Ⅲ
「快斗!無事?」
続けて聞こえてくる女子の声。
それに合わせて、僕の頭上を銀の軌跡が過ぎる。同時に、子鬼の叫び声が何十にも重なって消えた。
流れるような長髪に、すらっと伸びる長身。巫女姿に身を包んでいるものの、彼女はもう一人の親友、秋に他なら無かった。
僕は二人に思考して伝える。
『大丈夫』
彼らは僕を守るように、紅鬼の前に立ちふさがった。それぞれ、煌びやかな剣と槍を所持しており、それを構え、紅鬼と対峙する。
「快斗! スタンが解けたら走り出せ! そこで倒れてる子も、俺たちに構わず走れ!」
そう叫んだのも束の間、重く響く金属音が聞こえ始めた。
紅鬼と打ち合っているのだろう。僕は起きあがることもできないため、親友の勇姿を見ることすらままならない。
自分の無力さを噛みしめながら、スタンが解けるのを待つ。
じっと耐える事数秒、スタンの文字が点滅し、消え去る。僕はすぐさま飛び起き、走る。だが、そばに横たわる彼女は、未だ動き出すそぶりがない。
少女に駆け寄り、身体をゆさぶる。だが、返答はない。
「何してるの快斗! そこでもたもたされると、こっちも危険なの!」
「この子、意識がない!」
「なんだって?」
紅鬼の猛攻を受けつつ、悠が一瞬こちらをみる。
「担いでいけ!」
「ダメよ!」
秋が叫ぶ。
「担ぎながらじゃ、逃げきれない。子鬼に囲まれる!」
今、周囲に子鬼の陰が無いのは、悠たちに殲滅されたからだ。逃げた先に子鬼がいないとも限らない。
彼女を担いだまま、子鬼に捕まれば逃げ場を失い、そこで終わりだ。紅鬼に殺される前に、子鬼に殺される。
悠たちの援助無しで、ここから離脱できるだろうか。紅鬼がいる以上、悠たちは奴を止めるのに手一杯だ。逃げるのに彼らの手は借りられない。
「あの子が眼を覚ますまで……持ちこたえられる?」
苦しい表情で、秋が叫ぶ。紅鬼の攻撃は時間を経るごとに苛烈さを増している。
「それは、ちと、厳しいな」
悠は顔を歪めながらも、紅鬼の一際重い一撃を受ける。
すると、鮮血の巨人は攻撃を唐突に打ち切り、両手で持った鉄塊を頭上高く掲げた。腕の筋肉が隆起し、高熱を放射する。
危険きわまりないスキル【鬼岩槌】の予備動作だ。僕は素早く二人に思考を送信する。言葉で発するより早く、彼らの脳内に情報として直接届く。
『二人ともその攻撃は危険だ! 何とか避けて!』
悠と秋は各々スキルを発動。彼らの頭上にスキル名が表示された後、光を伴った敏速の刃が放たれる。彼らはその一撃をもって紅鬼の身体を切りつけ、スキルの停止を狙う。
だが、紅鬼は意にも返していない。そのまま、構えを解く様子はない。
『早く避けて!』
僕は二人に思考を飛ばしてから、紅鬼に炎を放つ。灼熱の炎球は鬼の額へ一直線に飛んでいき、奴の顔面もろとも焼きつくした。しかし、紅鬼に揺るぐ様子はない。
だがその状況の中で、僕はもう一度確かに見た。たった一秒にも満たない間に、上部のHPゲージとは異なるゲージが現れた事を。それは全体の三分の一までメモリが減っていた。
僕は彼女の襟を掴んで引きずり、正面に紅鬼を見据え後退する。右手は紅鬼に向けて掲げたままだ。
僕の考えが正しければ、あの小さいゲージが今の状況を打破するはず。
そこで悠が呼びかけてくる。
『快斗、逃げろ!』
悠と秋はスキルの停止を諦め、紅鬼の死角ぎりぎりに退避している。
一人で逃げる訳にはいかない。彼女はまだ意識を失っている。
唐突に、紅鬼が身体を捻った。構えを解かず、そのまま悠の方へ向きを変える。奴は悠を狙っている!
