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安元元年(1175年)

安元元年(1175年)私は19歳になりました。


 京の都での豌豆瘡(天然痘)の流行により年号が改元されます。


 平治の乱に敗れて伊豆に配流された源頼朝の監視を任された伊東祐親の娘の八重姫が頼朝と通じ、

子・千鶴丸を儲けるまでの仲になってしまいました。

祐親はこれを知って激怒し、さらに平家の怒りを恐れ千鶴丸を松川に沈めて殺害、

さらに頼朝自身の殺害を図ったのです。

頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた次男の祐清が頼朝に知らせ、

頼朝は夜間馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込み、

北条時政の館に匿われることによりなんとか事なきを得たといいます。


 この年は法然上人ほうねんしょうにんが43歳の時「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、

死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、専修念仏を奉ずる立場に進んで浄土宗を開きました。

この年が浄土宗の立教開宗の年とされ、法然のもとには後の浄土真宗を設立する親鸞らが

入門しました。


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