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 火の玉が炸裂する。灼熱の炎を浴びた魔物は、上部に表示されたHPゲージを空にして消滅した。僕の初期スキル【炎球-エンキュウ-】は、どうやら有効らしい。

 窪地を抜け森を駆けていると、小柄の魔物と幾度と無く遭遇した。青い体表に二本の角は鬼のそれだが、昨夜の巨躯な鬼と比べれば、あまりに小さい。

 けれど、油断はできない。彼らは群をなし、執拗に迫ってくる。彼らのような弱小な魔物でも、一斉に襲われれば一溜まりもない。僕は荒い息を押し殺し、ひたすら走り続ける。


 昨夜の記憶が脳裏を走る。あんな痛みを受ければ立っていることさえ難しい。ともかく、攻撃を食らわないことが肝要だ。


 僕は子鬼が近づくたびに、炎球と思考することでスキルを発動し、奴の行動を制する。子鬼の攻撃手段は殴る蹴るなど。近づかれなければ、ひとまず安心だ。……僕の体力が尽きなければの話だけれど。 


 二〇分近く子鬼に追い回されたところで、やっと森を抜けることができた。体力の限界を迎える前に、何とか抜け出せたようだ。

 僕は呼吸を整えつつ視線を上げる。森の周辺には荒れ地が広がっていたはず……が、そこには一面の赤――広がっていたのは咲き誇る彼岸花だった。


 

 僕は田舎が好きだった。その風景もさることながら、稲や土塊の感触、田畑特有の泥臭ささ、そのどれもが僕にとって好ましいものだった。

 けれど、普段感じていた香りや感触の類は、全て偽物とすり替わっている。昔遊んだARゲームと同じ。一つの世界観を実現するため五感を『v-memory』に制御されている。



 つまり、ここは仮初めの世界――ゲームの世界に他ならない。しかもそれは実際に痛みを伴う、悪辣なシステムを要している。

 そんなものに、僕の暮らしていた現実世界は乗っ取られてしまったようだ。


 森から子鬼達が、今にも僕を襲おうと眼をたぎらせている。だが、子鬼は森を抜け出せないでいる。どうやら移動できる範囲に制限があるようだ。それを視界に捉えながら、僕は道なりに進む。

 しばらく歩くと、古風な家が乱立している場所に出た。多分、この付近に我が家があるはずだ。僕は見知っていたはずの家々を、一つ一つ確認していった。



 真紅に彩られた建物が、我が家だと気付くにはさほど時間はかからなかった。

 デジタル映像で装飾されているとはいえ、はげた煉瓦や、ネームプレートの位置など、家の微妙な特徴は残されたままだった。


 ここに来るまでの道中、人の姿をまるで見かけなかった。田舎の農村とはいえ、一キロ歩けば人に会わない方がおかしい。だが、倒れている人間はおろか、生活音すら聞こえない。みんなどこかへ逃げたのだろうか。


 不気味さを感じながらも、僕は我が家に突入する前に端末からウィンドウを開く。

 メインウィンドウから、アイテム欄を選択し、これまで取得したアイテムの中に、使える物がないか見ていく。とは言っても持っている数は、たかがしれている。『HP小回復薬』が三つに、【喚きーワメキー】というスキルが四つ。全て子鬼からドロップしたものだ。


 僕は続けてスキルスロットを開く。中央にセットされた【炎球】を中心に、六つのスキルスロットがある。すでにその一つには【喚き】のスキルがセットされている。【喚き】は敵の注意を自分に向けるスキルだ。今、使えるかは分からないがセットしないよりはましだろう。


 この備えだけで、紅鬼に立ち向かわなければならない。あまりに心許ないが、これで我慢するしかない。もう、一分たりとも時間を無駄にしたくない。


 

 僕は緊張で震える手を強く握り、我が家であろう家の前に立った。

 心臓の鼓動を押さえようと何度も深呼吸しながら、ドアに手をかける。


 戸口に触れた途端、鬼に殴られ倒れる母の姿がフラッシュバックした。鼓動速まる。母が死んでいたら……

 そんな、悲観的な妄想を消し去るように頭を降り、僕は勢いよくドアを開けた。

 熱気が一気に押し寄せてくる。肌を刺すような熱とまとわりつくような湿気。それに付随して、昨日の恐怖が蘇る。


 慟哭と悲鳴。身体に染み込まれた恐怖が再度、僕の意志を問う。生命を脅かす危機に、お前は信念だけで挑めるか?


