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金の魔眼の娘  作者: uno
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第一話


――――あれから二年。


少女は無事生き延びていた。

名前も記憶も、頼れる親族もいない幼い少女が見知らぬ土地で生き抜くことができたのは皮肉にもあの不気味な金の瞳の力によるものだった。




◇  ◇  ◇


泣き嗄らした少女が落ち着きを取り戻したとき、その視界は一変していた。地面を這うように金の紋様がどこまでも続き、空気中には紋様から散ったと思われる金の粒子が舞っていた。

世界が黄金色の光で溢れている。見たこともない精緻な文様を呆然と見つめていると、唐突に頭に意味が浮かんだ。

紋様は文字だった。果て無き世界の構成式だった。あまりに緻密で、巨大で、複雑な陣だった。己が目に映る金の紋様はその神秘の一部なのだと、少女は理解した。


光が溢れている。少女からあらゆる幸福の源を奪い絶望を与えた黄金色の光が。見知らぬ世界は光に満ちていた。


金の瞳は魔眼だった。そのあまりの美しさにゆえに、絶望のまま憎むことさえさせてくれない、まぎれもない魔眼だった。





◇  ◇  ◇


見知らぬ世界で寄る辺なくひとり、自分を生かしたのがよりにもよってこの金の瞳とは…少女は小さくため息をついた。


この世界は神秘に満ちている。人が道具もなしに火をおこし、水を湧かせ、花を芽吹かせる。彼らは魔術師と呼ばれ、その多くが国に帰属していた。

魔術師はエリートだ。魔術を扱うためにはその構成式を解き明かす必要がある。すなわち事象に対する深い理解が必要で、そのためには膨大な知識が不可欠だ。軍人や研究者として国に使えるエリートたちは、各々火なら火、水なら水と己の得意分野を一つ極めている。あらゆる属性の魔術を扱うということは必然的にあらゆる分野に関する深い理解が必要ということであり、いささかどころでなく現実的でない。中途半端に手を出してもその道を究めた魔術師には及ばないのだから。


けれど少女は違った。火、水、植物、鉱物、雷、風…あらゆる魔術を使うことができた。当然だ。彼女は膨大な知識も繰り返しの研究も必要なく、構成式をその目で見ることができるのだから。

それだけではない。彼女には大地をおおう構成式だけでなく、空気中に漂う粒子が見えていた。

一般に魔術師は、体内の魔力を用いて魔術を行使する。1を異なる1に変換したり、1を2にも3にも増やしたり。あるいは5を1に減らしたり。あくまでも既存の物質を変化させるものが魔術であり、0から1を生み出すことはできなかった。何もないところから何かを生み出すことはできない。もしもそんなことができたなら、それはもはや魔術ではない別の何か、すなわち『魔法』である。


少女は魔法を使うことができた。体内の魔力ではなく空気中の金の粒子――世界の魔力とでも言おうか。それを用いることによって、0から1を生み出すことができた。それが普通でないことを理解した彼女は魔法を大っぴらに使うことはなかったが、何も持たない少女が生き延びることができたのはその力の恩恵が非常に大きい。


少女は旅をした。魔法を覚え、魔術を覚え、瞳の色を隠した。次に演技を覚え、無口なふりをして徐々に言葉を覚え、常識を覚え、町を巡り、図書を漁り、国を跨ぎ、また新たな言葉を覚え、音に聞く知識人を訪ね、資料を探し、ひたすらに旅をした。



二年と半年がたってもまだ、帰る方法は見つからない。



故郷がどんなところだったか、少女は覚えていない。ぼんやりとした知識はある。けれど帰ってどうするのか、どうしてこんなにも必死に帰る方法を探しているのか、自分でもわからなかった。ただ、帰らなければと思う。一種の強迫観念のようにその思いが常に頭にあった。その理由について深く考えようとすれば、自我が崩れてしまうのではないか。そんな恐れが付きまとっていた。





◇  ◇  ◇


旅の途中で立ち寄った小さな田舎町でのことだ。


「こんにちは、お嬢さん」


町と同じく小さな図書館で資料を漁っていたところに声をかけられた。顔を上げると柔和な老人がこちらを見ていた。


「こんにちは」

「探しものかね?」

「ええ、まあ」

「何を探しているのか聞いても?」

「或る門の伝承についてです」


年端もいかない少女が分厚い本をめくっているのが物珍しいからか。あるいは小さな町ゆえに、見慣れない人物がいることが気になったのか。なんにせよ、不思議と警戒心を抱かせない穏やかな老人だった。


