木曽義仲育成計画
さて本来の義仲様の能力を大雑把に考えて見ましょう。
個人的な戦闘技術と小規模な軍事を率いての武将としての才能は今の日本でも最高レベルといっていいでしょう。
同条件で戦って勝てそうな人はそう多くありません。
あえて名を挙げるのであれば源義経と平教経といったところですね。
この時代で奇襲奇策を用いて連戦連勝したのは伊達ではありません。
ただし山野での戦闘では強いですが海戦は苦手です。
義経は壇ノ浦で教経は水島でそれぞれ海戦に勝利してるので
ここは他の二人に引けを取ると考えたほうがいいでしょう。
反対に政治的な駆け引き、外交的な駆け引き、経済的な才能補給や治安の維持、大軍の統率能力はダメダメでした。
京への上洛の際の失敗がその後に大きく響いたのです。
この辺りは父である兼遠が生きている間、全てやってしまったのが原因でしょうか。
それはさておいて甲斐源氏とのやり取り、頼朝とのやり取り、後白河法皇とのやり取り、新宮行家とのやり取りこういった駆け引きや政治的配慮はまったくもって落第点です。
そういう点では源頼朝及びその背後の北条氏が恐るべき存在です。
頼朝は政治と謀略に関してはスーパーチートクラスの能力持ちです。
政治の補佐は北条が支え戦においては天才の義経も要していたわけです。
一方平家は清盛の死後の棟梁宗盛はせいぜい平凡という程度でしたが、平家の強みは一族の人材の豊富さにありました。
政治では頼朝にかなわるまでも知盛が軍事では教経がおり平家は海戦が得意であり、瀬戸内海の制海権を握っていたため、範頼の軍は中国地方の制圧に大変苦労したのです。
まあ、それを打ち破ったのは義経なのですが。
また、礼儀作法や芸事にも疎かったですね。
ともかく政治外交あっての戦略であり戦略あっての戦術であるわけで、まずはここを何とかしないといけないでしょう。
また朝廷に馬鹿にされない程度には礼儀作法や芸事にも通じる必要があるでしょう。
問題はどのように行うかということですがそれは後々考えましょう。
良い方法かと思われるのは政治や外交、経済に関しては父に教わるのが良いのではないかと思います。
礼儀作法や芸事については父に教わるよりも都にいる中原もしくは源氏の屋敷に逗留させてもらい、実際それを見ながら身につけていただくのが良いような気がします。