紅鬼の予想外の動作と同時に、僕のスキル待機状態が解ける。すぐさま、【炎球】を発射。
巨人の頭部側面に拳大の炎が衝突し、火の粉が周囲に飛び散る。
『break!!』
炎の衝突と同時に、脳内に音声が再生される。紅鬼は呻きながら、体制を崩した。そのまま【鬼岩槌】は不安定な体制のまま放たれる。宙を仰ぐように振るわれた攻撃は、殺傷力を持たず空振りに終わった。
『快斗、援護助かった!』
悠と秋は僕と紅鬼の間に割って入る。
『もう十分よ! 逃げて!』
二人は僕に背を向けると、紅鬼と対峙した。
『いや……僕はここに残る。ここで、紅鬼を倒す』
言葉が伝わった直後。二人は動きを止め、僕を見た。
紅鬼は未だ立ち直れないのか、反撃する様子がない。
僕は彼らを一瞥してから、微動だにしない少女に、手持ちの回復薬を全てそそぎ込む。
『何言ってんだ? こいつがどれだけ危険か分かってるか?』
『理解してる、つもりだよ。でも、そうするしかないんだ。この子――彼女は衰弱してる。意識を取り戻しても、歩ける保証がない。彼女を助けるには、紅鬼をどうにかするしかないよ』
『分かってないわ。これは遊びじゃないの。命がかかっているかもしれないのよ?』
秋が眉を寄せ、険しい視線を向ける。
『ごめん……でも、彼女を見捨てたくない』
『そんなにそいつは、お前にとって大切なのか?』
冷ややかな視線で、悠は僕に問いかけてくる。
『……』
秋もまた、沈黙をもって僕に問いかける。
彼女は命をかけるほどの人間なのかと。
僕は親友たちが彼女を見捨てる事を選択肢に入れている事に、少しばかりショックを受ける。
彼らはこんなにも厳しい人間だったろうか。このゲームが始まって、彼らは変わってしまったのか。
始まってたった一日。されどその一日で、実際に僕は母を失いかけている。悠たちの身に人生観を変える何かがあっても、不思議ではない。
それとも、今の悠たちが本当の姿で、僕は今まで彼らの事を理解していなかっただけ、なのだろうか。
彼らの視線を正面から受ける。それでも……僕は強い意志を持って応える。
『彼女が誰だか僕は知らない。全く知らない子だ。……だけど、僕はこれ以上、誰かを置いて逃げたくない。絶対に』
二人を見据え強く伝える。
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
「こんな状況でも、快斗は変わらないな。なんだか少し安心した」
「こうなった快斗は、もう何を言っても無駄だから。しょうがないわね」
悠たちはそれだけ言うと、すぐ向き直り、紅鬼へ武器を構えた。
紅鬼は長いひるみ状態から復帰したようで、迫る悠たちに向け、無骨な武器を振るう。
『ごめん……二人とも』
『謝らなくていい。お前と何年友達やってると思ってるんだ? そのぐらい覚悟の上さ』
『まあ、私はあとで甘いもの奢ってくれたら、許してあげる!』
二人は普段と変わらない調子で、そう告げる。
彼らの言葉に僕は少なからずほっとした。
『……それより、こいつを倒す勝算はあるのか?』
悠が僕に問いかける。
『決め手になるか分からないけど……あるよ』
思考を通じ合わせている間も二人は慣れた手つきで、リズムよく紅鬼にダメージを与えていく。悠が打撃を受ければ、秋が攻撃に徹する。秋が守りに入れば、悠が攻勢に転じる。お互い、息のあったコンビネーションで確実にダメージを蓄積していく。ARゲームを何度もプレイしていただけある。ある程度勝手が分かっているのだろう。
だが、残念ながら奴の上部に表示されたHPは、まだ八割ほども残ったままだ。
『……多分、このゲームの魔物には部位ごとにそれぞれHPが設定されてる。さっきの『Break!!』って音声は、部位破壊に成功した時に再生されるんだと思う。だがら、一つの部位を集中狙いして、HPを削りきれば、こいつの動きを鈍らせることができるかもしれない』
『なるほどな。鈍ってるところを攻撃すればいいってことだな』
