Ⅱ
火の玉が炸裂する。灼熱の炎を浴びた魔物は、上部に表示されたHPゲージを空にして消滅した。僕の初期スキル【炎球-エンキュウ-】は、どうやら有効らしい。
窪地を抜け森を駆けていると、小柄の魔物と幾度と無く遭遇した。青い体表に二本の角は鬼のそれだが、昨夜の巨躯な鬼と比べれば、あまりに小さい。
けれど、油断はできない。彼らは群をなし、執拗に迫ってくる。彼らのような弱小な魔物でも、一斉に襲われれば一溜まりもない。僕は荒い息を押し殺し、ひたすら走り続ける。
昨夜の記憶が脳裏を走る。あんな痛みを受ければ立っていることさえ難しい。ともかく、攻撃を食らわないことが肝要だ。
僕は子鬼が近づくたびに、炎球と思考することでスキルを発動し、奴の行動を制する。子鬼の攻撃手段は殴る蹴るなど。近づかれなければ、ひとまず安心だ。……僕の体力が尽きなければの話だけれど。
二〇分近く子鬼に追い回されたところで、やっと森を抜けることができた。体力の限界を迎える前に、何とか抜け出せたようだ。
僕は呼吸を整えつつ視線を上げる。森の周辺には荒れ地が広がっていたはず……が、そこには一面の赤――広がっていたのは咲き誇る彼岸花だった。
僕は田舎が好きだった。その風景もさることながら、稲や土塊の感触、田畑特有の泥臭ささ、そのどれもが僕にとって好ましいものだった。
けれど、普段感じていた香りや感触の類は、全て偽物とすり替わっている。昔遊んだARゲームと同じ。一つの世界観を実現するため五感を『v-memory』に制御されている。
つまり、ここは仮初めの世界――ゲームの世界に他ならない。しかもそれは実際に痛みを伴う、悪辣なシステムを要している。
そんなものに、僕の暮らしていた現実世界は乗っ取られてしまったようだ。
森から子鬼達が、今にも僕を襲おうと眼をたぎらせている。だが、子鬼は森を抜け出せないでいる。どうやら移動できる範囲に制限があるようだ。それを視界に捉えながら、僕は道なりに進む。
しばらく歩くと、古風な家が乱立している場所に出た。多分、この付近に我が家があるはずだ。僕は見知っていたはずの家々を、一つ一つ確認していった。
真紅に彩られた建物が、我が家だと気付くにはさほど時間はかからなかった。
デジタル映像で装飾されているとはいえ、はげた煉瓦や、ネームプレートの位置など、家の微妙な特徴は残されたままだった。
ここに来るまでの道中、人の姿をまるで見かけなかった。田舎の農村とはいえ、一キロ歩けば人に会わない方がおかしい。だが、倒れている人間はおろか、生活音すら聞こえない。みんなどこかへ逃げたのだろうか。
不気味さを感じながらも、僕は我が家に突入する前に端末からウィンドウを開く。
メインウィンドウから、アイテム欄を選択し、これまで取得したアイテムの中に、使える物がないか見ていく。とは言っても持っている数は、たかがしれている。『HP小回復薬』が三つに、【喚きーワメキー】というスキルが四つ。全て子鬼からドロップしたものだ。
僕は続けてスキルスロットを開く。中央にセットされた【炎球】を中心に、六つのスキルスロットがある。すでにその一つには【喚き】のスキルがセットされている。【喚き】は敵の注意を自分に向けるスキルだ。今、使えるかは分からないがセットしないよりはましだろう。
この備えだけで、紅鬼に立ち向かわなければならない。あまりに心許ないが、これで我慢するしかない。もう、一分たりとも時間を無駄にしたくない。
僕は緊張で震える手を強く握り、我が家であろう家の前に立った。
心臓の鼓動を押さえようと何度も深呼吸しながら、ドアに手をかける。
戸口に触れた途端、鬼に殴られ倒れる母の姿がフラッシュバックした。鼓動速まる。母が死んでいたら……
そんな、悲観的な妄想を消し去るように頭を降り、僕は勢いよくドアを開けた。
熱気が一気に押し寄せてくる。肌を刺すような熱とまとわりつくような湿気。それに付随して、昨日の恐怖が蘇る。
慟哭と悲鳴。身体に染み込まれた恐怖が再度、僕の意志を問う。生命を脅かす危機に、お前は信念だけで挑めるか?
