便所革命
この時代大きな屋敷に住む貴族は樋箱、もっと具体的には大便用の清筥、小便用の虎子と呼ばれるものに大小便をしていました。
漆塗の四角い和製おまるといえばいいでしょうか。
樋箱には猫トイレのように砂を敷き詰めて使います。
清筥は片側に鳥居のような形状をした「絹隠し」という取っ手がついていて、樋殿と呼ばれる排泄をするための専用の部屋の隅に置いておき、便意をもよおした場合この箱を跨いで、大便でお尻の方の裾が汚れないように、このキヌカクシの上に着物の裾をかけて排泄を行います。
虎子の場合は普通にまたがって小便をしていました。
用が終わると「樋洗」と呼ばれる処分する担当の人間が、樋箱の下部の引き出しになって入る分を引き出して川へ捨てました。
おしりを拭くのに使われたのは「籌木」と呼ばれる細長い木の板で別名は「くそべら」です、まあ名前を見ればどういう使い方をするかわかっていただけたでしょう。
樋殿はとても臭いので香木を焚いて匂いをごまかしていました。
一般的な人たちは野糞ですし、お尻拭きは適当な草を使っていましたけど。
そんな状態だったのですがとりあえず農地の真ん中に幾つか穴を掘りその上に小屋を立て、杭と渡し板をおいて土坑形汲取式トイレの便所を作ったのです。
男女は共有となりますが。
トイレに貯められた糞尿は柄杓で雨よけをされた肥溜めにすぐ移され藁や籾殻、大鋸屑などを混ぜてかきまぜ発酵加熱させるることでウジや寄生虫、赤痢菌。天然痘ウイルス、破傷風菌などの病原菌を死滅させる事ができるようになりました。
「これで衛生的にはだいぶ良くなりますね…多分。」
窒素肥料の匂いが農地のあちこちでするようになるのはまあ仕方ありません。
これによって大小便は道端に積もったり川に流されたただの臭いものから農地を肥やす貴重な肥料へかわるのです。