池と釣殿と鯉の洗い
さて夏も真っ盛りのころ、ようやく池の造成とそれに水を供給する水路である遣り水が出来上がり、池に面した中門の廊の先端に池に乗り出してくつくられる庭園建築である釣殿も完成しました。
池の深さはおおよそ6尺(1.8mほど)で釣殿は池に小船を浮かべて涼をとるときの桟橋としても用いられ、その場で釣りをしたり春は桜、夏は蛍、秋は月見や紅葉、冬は雪見などの四季折々の景色を鑑賞できるようになっています。
池への給水は北から屋敷の周りの堀からひいてきて寝殿と東対屋の間をとおして池に注ぐようになっています。
とはいえ貴族のようにただ観賞用に池を作った訳ではなくて、重要な蛋白源である魚や昆虫の飼育が目的ですので、そんなに見栄えにこだわったわけではありません。
深くて飾り気がなくて広いだけの池ですから、水練に使おうと思えば使えないこともないでしょうが、まあ食料確保が最優先です。
「さて皆さん。
食べられる魚などを捕まえに行きますよ」
早速私は下人を集めて用水路に赴くとタモ網で鯉や鮒などを捕まえたり、釣りで釣りあげたりしては手桶に入れてそれらを屋敷の池に連れて来ました。
そのついでに田んぼを飛び交っている蛍を網で捕まえては虫かごに入れてこれも庭の池に放ちました。
「これで夜はそれなりに風流になるかな……たぶん」
そして、義仲様をお呼びして今日は鯉の洗いを振る舞います。
鯉はその類まれな生命と魚の中でも最も薬効が多く「薬用魚」「療養魚」と言われるほど栄養価に富んでいます。
よく「精がつく」「目によい」「産後の滋養強壮に良い」「母乳がよく出るようになる」などと言われ重宝されてきました。
池の鯉を捕まえまな板の上に載せ布巾で目隠しして首根っこを押さえ、まず眉間を狙って包丁の背を打ちつけます。
そして気絶しておとなしくなったら魚のエラ蓋から包丁を入れて中骨を一気に断ちきって頭とエラを落とし、しっぽも骨ごと断ち切って、桶に放り込み血抜きをします。
血抜きが完了したら続いて、鱗と体表のぬめりを包丁で丁寧に削ぎ落とします。鯉こくなどでは鱗をつけたまま調理する場合もありますが、鯉は鱗が硬くて大きく、ぬめりも強いのですがこのぬめりは体表についた細菌などですから、徹底的に取り除きます。
ウロコは捨てずに綺麗に洗って油で揚げてウロコせんべいにして後で酒の肴にします。
そのままの勢いでワタヌキにとりかかります、動物でも昆虫でもそうですが内臓はただ腹を割いて引きずり出せばいいというものではなく、腹の中で傷つけないよう細心の注意が必要です。特にコイをさばく際には苦玉(胆嚢)を潰さない様に注意が必要です。
潰すと身が緑色に染まり、苦くなります。それだけではなく胆嚢には毒性物質がありますので、そうなった状態の肉を間違っても食べてはいけません。 その他腸も気をつけないと消化中の餌が漏れ出して肉に付着すると臭いが染み付いたり変色してしまったりしますので、神経を使いながら尾の方から庖丁を入れ、
まず尾の方から肛門付近まで包丁を入れて切り、庖丁をいったん抜いたあともう一度入れて切っ先が中骨に当たる箇所で止め、ここから中骨に庖丁の先を当てたまま背側を切り進め、頭の付け根まで切ったら、
内臓を出します、苦玉は腹ヒレと鰓下(頭の付け根)の中間あたりにありますので、潰さない様に身側を下にして中骨を切り取って背開きになった鯉のガンバラを左右からすき切り三枚におろします。
更に身から骨抜きをした後、骨抜きでは抜けない細かい骨を包丁を入れて骨切りします。
湯で軽く「湯洗い」した後、冷たい井戸水で身を締めます。
身が白っぽくなり縮れてきたら、それを取り出して酢で締めて水気を拭いて器に盛りつけます。
大根を桂剥きしてツマにし、わさびを盛って、つけタレとして練りごま・醤・酒を混ぜて作ったゴマダレと酢味噌を小皿によそい、なすときゅうりの浅漬と先ほどさばいたウロコ付きのカワを揚げたもの、オクラとみょうがの吸い物に、玄米ご飯、日本酒を御膳に乗せて釣殿に持ってゆきます。
更に土鍋に昆布を入れ沸騰させたお湯を入れてそれも持って行きます。
釣殿では義仲様が座って待っていました。
「義仲様おまたせ致しました」
「おう、今日は月や星が綺麗だなホタルが舞いながら池を渡る涼しい風が気持ちいいぜで、今日の主菜はなんだ?」
「はい、鯉の洗いです」
「ほほう……」
私は義仲様の前に御膳を置くと、箸を手渡しました。
「おお、見た目もいいな、じゃ早速いただくとするぜ」
「まずはそのまま酢味噌でどうぞ」
義仲様が切り身を箸でつまみ、酢味噌につけて口へ入れました。
「おう、味噌の味が先ず広がって、追いかけるようにこりこりした鯉の食感が来て、最後の旨みが口いっぱいに広がる・・・いいなこれ、泥臭くもないしいい塩梅だ」
そして私は熱湯を入れた土鍋をさしだし
「今度はこちらの熱湯に軽くくぐらせて、ごまだれでどうぞ」
「湯にくぐらせる?」
義仲様は私に言われたとおり切り身をかるく湯にくぐらせるごまだれにつけてクチに運びました。
「おお、これはこれで身がしゃっきりしまっていいなうん」
私は徳利からおちょこへ布で濾した酒をそそいで、義仲様に手渡します。
「おう、ありがとな」
そしてそれを口につけます。
「んー、いいなこれ。獨酒に比べるとすっきりしてる」
そしてわたしは今度は揚げたウロコせんべいを指し示し
「酒の肴にどうぞ」
とすすめました。
「ほう、これも珍しいな」
そういってそれをクチに運び
「これも独特の味わいと食感があるな…そしてたしかに酒に合う」
「はい、気に入っていただけたようで何よりです。」
義仲様はすべてを平らげると満足そうにお腹をさすって
「あー本当うまかったぜ、やっぱり飯は巴が作ったのが一番だ」
その言葉を聞いて私はニヘラと笑ってしまいました。
「ありがとうございます、美味しさの秘訣は私の愛情ですから」
その言葉に義仲様はちょっとだけ顔をひきつらせながら答えました。
「お、おう、ありがたいことだと思ってるぜ」
そしてその後私は膳を片付けると、義仲様と一緒に湯浴みを行って褥を重ねたのでございます。