第20章 豪胆になり、必死になる
リーシャは、司令部の地下牢に投獄されていた。冷たい石の床の上、膝をかかえ、うつぶせるようにして座っている。
「出ろ」
声がした。顔をあげると、鉄格子の向こうに高齢大隊長がいた。数名の衛兵をひきつれている。
スパイは見つかれば死刑だ。リーシャはいよいよ処刑されるのかと覚悟した。ところが、高齢大隊長は扉をあけはなち、「逃がしてやる」と言う。
「連隊長の命令だ。共和国に逃げ帰るもよし、他国に亡命するもよし、貴様の好きにしろとのことだ」
「?」
「あ、そう言えば、もしファラム侯国に亡命したいなら、紹介状を書いてやるとも言っていたな。――まあ、書けるのならの話だが……」
リーシャはキョトンとしていた。意味がわからない。
「……あの、……サクヤ様は?」
「ん?」
「どちらにいるのですか?」
「連隊長なら、今は戦の準備をしておられる」
「……!? 負けるとわかっていながら、戦うのですか?」
「連隊長は“漢”だからな。われらを助けるために囮になるそうだ。若いのに大したものではないか」
「……」
「貴様も少しは連隊長に感謝しろよ。われらが貴様の処刑をいくら進言しても、頑として聞かなかった。おまえのことをわがことのように案じていたのだからな」
サクヤは、こう言っていたらしい。
――リーシャも根はいいやつだ。スパイとなって人をあざむいたのも、なにか事情があってのことだろう。リーシャもつらかったろうが、一緒にいて気づいてやれなかった。リーシャには、すまないことをした。
「……どこまで、お人よしなんですか……」
あたしのせいで妖怪に襲われたときも、自分が倒れるほど無理して助けてくれた。
路頭に迷っているとウソをついたときも、疑いもせず快く従者として受け入れてくれた。
今回なんかスパイして裏切ったのに、それでも赦してくれるという。それだけでなく心配までしてくれて……。
あたしなんか、かばう価値なんてないのに……。
「ほんとバカでしょ……」
リーシャは膝に顔をうずめ、黙りこんだ。高齢大隊長がいくら「どうした? 早く出ろ」と声をかけても、ぴくりとも動かない。
「ここを開けたままにしておくから、貴様は好きにしろ」
高齢大隊長はそう言い残して、衛兵たちをひきつれて出て行った。リーシャだけが取り残された地下牢は、しんと静まり返っていた。
◇ ◇ ◇
高齢大隊長はサクヤに代わって指揮を執り、新人大隊長と共に中隊長たちを招集した。連隊長の命令を伝えるためだ。
サクヤの連隊は2つの大隊から構成され、大隊はそれぞれ4つの中隊から構成されている。だから、中隊長は全員で8人だった。老兵4名、新兵4名となる。
中隊長たちは、司令部の会議室に集まった。が、そこに2人の大隊長はいるが、連隊長の姿は見あたらない。
いつもなら姿を見せるのに、どういうことか?
――連隊長は命が惜しくて、真っ先に逃げ出したのだ。
そう思う者もいれば、
――自分らは連隊長を逃がすための捨て駒にされるのだ。
そう考える者もいた。
今は遠巻きながらも敵に取り囲まれている非常事態だ。状況が状況だけに、連隊長の不在は悪い憶測を生んだ。
会議室には、みるみるうちに失望と怒り、絶望と憎しみ、不安と悲しみが広がっていく。中隊長たちは、だれもが沈痛な面持ちになっていった。あらゆるマイナスの感情がみなぎっていくのが手に取るようにわかる。
――そもそも、あんな子供に最前線の指揮を任せるということ自体に無理があったのだ。こうなったのも仕方がない。
中隊長たちは、こう結論づけ、あきらめた。ある意味で、潔い。だが、中隊長たちの予想に反して、高齢大隊長が告げたのは、
「わが連隊は、ただちに脱出する」
――はい?