明くる日も老人に声をかけられた。


「こんにちは、お嬢さん」

「こんにちは」

「近くにいい喫茶店があるんじゃが、休憩がてら一緒にお茶でもどうかね?」

「……そうですね、よろこんで」



老人は魔術師だった。話を聞くに、かなり優秀な魔術師だったらしい。かつては都市で公職についていたが、引退後も相談役として何かと頼られるのが面倒で「後進の育成の邪魔になっては敵わん」と嘯いて田舎へ引っ越してきたらしい。



「二年とすこぅしほど前のことじゃ」


星が流れたのだと老人は言った。老人は魔術だけでなく、それとは異なる流れをくむ方術とよばれる異国の力の使い手だった。それには占星術による予知も含まれた。


「遥か異郷の地より流れ落つるは欠けた星。其は金の魔眼を宿し世界を読み解く者也」


息を呑んだ。それは。それを私に告げる意味は。いや待て、しまった、あからさまに反応して――


「お嬢さん、もう一度聞いてもいいかね?」

「………なんでしょう」

「お嬢さんは、何を探しているんじゃ?」


優しい目だった。

こちらを害そうとか、徒に秘密を暴こうとか、異質なものに対する疑念とか。そういったものが欠片も含まれていない眼差しだった。


「……こ…、故郷、に、かえる、方法、を…」


かすれた声だった。老人の手が子どもにするように私の頭を撫でる。優しい手つきだった。


なぜだか、泣きたくなった。







――――――――・・・



温かな空気をまとう老人に、私は自分でも整理できない胸の内をすべて吐き出した。旅の目的、自分の抱える問題、魔法が使えることは話さなかったが、魔眼が映す世界についても。


すべてを語り終えた後、老人は言った。


「諦めなさい」


帰る方法は、ないのだと。私は帰ることはできないのだと。悲しそうな顔で言った。


わかっていた。どんなに探し歩いても、帰還の方法は見つからなかった。ある都市の図書館の立ち入り禁止の資料室に忍び込んで見つけたあの白い門の伝承は、帰還不可能の事実を突きつけた。それを知ってなおそんなはずはないと帰る方法を探し続けた。どこかにあるはずだ。まだ二年しか探していないのだから。この国になくても、別の国なら。国境を越え、新たな地で一から言葉を覚えなおして。



帰る方法を探す。

その目的を失ったら、立っていられなくなる確かな予感があったから。


「諦めなさい」と言われでも、私は思いのほか取り乱さなかった。

わかっていたけれど受け入れられず、眼をそらし続けた事実を真っ向から突き付けてくれる誰かの存在を、どこかで期待していたのかもしれない。



「あの門の先は一つに定まっておらん。世界の反対側か、並行世界か、あるいは幾億もの別世界か。お嬢さんが元の世界に帰ることは不可能に近い。今度こそ生き物の存在しない未開地にとばされるやもしれん。何千億分の一の確率じゃ」


知っている。けれど、それが本当である証拠などないと切り捨てた資料に載っていた情報だ。


「お嬢さんは帰ることにあまりにとらわれすぎている。とらわれすぎて、なぜ帰りたいのかわからなくなっているんじゃないか?」


そうだ。わからない。いや、わかっている。


「帰りたいと願うのは、心細いからじゃ。心細いのは寄る辺がないからじゃ」


わかっていても言葉にできずにいた思いを、目の前の老人はするりと口にした。


「寄る辺がないのなら、つくればいい。―――お嬢さん、どうかこの老いぼれの残り少ない余生に花を添えてはくれんかね?」


言葉にできずにいたのは、言葉にしたところで意味がないからだ。口に出して嘆いたところで亡くした故郷は存在せず、家族にも会えないのだから。寄る辺がないと涙しても、手を差し伸べてくれる存在はいない。心安らぐ故郷も家族も、積み重ねたはずの経験も記憶も、自分という人間を形作るあらゆる要素が存在しない世界で、ただただ異質で、孤独で、不安定なまま。完全な崩壊を防ぐためだけに「帰る」という一つの目的に固執していた。


なのに、なのにこの老人は、こうもあっさりと言い放つ。茶目っ気たっぷりの笑顔で手を差し出して、何の見返りも期待せずに、そうすることが当然であるかのように。



故郷も家族も、この世界で何も持っていなかった私はこの日、温かな寄る辺を手に入れた。


差し出された手を取った私に嬉しそうに笑い、まず自己紹介をしようと言った老人に名前がないのだと告げると、老人は驚いて、次いで「では、きっと素敵な名前を考えるから、君に名を贈らせてくれないか」とまた笑った。





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