第7章 天地は生かすこともあれば死なせることもある
西部方面軍が侵攻を再開した。
予想よりも早く、ある意味「奇襲」みたいなものだったが、想定の範囲内だ。だれもが「この日が来る」ことを予想しており、心構えはできていた。
役人たちはすみやかに対応し、軍人たちはただちに出動する。手際がいい。
それこそ「呉越同舟」と言うように、共通の危機を前にすれば、だれもが協力しあうようになるのだろう。だからパニックも起こらない。まさに不幸中の幸いだ。
まだ避難を終えていない首都――リンデルの領民たちは、役人や軍人たちの誘導のもと、予定を前倒しにして避難を急ぐ。
家財道具を持ち出す余裕もないが、あきらめるしかない。一部の領民には不満もあったが、他の領民から説得されて納得していた。
スピオン宰相は宰相府にいて役人たちに指示を出し、ケイオス将軍は司令部にいて将兵たちの指揮を執る。しかし、後方にいては前線のことがよくわからない。だから、
「侯爵閣下のお許しも出たので、わしはこれより出陣する」
ケイオス将軍はサクヤの部屋を訪ね、別れの挨拶をした。その表情は真剣そのものだ。死を覚悟しているようにも見える。
「ご武運を祈る」
サクヤが真顔で応じると、ケイオス将軍は「うむ」とうなずいた。
「ときにサクヤ殿に伺いたい」
「前にも言ったが“殿”はいらない。“サクヤ”でいいぞ」
サクヤは、ほほ笑んだ。顔だちが女の子っぽいせいか、ケイオス将軍のひ孫娘のように可憐に見える。
「あぁ、そうであったな……」
ケイオス将軍はサクヤの笑顔につられるように苦笑いした。知らず緊張感もやわらぐ。
「改めてサクヤに問いたい。この戦い、本当に勝機はあると思うか?」
「ある」
サクヤは力強く答えた。
「ただ勝算はあるが、みながハッピーエンドに終わるとは限らない。バッドエンドで終わる者も出てくるだろう」
「つまり戦死者も出る、ということか?」
「そうだ」
「それは当然だろう」
ケイオス将軍は意外そうな表情をしていた。まるで「サクヤはおかしなことを言う」とでも言いたげな表情だ。
「勝敗は兵家の常というが、生死も戦争につきものだからな。死なずにすむ者もいれば、死んでしまう者もいるだろう。常識ではないか」
今度はサクヤが意外そうな顔つきをした。
「将軍にはわきまえがあるようなので安心した。侯国の人間は必ずしもあの宰相のような考えとは限らないのだな」
そう言えば、スピオン宰相は言っていた。
「死んで花実が咲くものか」
だれだって死ぬのはイヤだろう。できることなら生きていたい。しかし、生死はままならない。生きたくても死んでしまうことだってある。
<それが自然の道理というものだ>
そのようにサクヤは、フソウから教えられていた。
春から夏の暖かさは草木を育むが、秋から冬の寒さは草木を枯らす。この世界は、一方では生かし、他方では死なす。生もあれば死もある。
<それが天地のありようだ。よく覚えておけよ>
どんなに生を願い、いくら死を嫌おうとも、思うようにはならない。だから、生死を気にしても仕方がない。
とりわけ今のファラム侯国のように絶体絶命なら、あがいたところでムダだ。なるようにしかならない。今さら生死を気にしたところで、どうしようもない。
ならば、どうするか?
ことわざにある。
――身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
捨て身の覚悟でいけば活路が開かれる。死を覚悟してこそ、生き残ることができる。
だから、サクヤは改めてキリッとした表情で言う。
「必ずしも死ぬとは限らないが、必ず生きて帰ってこられるという保証もない。それでもよければ、打つ手はある」
ケイオス将軍も表情をひきしめて応じる。
「もとより死は覚悟のうえだ。参考までにサクヤの“打つ手”とやらを教えてもらえまいか?」
サクヤは簡潔明瞭に説明し、ケイオス将軍は聞いてうなった。そのような作戦もあったのか、と。
「しかし、サクヤの作戦でいくとするならば、決死隊の編成が必須だな……」
ケイオス将軍はつぶやくように言った。が、どこか上の空に見える。サクヤの作戦を検討するために全神経を集中しているのかもしれない。
しばしの沈黙。そして、断として言い放った。
「取り急ぎ決死隊を編成しよう。わしが先頭に立つ」
「だが、この作戦には将兵らの覚悟も求められる。将軍の覚悟だけでは不十分だ」
これに対して、ケイオス将軍は「問題ない」と言う。愛国心のない将兵など侯国軍には一人もいないと言い切る。
実際、そうだった。
ケイオス将軍が取り急ぎ志願を募ると、すぐさま1000名を超える志願者が集まった。
「奴隷となって生きるより、誇りを守るために戦って死んだほうがいい」
これが志願者に共通の想いだ。
ファラム侯国の民には誇り高い者たちが多い。
サクヤは改めて感心した。
――武士道とは死ぬことと見つけたり。
大事なもののためなら命だって惜しまない。それが武士道だ。
スピオン宰相のような保身的な人間もいるが、少なくともファラム侯国の軍人には武士道がある。これなら戦いようもあるし、勝ち目も見えてくるだろう。
あとは侯爵の覚悟次第だと、サクヤは思う。
侯爵はやさしい。はたして「死ぬこと」が前提となっている決死隊の出動を命じることができるか?
もはや「いい人」ではいられない。遺族から「人殺し」と罵られる覚悟はあるか?
侯爵の覚悟が試される。
『闘戦経』第6章
〇原文・書き下し文
風の黄を拂い、霜の蒼を萎まし、日の南にして暖のなきあり。仰いで造化を観れば断あり。吾が武の中に在るを知るなり。
〇現代語訳
風は枯れ葉を飛ばす。霜は青々とした草木を枯らす。このとき太陽は南に下っていて暖かさがない。
こうした点からすれば天地は生み育てるだけでなく、断ち切ることもある。われらの武力のなかには、そうした生死もある。




