手習天神と地獄の訓練
大陸式の農業の技術を取り入れた結果、農業的な農作物の取れ高についてはだいぶよくなったと思われますし、この前のように野盗への対処が後手に回るのも良くありません。
そろそろ治安維持のためにも、軍事的なものも含めての教育、訓練機関を作るといたしましょう。
私が考えて設立したのは手習い天神と呼ばれる総合訓練教育が可能な施設です。
まず座学を行える教室、武器での模擬戦闘を行う武闘場。
弓を訓練できる弓射場、水練を行える水練場。
食料を確保するための菜園、天神様と八幡菩薩に祈るための祠。
食事を調理したり食べたりできる食堂。
寝泊りをできる宿舎、短距離走と長距離走が行える校庭。
体を洗うための温泉施設など。
そのうち墓地なども必要になるかもしれませんが今はまだいいでしょう。
この時代の信濃の石高がおおよそ15万、人口が22万です。
後の戦国時代では石高がおおよそ40万、人口が27万5千ですから、まだまだ伸びしろはあるはずですが。
兵員の動員数は人口の1%から3%、石高では1万石当たり平時で100、戦時で200から250、防衛戦時で350程度が限界と言われています。
それを考えると頼朝や平家が10万騎、2万余騎の甲斐源氏を率いたというのはどう考えても誇張しすぎですね。
現在は平時ですから数にして信濃全体で1500名というところ。木曽松本では250名程度でしょう。
とはいえあまり多く専任の兵士を抱えると大変ですし、目立ちすぎるかもしれませんので木曽松本の各村より盗賊退治の時に集めた50名に加え年齢は10以上20未満のものさらに50名を合計で100名集め訓練させることにします。
とは言えこの時代平民で30歳以上生きているものはそう多くありませんが。
ちなみにかぐや姫のおじいさんおばあさんの年齢は40才ですよ。
最終的には最初の一月で大雑把な適正を見極め、まず戦闘部隊の歩兵、弓騎兵、槍騎兵、偵察兵、弓兵
後方援護の衛生兵、伝令兵、輜重兵、雅楽兵。
武官である会計官、参謀官、技術官などにわけるつもりです。
もっとも武官は適正のある人がくるかどうかは運しだいでしょうけど。
とは言え最初は歩兵の訓練からですけどね。
折を見て騎馬の扱いに長けているものや弓の扱いいたけているものは、遠足の速さに優れているものは
騎兵、弓兵、偵察兵や伝令兵の候補として選抜してゆきますが。
漢の高祖劉邦に使えた蕭何のように後方での内政や治安維持を行えるものや、張良のように戦略にたけたもの、陳平のように謀略にたけたものが見つかれば幸いといったところですが、そうはうまくいかないでしょうね。
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さてさて、歩兵部隊の場合まずは何から始めるべきでしょうか、歩兵の基本訓練は行軍です。
奈良時代の軍団にしたがいまず編成単位を決めます。
最小単位は10名で火、後の小隊で兵士の最小の行動編成で、一つの火竈で十人分の食事を作らせます。
火のリーダーは火長で、5火をもって隊とします、対のリーダーは隊正で2隊をもって旅とします。
旅のリーダーは旅帥もしくは百人頭ですが今はこれは私が担当ですね。
「各自整列、これより徒歩行軍の訓練を始める」
「はい、そこ、隊列が乱れてる」
「はい、休憩、しかるのちに出立しますよ」
まずは1日でおおよそ40里(24km)を天候地形関係なく隊列を崩さずに全員歩けるようになるのが目標です。
最終的にはその倍80里(48km)を天候地形関係なく隊列を崩さずに全員歩けるようになるのが目標です。
アレクサンドロス大王のマケドニア軍やローマ軍はこれくらいだったようです。
兵は神速を尊ぶですが、行軍に無駄に時間がかかればそ入れだけ不利になりますからね。
行軍訓練はまずは毎日ではなく3日に1回とします。
2日目は逆茂木や空堀、土塁などの構築や手桶で水をリレーして運ぶ消火訓練、槍を構えての突撃の訓練などです。
3日目は休息とします。
まずは3ヶ月ほど行えば基本的な鍛錬としては十分でしょうか。