏しそうになる。
がしかし、オプスの声はそれ以降聞こえることはなく、ロキルは歯を食いしばってすぐさま立ち直った。
「ご、ごめんロキル……。私、酷いこと言っちゃった……」
「う……ううん。全然気にしてないからっ。ほら、涙を拭いて」
「うん、本当にごめんね……」
「おいどうしたんだお前ら。なにかあったのかっ?」
遠くから見守っていたキオルが心配そうな面持ちで駆け寄ってくる。
「いや、なんでもない。テュナもついて来ることになったから。それだけ」
「え……いいの、ロキル?」
「もちろん。でさ、俺が俺でなくなったら……テュナは俺を護ってくれるかい?」
「……っ!わ、分かった!ロキルのことは私が護ってあげるっ!」
「なんの話しをしてるんだ?ロキルを護んのはオレの役目だろう?」
一人だけ話についていけずに首を傾げるキオル。ロキルとテュナは、そんな彼に「なんでもないよ」と笑顔で納得させた。
それから三人は各々武器を手にすると、村の出入り口に集結している討伐隊と合流するべく駆け出したのであった。