『確かに、それは一理あるわね』
二人は納得したように思考する。
『快斗、作戦は分かった。だが、短期でこいつを落とせなかったら……その時は……分かってるな?』
悠は僕に釘をさす。時間をかければ、それだけ子鬼が湧く可能性が出てくる。それは、紅鬼だけに集中していられなくなる事を意味する。
つまり、短期で倒し切れなければ彼女は見捨てる。そう悠は言っているのだ。
『分かった。その時は悠に従う』
そう思考して間もなく、紅鬼の荒々しい咆哮が周囲に響き渡った。遠方に子鬼が複数匹出現する。
紅鬼は二人がかりでないと押さえきれない。子鬼は僕が相手をするしかない。
『子鬼は僕が対処する!』
『頼む。これは、骨が折れるな』
『骨が折れる前に、心が折れそう』
二人が紅鬼に果敢に挑んでいく姿を視界の端に捉えつつ、僕は子鬼に向かい合う。
数は五匹。森で何度も戦闘を繰り返した相手だ。行動パターンは読めている。
子鬼は僕を視界に入れると、牙をむきだし威嚇してきた。すると、弾丸の如き早さで突進してくる。
僕は子鬼が間近に迫るまで待ってから、スキルを発動する。
彼らには遠距離から攻撃を当てらない。できるだけ、引きつけてから炎をぶつける必要がある。
左に一発、時間を空けて正面に一発。
炎が破裂し、二匹の子鬼が爆散する。しかし、残った子鬼が怯まず押し寄せてくる。
それを紙一重で避け、振り向き様に【炎球】を発動。もう一匹を消し炭にする。
幾度かの攻防を繰り返し、子鬼を片づける。
紅鬼に視線を戻すと、懲りずにスキルの予備動作にはいったところだった。
だがそのスキルは『Break!!』という音声と共に消え去る。
鉄塊は地面を緩やかに撫でるだけで終わり、そのまま紅鬼の手から放れ地面に落下した。
「ガァァァァァァァァァァ」
何度も技を遮られ、紅鬼は怒りの咆哮を上げる。
すると、それに呼応するように、十匹以上の子鬼が一斉に出現した。
冷や汗がにじむ。五匹でぎりぎりなのだ。それ以上となると防ぎきれる自身がない。
しかし、そんな憂いは子鬼達には関係ない。子鬼は容赦なく、僕に向かってくる。
いや、数匹は気を失っている彼女の方へ向かっていった。
そこで、とっさに【喚き】のスキルを発動。耳を聾する高音が放たれる。一斉に赤い眼孔が僕を見る。
「くそっ!」
僕はそう声を荒げながら、半分やけくそに子鬼の群に突っ込んだ。
がむしゃらに戦闘を繰り返すこと、数分。自身のHPを二割までに減らしながら、いまだ子鬼を殲滅しきれずにいた。
横たわる彼女を、子鬼達から隠すように立つ。
体中が痛み、集中していなければ倒れそうになる。やはり、子鬼といえど侮れない。噛みつかれ殴られれば、予想を超える痛みが襲ってくる。
立っていられるのは、彼女を守らなくてはならない、その思いあってのことだ。今、僕は気力だけで立ち続けている。
子鬼はそんな僕を待ってくれるはずもなく、プログラムされたパターンを繰り返す。
目の前にいる獲物に飛びつき、食らいつく。それのみが、彼らの存在理由なのだ。
四方から僕に飛びかかってくる。僕は何度となく繰り返した方法で、彼らに攻撃を加える。もはや、思考することは無く、身体の動くままに彼らと死闘を繰り広げる。
ぼやけた視界越しに、牙が迫り来ってくる。
ほんの数秒意識が飛ぶ。すると、僕の視界はいつのまにか一面の土色になっていた。どうやら、僕は倒れ地面に伏しているらしい。
悠と秋……ごめん。せっかく、助けにきてくれたのに、どうも僕はここで終わりみたいだ。
名も知らない彼女。君を守りたかったけど守れなかった。無力で僕を許してほしい。
そして、母さん。結局、助けにいけなくてごめんなさい。
そんな懺悔を最後に、僕の意識は暗転していく。意識を失う直前、複数の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
悠と秋が生きてたのか。良かった。
最後に僕はそう安心して眠りについた。