仁安3年(1168年)巴裳着
時は流れて仁安3年(1168年)春。
私は12歳になりました。
この歳に六条天皇はわずか5歳(満3歳)で退位となり、8歳の高倉天皇が擁立されました。
しかし天皇に実権はなく政務は父・後白河院が引き続き院政を敷いたのです。
また義仲様の母上である小枝御前がなくなられました。
遺体は柏原寺に葬られたのです。
・・・
この春、私の裳着が行われます。
裳着は一人前の女性になったことを示すもので、結婚させるべき親の意思表示です。
要するに結婚適齢期になったから誰かもらってくれという意思表示ですね。
これを迎えることによってやっと表立って動くことができるようになるのです。
「巴。
これでお前も一人前というわけだな」
「ありがとうございます、義仲様」
そして私の姿を見てこういったのです。
「なるほど、馬子にも衣装だな。
いつもよりずっと綺麗に見える」
「え?」
思わず顔が真っ赤になってしまいました。
なにせこんなことをいわれたのははじめてです。
「元服のときのお返しですか?」
「いんや、事実を言っただけだぜ。俺は世辞とかおべんちゃらは嫌いだ」
ああ、そういえばそういう人でした。しかし…
「奥様…にもそういっているのですか?」
「もちろん、といいたいところだがあいつはもともと綺麗だしな。
そんなことはいちいちいわんよ」
「はあ、そうですか…」
要するに私はあまり女とはみなされていないということですね。
がっくりです。
・・・
裳着をおこなったからといって私は普通の女性の家に引きこもってすごすようなことになったわけではありません。
和歌や琴のような貴族のたしなみを覚える必要はないのですが…私は父に相談することにしました。
「父上、笛や琴、和歌や漢文といった教養をみにつけることはできますでしょうか?」
「なんと?。
都落ちした貴族にでも嫁ぐつもりなのか?」
私は首を横に振ります。
「いえ、今後の事を考えますと、そういったこともできれば身につけたいと思っているのですが…」
父は私の言葉に少し悩んだ様子でした。
「ふむわかった、義仲殿の右筆も必要だろう。
師は私のほうで手配しておく」
「ありがとうございます」
私は父の言葉に頭を下げ安堵しました。
右筆というのは秘書のようなもので文を書いたり読み上げたりする立場の人を言います。
この時代では文字を読み書きできない人間が多く、多くはお坊さんや都落ちして地方に下った貴族などが勤めています。
・・・
さて裳着もすんだことですし鍛錬も本格的に指導を仰ぐようになりました。
教官は仁科大助様、戸隠大助と呼ばれることもある、戸隠流忍術の開祖で唐打術・骨法術・骨指術・体変術・飛鳥術・銛磐投術・薙刀術・戸隠修験道・飯綱修験道などの修行を終えた山伏であり忍者です。
山伏は天狗と同一視されることが多く、かの源義経は鞍馬天狗により鍛えられたと聞きますがこの方もなかなかに超人です。
アイエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?と思った方もいるでしょうが古流の忍術や剣術はすでに平安時代から成立していたのですよ。
本日は武術の講義です人体の構造急所や気の循環、重心の移動などについて詳しい説明を受けながら純粋な武術である「手乞」と武術を応用した医療行為の「骨法」を体得していきます。
突く・殴る・蹴るといった打撃法に加え投げる極めるといった投げ技や関節技、経絡を閉ざしたり、経穴を麻痺させたりといった気功法骨のずれなどを直す整体など総合的なことを教わります。
さらに手乞の中には徹しと呼ばれる技術があります。
鎧の上から打撃を加えて内部にダメージを与えるというものです。
昔の記憶では合気とか太極拳にもある技術なのですが、元は唐手と呼ばれる唐の国の武術だったのでしょうか?。
「徹しの方法ですが…まずは見ていただいたほうが早いでしょう」
教官は木の枝に瓜をつるして見せます。
「ではいきますよ…はっ!」
教官が掌で瓜をうつと”ボン!”と瓜が中から爆発するように四散しました。
「す、すげえ」
義仲様も驚いたようですが私も驚きました。
「いったいどうすればそのようなことが可能なのでしょうか?」
先生が答えます
「打撃の圧力を表面ではなく中に押し込み爆発させるのです。
あ、それと人相手にこれを使ってはいけません。
使うときは相手を必ずたおさなければならない場面だけにとどめ、練習時も人ではなく瓜なり魚なりを使うようにしてください。
いいですね」
「「わかりました」」
私たちも同じように瓜を枝にぶら下げて掌でうってみた。
「おわぁ!」
義仲様が撃った瓜は枝を一回転して彼の後頭部にぶつかったのでした。
「うわ、危ない危ない」
それを見ていた私は何とかよけることに成功したのでした。
「まあ、見てすぐにできるようでしたらだれも苦労しません。
あきらめずに鍛錬を続けてください」
私たちは声をそろえて答えたのです。
「「わかりました」」
私たちにもいずれできるようになるのでしょうか。
さて次の鍛錬は衣を着用したままの水練です。
この時代には橋というものはあまりなく渡河をすることも多いのです。
だいぶ無茶だと思うのは私の昔の記憶のせいでしょうか…。
兄である中原次郎兼光の監視の下比較的流れの緩やかな川に義仲様とともに入っていきます。
水練の教官も戸隠大助さまです。
この人は何でもできる超人なのでしょうか?
「では、参りますぞ」
「「はいっ!」」
意を決して川に入っていくが思っていたよりずっと流れが早い。
教官は普通に泳いでます。
もちろん水泳のほか潜水、飛込みや水馬術といったことは今までも行ってきたけど、今までは裸の上に湯具この時代の水着というか下着というか……での水練です。
ひらひらした衣はとても泳ぎにくくします。
「ちょ…これはやっぱり無理なんじゃないですかね」
私は川の流れにおし流されてどんどん下流に流されていく。
「た、助けてくださいー」
ざばざばと川の水ををかき分けて義仲様がこちらへ泳いで向かってきてくださいました。
「巴!大丈夫か」
そして危うくおぼれかけたところで義仲様が私に追いつき、岸辺へと引き上げてくれたのでした。
「あ、危うくおぼれ死ぬところでした。ありがとうございます、義仲様」
「おう、危なかったな。もし巴がおぼれたら水を吐かせる為に衣を脱がせて胸をおさなきゃならんとこだったぞ」
にやっとわらいながら義仲様が言います。
それに対して私は小声でつぶやきます
「義仲様だったらそうされてもいやじゃないんですけどね…」
義仲様が不思議そうに
「ん、なんかいったか?」
と聞いてきます。
「いえ、何でもありません」
私はどきどきしていました。
しばらくして兄である中原次郎兼光がやってきました。
「巴大丈夫か?」
兄も私の様子をみて安心したようです。
「はい、ご心配おかけいたしました、申し訳ありません」
「ふむ、では今日の水練はここまでとしよう」
「んじゃかえるか」
「はい、そういたしましょう」
義仲様と先生の言葉に私も続きます。
「そうですね。今日は館に戻って温泉に入って温まったら早めに休みましょう」
もっとも少し休んだら炊事洗濯などもしないといけません。
浴場の掃除は下人にやってもらったりしていますが便女はあくまでもした働きなのですから。
しかし義仲様はどこまで本気で言っていたのでしょう。
私と義仲様は兄弟のような関係でもあり貴人と使用人という関係でもあり将来の戦友のような関係でもあります。
やっぱり私は女として見られてないのでしょうか。
それとも少しは女としてみてもらえてるのでしょうか。