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遮那王一行と鎌田兄弟

 年が明けてある日館に商人がやって来ました。


「私、堀弥太郎景光(ほりやたろうかげみつ)と申します。

 どうかお目通り願えますでしょうか?。」


 私はそのなかに加わっている人間を見て考えました。


 女人姿の稚児、男姿の白拍子、裳着前の女性、武家と見えるものが2名、盗賊っぽい雰囲気のものが1名、僧の姿のものが1名、山伏の姿の偉丈夫が1名と少々……いやかなり変わった面々ですがおそらくやっと京より抜け出せたのでしょう。


「ええ、ぜひ商品を見せていただきましょう、どうぞなかに」


 私は笑顔で私は彼らを屋敷に引き入れました。


 そして義仲様に使いを出しお呼びしました。


 義仲様が到着したあと私たちは部屋に向かいます。


 そして部屋で1名を除き平伏する彼らに問います。


 ちなみに平伏していないのは女装姿の稚児ですね。


 まず義仲様が口を開きました


「俺は木曽次郎左馬允大允義仲だ。」


 そして私が続きます。


「私はこの屋敷の主であります中原兼遠が娘の巴と申します。

 遠いところをよくぞいらっしゃいました。

 皆様の名をお聞きしてもよろしいでしょうか?。」


 私の問に稚児姿のものがまず答えました。


「私は稚児名を遮那王(しゃなおう)幼名を牛若丸と申します」


 やはりそうでしたか。


 彼はじっと私の瞳を見つめています、私の心の中を見ようとでもするように。


「私の顔になにか?」


「いえ、貴女は不思議な方です、おそらく良き方とは思いますが、

 この世のものではないような何かを感じます」


 真面目な顔でそう答える遮那王に私は少し顔をひきつらせてしまいました。


 確かに私の魂魄はここではない時代からは呼び寄せられたものですが……。


「ちょ、遮那王?!」


  盗賊風の男が少し焦ったように遮那王に手を伸ばすのを私は手をあげて制止します。


「里の者が言うには私には巴淵の竜神の魂が宿っているとのことですが、そういった化生のものの気配ということでしょうか?」


  ニコッと微笑みなおして私は遮那王に聞きます。


「いえ、たぶん私の気のせいかと思います、失礼致しました巴殿」


 そう言って遮那王は軽く頭を下げたのでした。


 そして義仲様が遮那王に近づいて手を取ります。


「お互い源氏の子同士で仲良くしようぜ。」


 嬉しそうに義仲様は言いました、同じ境遇のものと出会えて本当に嬉しいのでしょう。


「ただし、巴に手を出したら殺す、いいな?」


 にっと笑って歯をむき出してみせたのでした。


「そんな滅相もない……」


 遮那王の方はすこしばかり困っているようです。


 とはいえこの二人、裏表のない性格という点では似ていてるように思われます。


 もっとも体格においては義仲様のほうがずっと大きいですし、遮那王殿には京の都で育った気品のようなものを感じます。


 そんなやり取りに続いて女性が答えます


「私は遮那王が妹、紅葉(くれは)と申します」


 そして太刀を履いた白拍子姿のものが答えました。


「私は源義朝が第一の郎党。

 鎌田政清(かまたまさきよ)が娘、朝顔と申します。」


 そして武家姿の物二人がそれに続け口を開きます。


「私は鎌田政清が長男の鎌田盛政(かまたもりまさ)


「私は鎌田政清が次男の鎌田光政(かまたみつまさ)


 続いて僧の姿のものが口を開きました。


「拙僧は鎌田政清が三男の鎌田正近(かまたまさちか)僧名は正門坊(しょうもんぼう)と申す」


 遮那王が源氏の血を引くものと教えたのは彼女達の家系のものと伝えられていますね。


 鎌田兄弟は後に義経四天王とされる人物に含まれています。


 鎌田政清は平治の乱にて六条河原の戦いで源氏が敗れ、義朝が討死しようとするのを引き止めて、義朝の子や大叔父の源義隆、従兄弟の源重成と共に東国を目指して落伸びようとしました、そして政清の舅である尾張国野間内海荘の領主・長田忠致(おさだただむね)の館にたどり着くのですが、忠致の裏切りにあい、義朝は風呂場で殺害され、政清は酒を飲まされて騙し討ちに遭い、忠致の子・景致の手にかかって殺されたのです。


 長田忠致はその首を六波羅の平清盛の元に差し出し、義朝を討った功により忠致は壱岐守に任ぜられるが、この行賞に対してあからさまな不満を示し「左馬頭、そうでなくともせめて尾張か美濃の国司にはなって然るべきであるのに」などと申し立てたため、かえって清盛らの怒りを買い処罰されそうになり、慌てて引き下がったといいます。