意外な高齢大隊長の言葉に、中隊長たちはだれもが目を丸くした。
「連隊長が囮となり、東で敵の注意を引きつけてくださる。そのスキをついて、われらは西に向かって脱出する」
中隊長たちは驚き、ざわめいた。
(あの連隊長はみずから犠牲となり、自分らを助けてくれるというのか?)
思いもよらないことが起きた。勝ち目がないなら、逃げたほうが得策だ。今なら部下を捨て駒にすれば、上官は逃げきれるだろう。それなのに、なぜ?
中隊長たちは理解に苦しんだ。思わずポカンとしたり、互いに顔を見あわせたり。首をかしげる者もいた。
「心配はいらない」と新人大隊長。
「連隊長は“鬼神”と言われた強者だし、敵の狙いも連隊長にあるそうだ。まちがいなく敵は、連隊長に食いつく。だから、自分らは無事に脱出できる」
中隊長のなかには喜色を浮かべる者もいれば、表情を曇らす者もいた。その反応もさまざまだが、戸惑っているのだろう。
「質問はあるか?」と高齢大隊長。
すると、ある老齢中隊長が手をあげ、許可を得てから発言した。
「大隊長がたは、それでよろしいのですか?」
「もちろん」と笑顔の新人大隊長。
「どういうことだ?」と怪訝そうな高齢大隊長。
「失礼だとは思いますが」
そう前置きして老齢中隊長が恐縮して言うには、
「連隊長は、どう見てもまだ子供です。そんな子供が他人を助けるために命がけで戦おうとしています。それなのに自分ら大人が逃げてもよいものでしょうか?」
(は? なに余計なことを言ってんだ? このジジイは)
新人大隊長は顔をしかめ、叱責しようとした。が、高齢大隊長が、それを制するように先んじて発言する。
「われらを助けたい――それが連隊長の漢としての願いだ。われらも漢として、その心意気を受け入れようではないか」
(いいこと言うじゃん)
なんて新人大隊長が思っていたら、若手の中隊長が勝手に発言した。
「は? 漢なら、ここで戦うべきっしょ」
「じゃな。今ここで連隊長を見殺しにするは漢にあらず」と老齢中隊長。よぼよぼしているが、その全身には気迫がみなぎっていた。
「ともあれ、おれは生き恥だけはさらしたくねぇな」
若手中隊長は吐き捨てるように言った。
「これは連隊長の命令だ」
新人大隊長が忌々しそうに言うと、若手中隊長は「なんでも“命令”で片づけようとすんじゃねえよ」と毒づく。
「上官の命令に反抗するつもりか!」
「は? 腰抜けの上官なんざぁ、上官とは認められないっすよ」
2人は今にも取っ組み合いのケンカでもしそうな勢いだった。
「いいかげんにしろ!」
高齢大隊長が一喝した。さすがはベテランだけあって、すさまじい気迫だ。その剣幕に気圧され、2人はあっけなくおとなしくなった。
「ともあれ今となっては連隊は解散したも同然だ。戦いたい者は戦い、逃げたい者は逃げればよいと思うが、どうか?」
高齢大隊長が全員の顔を見渡しながら言うと、その場にいた全員がうなずいて同意した。
「皆の衆、1つ発言してよろしいか?」
白髪で最高齢の中隊長がおもむろに口を開いた。
全員が注目し、高齢大隊長がうなずいて発言を許す。
最高齢の中隊長は、丁寧に頭を下げ、一息ついてから口を開いた。
「わしは60年ほど前に祖国を共和国に滅ぼされ、以来“移住者”として各国をさすらい、異郷で肩身の狭い思いをしてきた。その点は皆の衆も同じではないか?」
だれもがうなずく。
この場にいるだれもが「移住者」だ。もといた国は違えど、共和国に祖国を滅ぼされた点では境遇を同じくしている。
「若いときは敗兵とさげすまれ、年をとれば老兵とあなどられる。まるでゴミのような扱いじゃ」
言われてみれば、祖国を滅ぼされたあと、だれもが移住先で奴隷のように扱われてきた。戦争となれば、真っ先に徴兵され、危険な戦場に送られてしまう。
