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嘉応2年(1170年)

 嘉応2年(1170年)


 私は14歳になりました。


 後白河法皇は福原山荘にて宋人と対面いたしました。


 しかし、これは宇多天皇の遺戒で禁忌とされた行為であり、九条兼実は「我が朝、延喜以来未曾有の事なり。天魔の所為か」と驚愕しております。


 また奥州藤原氏の3代目藤原秀衡が鎮守府将軍となりました。


 さらに、京の都にて殿下乗合事件てんがののりあいじけんが起こります。


 法勝寺での法華八講への途上、摂政である松殿基房の車列が女車と鉢合わせをし、従者達がその女車の無礼を咎め、乱暴狼藉を働いたのでした。


  しかしその車の主はあろうことか平清盛の嫡男である平重盛の次男である平資盛だったのです。


 基房は慌てて使者を重盛に派遣し、謝罪して実行犯の身柄の引き渡しを申し出たのですが、激怒した重盛は謝罪と申し出を拒否して使者を追い返し、松殿基房は参内途上で重盛の軍兵に襲われ、前駆5名が馬から引き落とされ、4人が髻を切られたというものです。


  すでに摂政であっても平氏一門には表立っては争えない状況になっているのです

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