 そして盗賊っぽい雰囲気のものは


「俺は伊勢三郎義盛。

 まあ、今までの坊ちゃん嬢ちゃんと違ってただの雑草だがな」


 彼は飄々と答えます。


 元は伊勢鈴鹿山の山賊でしたが弁慶に叩き伏せられて遮那王の郎党となったはずです。


 そしてもう一人の偉丈夫が答えました。


「拙僧は武蔵坊弁慶と申す。」


 まあ、この面子で彼の出で立ちを見ればそう来るのが当然でしょうね。


 この二人は義経四天王の残り二人です。


 しかし、遮那王が京の都から出奔して元服するのは16のとき、弁慶との京での出会いは18のときとされています。


 ちょっと考えただけでもつじつまがあわないのですよね。


 一度京から抜けだしたものが京に戻って目立つようなことをすれば平氏に捕まるのは目に見えていますし。


 そもそもこの時代に五条大橋そのものがなかったのですから。


 最後に堀景光(ほりかげみつ)が口を開きます。


「私は金売り商人の堀弥太郎景光と申します。」


 彼は金売吉次(かねうりきちじ)と同一視されることもあるやり手の商人であり、恐らく奥州藤原氏とつながりもあるでしょう。


 少し注意が必要かもしれません。


 来た者達の面子はやはりというべきでしたが、少々出奔の時期が早まったのは本来はなかった私達からの呼びかけによるものでしょう。


 そして朝顔が進み出てきてこういったのでした。


「我が父鎌田政清と父の大殿である源義朝様の敵であり、我が母を父より奪った、長田忠致を討つ力をどうか我らへお貸しください。」


 そして腰に佩いた太刀を差し出してきたのです。


 彼女が持っていたのは白拍子が持つただの飾りの太刀に見せかけるためでしょうか。


「かわりとってはなんですが、これは父が大殿より賜った太刀にございます。

 どうぞこれをお収めください。」


「ふむ……」


 私はその太刀を受け取り眺めました、立派な装飾が施された太刀で鞘より抜けばなかなかの業物と見受けられました。


 源義朝より与えらた太刀となれば私達の権威付けにも役に立つでしょう…多分。


 続いて遮那王が口を開きました。


「私も私の父の敵であり母を父より奪い、母に飽きれば貴族へと物のように与えた清盛を討ちたい。

 ならば我が母より与えられたこの髭切をもってどうか私に力を貸していただきたい。」


  そう言って頭を下げたのでした。


 髭切というのは源氏に伝わる名刀とされる太刀です。


 ただしそれは一品ではなく、何振りかあるようでは有りますが。


  私はふた振りの刀を受け取ると、髭切は義仲様に手渡し、もう一振りは私が持ちました。


「わかりました。皆さん頭を上げてください。」


  そう言うと、もう一人の弁慶に私は問いました。


「あなたはなぜここへ?。」


「遮那王殿は拙僧が播磨でちとやらかし圓教寺の僧兵どもに追われ京へ逃げ身を隠しておった時、飢え死にしそうになっていた拙僧に飯を与えてくれた命の恩人でな。

 その時の恩を返すべく拙僧は遮那王殿に従っているのだ。」


  彼が言ってるのは圓教寺の堂塔の炎上事件のことでしょう。


 なるほど、遮那王も山伏の姿の弁慶が追い回されているのになにか思うところがあったのでしょうね。


 彼の場合平氏に追われているわけではありませんが。


 まあどんな豪傑であっても腹が減っては戦えません。


 基本的に京の都というのは慢性的な食糧不足に襲われている場所ですからね。


 そして私は義仲様に聞きます。


「どのようにいたしますか?」


「俺は力を貸してやりたいと思うぜ」


 私は義仲様の言葉にうなずきます。


「分かりました、木曽屋敷はあなた方を受け入れましょう。

 ただし必要なときには必要な働きを行っていただきます。

 部屋は朝顔殿達鎌田の皆さんは西の殿を、遮那王殿と弁慶殿、伊勢義盛殿、堀景光殿は東の殿をお使いください。

 後ほど歓迎の宴を催しましょう。

 まずは旅の疲れをいやしてください。」


  つまるところ彼らの仇討の協力を私はしたということです。


 その代わり彼らには木曽のために働いてもらうことになりますが。


  皆は再び頭を下げました。


「「ありがとうございます。」」


 そして顔を上げたあと遮那王が口を開きました


「我々を引き受けていただけたこと誠にありがたく思います。

 もし叶うのならば私の師匠鬼一法眼(きいちほうげん)様をこの屋敷に呼べればと思いますがよろしいでしょうか?。」


 義経の師匠、鞍馬天狗と呼ばれた陰陽師であり『六韜』という兵法の大家でもあり、京八流(きょうはちりゅう)という剣術の開祖でもあると言われる人です。


 戸隠大輔様もそうですがこの時代の山伏や、修験者、陰陽師が武術の開祖になっている例は多いのです。


 そして多分この方も超人なのでしょう。


 なんかもう戸隠大輔様と鬼一法眼様がいれば十分じゃないのではないかという気がしないでもないですが、血筋という後ろ盾がないのでやっぱり無理な気がします。


  私はそれを聞いて少し考えたあと


「分かりました、構いません。むしろよろしくお願いします。

 遮那王殿の元服の儀の手配もこちらにて取らせていただきます。」


  遮那王がまた頭を下げ言いました。


「ありがとうございます。

 では後ほど紙と筆をお借りいたします。」


「分かりました。

 客人を部屋へ案内しなさい。」


 私が下人に指示しますと彼らは下人に案内されそれぞれの部屋へ向かいました。


 彼らがわが木曽の傘下に入ることは大義名分を得たりることが出来ますし、彼らの軍の将としての資質を考えれば十分に私たちに見返りがありますからね。


 客人として丁寧に扱うことに致しましょう。


 そして私は早速遮那王の元服に必要な衣服や烏帽子の手配をしたのです。


 その後日遮那王の元服の儀は義仲様と同じく源氏の氏神である八幡神社で執り行われ、源九郎冠者義経みなもとのくろうかじゃよしつねと名乗ることになるのです。 

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