河内源氏の子どもたち
さて、東国から信濃に私は戻ってきました。
「やはり信濃は穏やかでいいですね」
まあ、治安維持に結構手間ひまかけてますし、田舎ですしね。
さて、東国にいくことで得られたのは、後に仲間になりそうな人達がいるということを確認できたことでしょう。
志田義広は今回も仲間になってくれるでしょうし、畠山などの秩父氏の血筋で小枝御前や私の母の千鶴と血縁関係にある人達もやり方次第では仲間にできるでしょう。
人脈というのは大事ですからね、武蔵北部や上野、常陸の豪族も仲間に出来れば頼朝と対抗するのも楽になるでしょう。
「うん、やっぱり越後より北関東を優先するべきですね」
そのためには義仲様の父であった義賢や秩父の血縁であることを有効に使うべきです。
人脈といえば頼朝の弟達もこちらに引き込めれば大義名分も立ちやすいでしょうか。
ただ、そちらの源氏を担ぎ出して内部分裂になるのは困りますが…。
「確か範頼の母は遊女で義経たちの母の常磐は雑仕女だから義仲様の母親の小枝様よりは血筋では劣っているはずですね。」
秩父氏はれっきとした平家筋なのですから。
ちなみに頼朝の母親は由良御前と呼ばれる人で熱田神宮西側にあった神宮大宮司・藤原季範の娘です。
藤原季範は、藤原南家で季範の母の実家である尾張氏は、代々熱田神宮の大宮司職を務めています。
季範自身は主に都で生活することが多く、従四位下の位階も受けており、従姉妹に鳥羽院の乳母藤原悦子(藤原顕隆室)がおり、またその甥が信西であるなど、中央政界との繋がりも多く、待賢門院や上西門院に女房として仕えた娘が居た関係で頼朝と実母弟の源希義は流罪で済んだのです。
「ということは源希義を迎えるのは難しいですか」
最も彼の配流先は土佐なので手助けするにも場所が悪すぎてもともと難しいですが。
さてそうなるとまずは源範頼ですね。
彼は河内源氏の流れを汲む源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄ですね。
頼朝の代官として大軍を率いて戦い、源義仲・平氏追討にて大きな功績をあげていますが、のちに頼朝に謀反の疑いをかけられ誅殺された人です。
彼の母は、遠江国池田宿の遊女とされています。
彼の父である義朝が敗死した平治の乱では存在を確認されておらず、出生地の遠江国蒲御厨でそのまま密かに養われているようです。
つまり義朝や義平、頼朝とはあまり接点がなかったということですね。
「であれば、志田義広の憎悪の矛先が向くこともあまりないでしょうか?」
彼は養父の藤原範季が上野介であったときに範季の保護を受け上野で育ったようで、野木宮合戦のときに小山氏・下河辺氏・八田氏らが擁していたのは頼朝ではなく範頼であり、志田義広は上野に居た義仲軍に合流しようとしていたようです。
範頼は凡将や無能者とされていますが、無能なものがバラバラな東国武士団を束ねて軍を動かすことはできないことも考え合わせると、彼には非凡な統率能力があったと思われます。
「とは言えこの人とはつながりがないですし、小山氏とともにいるなら連絡を取るのは難しいですね」
小山一族は反平家ですが小山五郎宗政と弟の五郎宗政、七郎朝光は、三兄弟の母が頼朝の乳母のである関係もあって紛うことなき頼朝方なのです。
となると義経の同母兄である阿野全成と源義円ですね。
阿野全成は幼名を今若、義円は幼名を乙若と言い、義経が寺に預けられたものの出家はせずに済んだのとは違いて阿野全成は醍醐寺で義円は園城寺にて出家をしています。
以仁王の令旨が出されたことを知ると密かに寺を抜け出し、修行僧に扮して東国に下っり頼朝に合流しています。
「義経に手紙を書いてもらい、寺を抜け出した後に頼朝の方ではなくこちらにきてもらえるようにしましょうか」
そう考えた私は義経の屋敷を訪ねました。
「義経殿はおられますか?」
「はい、おられますが何か御用ですか?」
「ええ、義経殿と相談したいことがあるのです」
「承知いたしました」
下人に通用門を開けてもらい屋敷にはいりました。
「おや、巴御前、今日はどうしました?」
人好きのする笑みを浮かべて彼は私に聞いてきます。
「はい、あなたのお二人の兄にも後々こちらにきてもらいたいと考えましてそれには義経殿が文を書かれるのが良いのではないかと思ったのですがいかがでしょうか?」
「なるほど、そのようなお話でしたら私の方で文を書くといたしましょう」
そう言うと彼はサラサラと書状を書き始めました。
「ところで私の兄上たちの居る場所はご存知なのですか?」
彼の質問に私はうなずきました。
「はい、今若殿は醍醐寺で乙若は園城寺にて出家をしていますから、今も底にいるはずですね」
義経は感心したように言いました。
「巴御前はなんでも知っておられるな」
「え、ええ、京に住む商人などともよしみをつうじておりますからね。
そういったところから情報も入ってくるのです」
「なるほど、巴御前は顔が広いのですな」
ふう、なんとかごまかせたようですね。
しばらくして義経は書状を二通書き上げました。
「こんなところでしょうか?」
私もそれを見ます、特に問題はなさそうですね。
「ありがとうございました、ではコレは私の方で預かって、京に届けますね」
「うむ、よろしく頼む」
私は今度は戸隠大輔様のところへ立ち寄りました。
「大輔様こちらの書状を京のお寺にいる義経殿の兄上に届けていただきたいのです。
どうかよろしくお願い致します」
「ふむ、わかった、私の弟子に届けさせるとしよう」
「どうぞよろしくお願い致します」
先生のお弟子様であれば平家に捕らえられることもないでしょう。
「本当に戸隠流忍術はすごいですよね」
「いやいや、それほどではござらんよ。
巴殿と父上の兼遠殿の我々への支援があったこそですからな」
私たちは顔を見合わせて笑いました。
「これからもどうぞよろしくお願いいたします」
「いや、こちらこそだ、よろしくたのむ」