そのせいで、どれだけ多くの同胞が苦しみ、死んでいったことか。思いだしただけでも、悔しさと悲しさがこみあげてくる。
「わしだけではない。わしの子も、孫もゴミのように扱われておる。それなのに連隊長は、わしらゴミのために自分の命を投げ出そうとしてくださっておる。連隊長は、よい連隊長だ。それなのに見殺しにしてもよいものか?」
「いいわけねぇよな!」
そう大声で言ったのは、若手の中隊長だ。
「連隊長はよ、おれらにとっちゃ弟くらいの年だぜ。じいさんたちにとっちゃ、孫くらいか? それを考えてみろ。見殺しにできるか? できるというやつがいたなら、それは人でなしだぜ!」
「子供を犠牲にして生き残る――そんな生き恥をさらすくらいなら、ここで死んだほうがマシじゃて」
言って最高齢の中隊長は、そっと目をとじた。
(貴様ら、余計なことばかりいいやがって……。そんなことを言われたら……)
新人大隊長は、ため息をついた。
「――残って戦うしかないじゃんかよ」
新人大隊長だって、これまで差別を受けてきた。ここでさらに生き恥をさらすようなことになれば、これまで以上にさげすまれるだろう。そうなれば、生きていても死んだようなものだ。
それに人として子供を犠牲にすべきでないことくらい、わかっている。
新人大隊長は、これまでになく爽やかな顔つきになっていた。なにもかも吹っ切れたのだろう。
高齢大隊長は、そんな新人大隊長を見て、ほほえんだ。
「最後の最後になって、おまえも漢気を見せたか」
「もとから漢っすよ」と苦笑いして応える新人大隊長。
「自分は連隊長に代わって指揮を執る立場にあるので言いたくはなかったが、もう言わせてもらう。自分も戦うぞ。――で、おまえたちはどうする?」
高齢大隊長が問いかけると、中隊長たちは、
「どのみち逃げ出したって、これだけの大軍を前にして逃げきれるもんじゃない」
「どうせ死ぬなら、戦って死んだほうがいい」
「いや。そうじゃない。戦ってこそ活路が開けるものだ」
「攻撃こそ最大の防御とも言うしな」
「連隊長じゃないが、断じて行えば鬼神も之を避けるものだ」
ということで、だれもが残って戦う道を選んだ。
「貴様らの漢気に感謝する」
高齢大隊長の目はうるんでいた。男泣きか?
「ただし、これはあくまでも志願だ。それぞれ部下に無理じいをしないように注意されたい」
かくして中隊長たちは隊に戻ってから、それぞれ部下に「逃げるか?」「戦うか?」を自由に選ばせた。
結局、「どのみち逃げられそうにない」ということで、だれもが戦うことを志願する。
それにしても勝てる見込みはあるのか?
これについて、高齢大隊長は「ある」と言う。
「これは連隊長に聞いた話なのだが、“将が豪胆で、兵が必死なら、善戦健闘できる”そうだ」
サクヤは高齢大隊長から勝算を問われたとき、こんな話をしたらしい。
かつてクロダ・カンベエという武将がいたという。カンベエはアオヤマの戦いで、10倍の兵力をもつ敵と戦うことになったのだが、少しもひるまなかった。それだけ度胸があったのだろう。実に豪胆な将だ。
あえて川を背にして布陣し、逃げ場をなくしてから戦いに臨んだ。生き残るためには、目の前の敵に勝つしかない。
だから、兵士たちも必死になって戦った。その結果、カンベエは大軍を相手にして勝利したそうだ。
「われらの将――連隊長は、ひとりで敵の大軍に立ち向かおうとしている。豪胆だし、度胸がある。あとは兵、つまり、われらが必死になれたなら、きっと善戦健闘できるのではないか?」
今こそわれらの意地を見せるときぞ!
追いつめられたネズミはネコをかむという。共和国の連中に目にもの見せてやる。
だれもが意気ごみ、闘志を燃やした。
『闘戦経』第20章
〇原文・書き下し文
将に膽ありて、軍に踵なきは、善なり。
〇現代語訳
将軍には度胸があり、軍隊にはあとがないというのがよい。




