状況整理
その後私は体を休めるため、私室に戻りました。
「お戻りになられましたか、お体の調子は如何ですか、巴様」
私付きの侍女の小百合が心配そうに声をかけてきました。
「うん、正直頭が結構痛いし、今日は早く休もうと思う。
でも兼行には内緒にしてね、心配すると思うし」
「承知致しました、では寝所を整えますのでしばらくお待ちを」
小百合が寝所を整えている間に、部屋にある青銅の鏡で自分の顔を写してみましたが、間違いなく巴であって智恵ではありません。
ふうとため息をついたあと気を取り直してとりあえず状況を整理してみることにします。
「小百合、今って長寛2年で間違ってないよね?」
「左様でございますが、なぜに?」
「いや、私が気を失ってる間に年月が立ってたりしないかちょっと心配だったから」
「私は巴様の頭が心配でございます、女人が男衆の組討や相撲などの武の訓練に混ざるなどというのがそもそも無理があるのです。
今年は長寛2年で間違ってはおりませんが」
「いあや、普通はそうかもしれないけど……私は男に負けないだけの力があるし、駒王丸も私を認めてるはずだよ」
「まあ、未だに一緒に稽古をなさっている以上そうなのでありましょうが、あまり無理をなさなぬようにしてくださいませ」
「わかってるって」
「では、巴様ゆるりとお休みなさいませ」
「有難う」
私はそう言うと床につきました。
そして考えます。
現在は長寛2年(1164年)。
平治元年(1159年)に起こった平治の乱の5年後。
この頃にはまだ大きな騒乱はなく時代が動くのは治承4年(1180年)におこる源頼政と後白河天皇の第三皇子である以仁王の平家追討の令旨が発せられてから諸国の豪族が次々に挙兵をするようになってからです。
これが一般的には源平合戦と言われている治承・寿永の乱ですね。
私の主である駒王丸ことのちの木曽次郎義仲様はその年から横田河原、水津、般若野、倶利伽羅、篠原で次々に平家の軍を打ち破り寿永2年(1183年)比叡山延暦寺と和睦して京への上洛を果たしましたが、同年の備中水島合戦にて平家軍に敗れ寿永3年(元暦元年)宇治川合戦で源範頼・義経の軍に破れ戦死となりました。
つまるところあと20年ほどで木曽源氏は勢力として消滅、し私の兄弟である中原一族もほぼ同じ道を歩みます。
この運命を変えるにはどうすればよいのでしょうか?。
「この際幾つか重要な事があるのですよね……。」
まず一つは甲斐源氏である武田、東国の源氏の棟梁である源頼朝との関係です。
もともと甲斐と信濃は隣同士であり武田家と木曽の関係も良好でした。
ですが、のちに甲斐源氏の武田信光の娘と義仲様の嫡男・義高様の縁談を断ったことで甲斐源氏との関係は悪化し、甲斐源氏と頼朝が手を結んだのです。
富士川の戦いでも甲斐源氏の軍は重要な役割を果たしていましたし、石橋山の戦いで敗れた北条家は甲斐の武田に助力を得てその後鉢田の戦いに勝利したのです。
そして、頼朝と敵対し敗れた。河内源氏第五代・源為義の三男である志田義広と、墨俣川で敗戦したにもかかわらず頼朝へ所領を求めその結果追い払われた新宮行家の二人の叔父が義仲様を頼って身を寄せ、人の良い義仲様がこの2人の叔父を庇護した事。
さらに関東が旱魃で農作物のできが悪かったこと。
そういったことが原因で信濃へ甲斐源氏と頼朝の連合軍の大群が攻め寄せてくることとなり、義高様を人質として鎌倉に送る事になったのですが、その際に受けた信濃の地への略奪が大きな傷となったのでした。
また上洛した際に皇位継承問題へ介入したのも良くありませんでした。
その当時平家に連れさられた安徳天皇の後の天皇として都に残っている高倉上皇の二人の皇子のいずれかを擁立しようとしていた後白河法皇に対し義仲様が保護した以仁王の遺児北陸宮を即位させるように朝廷に執拗に申し立てたのです。
平家が外戚となってから散々であったこと、義仲様が朝廷の作法を知らなかったことなどもあって、これは朝廷や貴族に大きく悪印象を与えることになる理由の一つでした。
しかし、中原と以仁王及び北陸宮が親類関係にあることを考えれば無理も無いところではあります。
また養和の飢饉で荒れはてた京の都に、上洛した私達の協力者の加賀や近江などの源氏などが入ったことで略奪などが横行し京の治安が悪化しました。
何しろこの時は、協力した近江・美濃・摂津・北陸などの源氏の混成軍でしかなくその中では義仲様がもっとも有力だっただけで全体の統制は取れていなかったのです。
そしてトラブルメーカーである新宮行家です。
この人は弁舌は立ちますが、兵は弱く戦で勝ったことがないくせにプライドだけは高く、トラブルばかり起こし最後には義仲様を裏切って義経につき死んでいるのです。
つまるところ甲斐源氏武田への対策、頼朝への対策、行家への対策、後白河法皇への対策そして義仲様への対策が必要でしょう。
残念ながら人の良さと戦上手だけでは戦乱は生き残れません。
内政をもって国を富まし、軍政を持って軍を強化し、外交を持って敵を減らし、源家の家格と私達の武力を持って諸将を従える。
滅びの定めを打ち破るためにできることは全てやっておくべきでしょうね。
そして卑怯者の汚名は私がかぶりましょう。
源氏の名を辱めるようのことはなきように。
そして最初の一手として私は父に駒王丸が元服した際の正室に甲斐源氏武田氏の姫を迎えるように奏上したのです。
その時に見せた父兼遠と母千鶴御膳の驚愕と悲しみの表情を私は忘れないでしょう。
おそらく父母には私の求めるものが”女性としての幸せ”などというものではないのがわかったのでしょうから。