答えは決まっている。いや、もうそれ以外選択の余地は無い。
僕は何度も揺れた決意を、より強固にして、我が家に足を踏み入れる。
「母さん」
声を出し呼びかける。返事はまるでない。
僕はダイニングだった場所へ、自然と足を向ける。母がいるとすればそこしかない。
廊下を歩くたびに木の軋む音が鳴り、どこからともなく風鈴の音が鳴る。
胸の鼓動が加速していく。母は生きているだろうか。早く確認したい。
はやる気持ちを抑え、僕はダイニングだろう場所をそっと覗いた。
「……」
呆然とする。そこに母の姿はなかった。
くまなく見渡す。されど、姿はない。家を間違えただろうか。だが、見る限り間取りは我が家と一致する。
逃げたのだろうか。母の痕跡を探そうと、周囲を観察する。だが、全てが偽物と入れ替わった今、移動した跡など残っているはずが……。
そこで、古びた調理場(台所だと思われる)の小窓が開いているのを発見した。あそこはそもそも、開いていただろうか。
僕は小窓に近づき顔を出す。外に人の気配は無い。
小窓は人間が通るには少々狭い。だが、母親の小柄な体型なら可能かもしれない。
色々と思考を巡らせていると、唐突に間近で物音が鳴った。調理台の下の戸棚からだ。
小動物か何かだろうか。我が家ではネズミやゴキブリの類は日常茶飯事である。居てもおかしくはない。
僕は警戒しつつ戸棚に近づく。戸棚付近には、戸棚に入っていたであろう杵や釜が転がっている。
取っ手に手をかけたその時、何かが飛び出してきた。
「いやぁぁぁぁぁ!」
叫び声と共に、扉が勢いよく開く。僕は扉に思い切り顔をぶつけ、後方にたじろいだ。
「いっ」
目の前に現れたのは少女だった。小柄な彼女は目をきつくつぶりながら、こちらを向いている。包丁を持って。
「うわぁ!」
「きゃぁぁぁぁぁ!」
彼女は僕に向かって突撃してくる。咄嗟にダイニングに向かって避ける。彼女はそのまま壁に激突する。衝撃で食器が落下し砕け散る。
だが、彼女の猛攻は止まらない。包丁を振り回しながら近寄ってくる。
「あぁぁぁぁぁぁ!」
彼女は叫けび続ける。
距離を空けようと、僕は彼女を正面に捉えながら、すばやく後ろへ下がる。が、何もないはずの空間で僕は足を取られ、尻餅をつく形で倒れた。 彼女はそんなことはお構いなしに、無差別に刃物を振り回しながら迫ってくる。
「待って!」
僕は叫ぶ。だが、それは彼女の悲鳴によってかき消される。
「待ってくれ!」
ぼくは再度、大声を張り上げた。刃が僕の視線数十センチでぴたっと止まる。
「僕は君の敵じゃない」
「えっ……」
そこで初めて彼女は目を開けた。
「僕は人間だよ」
「あぁ。……ほんとだ」
彼女は脱力し、その場にへたりこむ。強く握っていた包丁は床へと転げ落ちる。
「大丈夫かい?」
僕は立ち上がり、彼女に言葉をかける。
「……はい」
大丈夫……には見えない。体が絶え間なく震えている。
「何で僕の家に?」
「ここは、あなたの家……なんですか?」
そう言って僕を見上げた彼女の表情は、あまりに疲労に満ちていた。短髪にくりっとした目。愛嬌のあるその顔は、とても魅力的なものだろう。だが、乱れた髪、深いクマ、服の汚れ、それらばかりが目に付き、彼女本来の可愛らしさは失われてしまっている。
見れば、彼女は素足で、加えて足の裏に泥がこびり付いていた。山でも降りてきたのだろうか。
「勝手にあがりこんで……ごめんなさい」
僕が手を貸すと、彼女はおぼつかない足取りで、ゆっくりと立ち上がった。
「いいんだ。こんな状況だし。君も追われてたんだよね?」
「はい……。たくさんの獣にいきなり襲れて。私、訳が分からなくなってしまって」
彼女は震えを抑えるように、自分の両腕を抱く。
「あなたは知ってるんですか? どうして、こんなことが起きてるか」
「僕も分からない。昨日、唐突に『v-memory』にゲームがダウンロードされて……」
「『v-memory』? なんのことですか?」
僕は耳を疑った。『v-memory』を知らない訳がない。今の時代、『v-memory』の普及率は九割を超えると聞く。持っていない人はいれど、知らない人間がいるのだろうか。
そもそも、知らないなら、彼女の首の付け根に装着されている『v-memory』はいったいなんだ。
「君は……」
僕は続きの言葉を発する前に、視界の端に映るあるものを見て固まった。
ゆっくりと、視線を横にスライドさせる。
「……どうしたんですか?」
彼女が心配そうに訪ねる。
しかし、僕は彼女に返答することができなかった。
ダイニングに接する中庭に、立っていたのだ。……深紅の鬼が。
奴は眼をギラつかせ、僕を凝視していた。上部にはHPゲージと共に、【紅鬼ーセンキー】と表示されている。
ダイニングと中庭を、隔てていたはずの障子戸は、今や完全に開け放たれており、庭から部屋には容易に進入できる!
「逃げるんだ!」
僕は彼女の手を掴み、急いでその場から逃げ出す。
「な、なに?」
説明するより早く、紅鬼の一撃が炸裂する。
地面に叩きつけられたそれは、地面を砕き火花を散らす。
彼女は背後で弾けた轟音で、状況を理解したようだ。躊躇無く、僕と共に玄関から外に飛び出す。
そのまま、僕は彼女の手を引く。しかし、彼女は足をもつれさせ転倒してしまう。震えて思うように動けていない。
「手を貸すから! ゆっくり立ち上がって!」
「ダメ、足に力が入らないんです! あなたは、先に行ってください!」
「それはできない!」
そんなやりとりをしているうちに、奴が玄関から現れた。
「僕が君を背負うから、肩に掴まって!」
彼女は素直にそれに従い、僕に強くしがみついた。震えが僕にも伝わってくる。
「えぇい!」
僕は力を振り絞って、彼女を背負い上げる。女の子に失礼だが予想以上に重い。こんなことなら、もう少し運動に勤しんでいればよかった。
紅鬼が間近に迫ってくる。
僕は紅鬼の顔めがけて右手を掲げる。手のひらに輝く炎が生成され、弾かれたように飛去る。そのままそれは、紅鬼の顔面に直撃した。
「ガァウァッ」
紅鬼は顔面から煙りを上げながら、大きくのけぞる。
そこで唐突に、妙な物が視界に入った。紅鬼の顔面近く、極小のゲージが現れる。それはほんの一瞬だけ表示されると、すぐに消えた。
しかし、今はそれについて考えている余裕はない。バグか何かだと判断し、紅鬼からとにかく逃げる事を考える。
「しっかり掴まって」
「はい」
僕は紅鬼がひるんでいる隙に、急いで走り出す。
けれど、家の外に出た途端、複数の呻き声が聞こえてきた。
見ると、複数の子鬼が家の周囲に湧いていた。奴らは僕達を認識すると、弾かれたように突進してくる。
走りながら、スキルを発動する。
幾匹かの子鬼が炎に焼かれ吹き飛ぶ。だが、僕の攻撃を諸ともせず、奴らは勢いをそのままにせまってくる。
間髪入れず、【炎球】と思考するが、スキルは発動しない。スキルには待機時間があるため、同じスキルは、時間を空けないと連続で使用できない。
数秒待ってから、ようやく炎が生成された。そのまま手近の子鬼にたたきつける。
数を減らせども、子鬼は間髪いれず飛びついてくる。攻撃の手数があまりに少ないため、敵を迎撃するより先に、こちらが攻撃を受けてしまう。
僕は身を屈めそれら避けようとする……が、すぐに思いとどまり、奴らに蹴りをかます。屈んでも彼女が攻撃の的になるだけだ……。
彼女を背負ったままでは、子鬼の攻撃を避けることすらままならない。逃げるだけでも容易ではない。
その時、僕は注意力を逸していたのか、一匹の子鬼に抱きつかれてしまった。そいつは腕にしがみつき噛みついてくる。
「がっぁ」
激痛によろめく。脂汗をかきながら必死に振り払う。
「あ、あれ!」
今度は、彼女が焦った様子で何かを指さす。彼女の指し示す先では、紅鬼が大きく鉄塊を振りかぶっていた。背筋に寒気が走る。明らかに大業の予兆だ。
鬼の上部に【鬼岩槌-キガンツイ-】と殺傷力の高そうなスキル名が、懇切丁寧に表示される。
「どいてくれ!」
まとわりつく子鬼を払いのける。
しかし、そんな僕の焦燥を無視して、容赦なく鉄塊は打ち下ろされた。
それに続く轟音。地鳴りと共に僕達に衝撃波が迫る。避けきれない!
衝撃が身体を襲う。激しく脳が揺さぶられる。
僕たちは子鬼共々吹き飛ばされ、地面を何度かバウンドする。
制止した頃には、全身を強いしびれと痛みが支配していた。
視界に表示される、スタンの文字。身体の自由がまるできかない。加えて僕のHPは、今の攻撃で五割まで減っていた。
背負っていたはずの彼女は、少し離れた位置で、僕と同様に身動きできずにいた。
そこへ、足音が徐々に近寄ってくる。重い振動が迫ってくるにつれ、自分の命が死に近づいているのを感じる。
視界の端に紅い巨人が現れる。そいつは僕をじっと見つめると、鉄塊を高く掲げた。
僕は目の前の鉄塊を、ただじっと見つめるしかなかった。
そのままそれは、容赦なく振り下ろされ……
「快斗!」
僕を呼ぶ叫びが耳に届いた頃になって、鉄塊が頭上で止まった。
短髪に薄黒く焼けた肌。見覚えのある背中が僕の目の前に立つ。
「間に合って、良かった!」
そこには僕の親友である、悠の姿があった。