 答えは決まっている。いや、もうそれ以外選択の余地は無い。

 僕は何度も揺れた決意を、より強固にして、我が家に足を踏み入れる。


「母さん」


 声を出し呼びかける。返事はまるでない。

 僕はダイニングだった場所へ、自然と足を向ける。母がいるとすればそこしかない。

 廊下を歩くたびに木の軋む音が鳴り、どこからともなく風鈴の音が鳴る。

 胸の鼓動が加速していく。母は生きているだろうか。早く確認したい。

 はやる気持ちを抑え、僕はダイニングだろう場所をそっと覗いた。


「……」


 呆然とする。そこに母の姿はなかった。

 くまなく見渡す。されど、姿はない。家を間違えただろうか。だが、見る限り間取りは我が家と一致する。

 逃げたのだろうか。母の痕跡を探そうと、周囲を観察する。だが、全てが偽物と入れ替わった今、移動した跡など残っているはずが……。


 そこで、古びた調理場(台所だと思われる)の小窓が開いているのを発見した。あそこはそもそも、開いていただろうか。

 僕は小窓に近づき顔を出す。外に人の気配は無い。

 小窓は人間が通るには少々狭い。だが、母親の小柄な体型なら可能かもしれない。


 色々と思考を巡らせていると、唐突に間近で物音が鳴った。調理台の下の戸棚からだ。

 小動物か何かだろうか。我が家ではネズミやゴキブリの類は日常茶飯事である。居てもおかしくはない。


 僕は警戒しつつ戸棚に近づく。戸棚付近には、戸棚に入っていたであろう杵や釜が転がっている。

 取っ手に手をかけたその時、何かが飛び出してきた。


「いやぁぁぁぁぁ!」


 叫び声と共に、扉が勢いよく開く。僕は扉に思い切り顔をぶつけ、後方にたじろいだ。


「いっ」 


 目の前に現れたのは少女だった。小柄な彼女は目をきつくつぶりながら、こちらを向いている。包丁を持って。


「うわぁ!」

「きゃぁぁぁぁぁ!」


 彼女は僕に向かって突撃してくる。咄嗟にダイニングに向かって避ける。彼女はそのまま壁に激突する。衝撃で食器が落下し砕け散る。

 だが、彼女の猛攻は止まらない。包丁を振り回しながら近寄ってくる。


「あぁぁぁぁぁぁ!」


 彼女は叫けび続ける。

 距離を空けようと、僕は彼女を正面に捉えながら、すばやく後ろへ下がる。が、何もないはずの空間で僕は足を取られ、尻餅をつく形で倒れた。 彼女はそんなことはお構いなしに、無差別に刃物を振り回しながら迫ってくる。


「待って!」


 僕は叫ぶ。だが、それは彼女の悲鳴によってかき消される。


「待ってくれ!」


 ぼくは再度、大声を張り上げた。刃が僕の視線数十センチでぴたっと止まる。


「僕は君の敵じゃない」

「えっ……」


 そこで初めて彼女は目を開けた。


「僕は人間だよ」

「あぁ。……ほんとだ」


 彼女は脱力し、その場にへたりこむ。強く握っていた包丁は床へと転げ落ちる。


「大丈夫かい?」


 僕は立ち上がり、彼女に言葉をかける。


「……はい」


 大丈夫……には見えない。体が絶え間なく震えている。


「何で僕の家に?」

「ここは、あなたの家……なんですか?」


 そう言って僕を見上げた彼女の表情は、あまりに疲労に満ちていた。短髪にくりっとした目。愛嬌のあるその顔は、とても魅力的なものだろう。だが、乱れた髪、深いクマ、服の汚れ、それらばかりが目に付き、彼女本来の可愛らしさは失われてしまっている。

 見れば、彼女は素足で、加えて足の裏に泥がこびり付いていた。山でも降りてきたのだろうか。


「勝手にあがりこんで……ごめんなさい」


 僕が手を貸すと、彼女はおぼつかない足取りで、ゆっくりと立ち上がった。


「いいんだ。こんな状況だし。君も追われてたんだよね?」

「はい……。たくさんの獣にいきなり襲れて。私、訳が分からなくなってしまって」


 彼女は震えを抑えるように、自分の両腕を抱く。


「あなたは知ってるんですか? どうして、こんなことが起きてるか」

「僕も分からない。昨日、唐突に『v-memory』にゲームがダウンロードされて……」

「『v-memory』? なんのことですか?」


 僕は耳を疑った。『v-memory』を知らない訳がない。今の時代、『v-memory』の普及率は九割を超えると聞く。持っていない人はいれど、知らない人間がいるのだろうか。

 そもそも、知らないなら、彼女の首の付け根に装着されている『v-memory』はいったいなんだ。


「君は……」


 僕は続きの言葉を発する前に、視界の端に映るあるものを見て固まった。

 ゆっくりと、視線を横にスライドさせる。


「……どうしたんですか?」


 彼女が心配そうに訪ねる。

 しかし、僕は彼女に返答することができなかった。

 ダイニングに接する中庭に、立っていたのだ。……深紅の鬼が。

 奴は眼をギラつかせ、僕を凝視していた。上部にはHPゲージと共に、【紅鬼ーセンキー】と表示されている。 

 ダイニングと中庭を、隔てていたはずの障子戸は、今や完全に開け放たれており、庭から部屋には容易に進入できる!


「逃げるんだ!」


 僕は彼女の手を掴み、急いでその場から逃げ出す。


「な、なに?」


 説明するより早く、紅鬼の一撃が炸裂する。

 地面に叩きつけられたそれは、地面を砕き火花を散らす。

 彼女は背後で弾けた轟音で、状況を理解したようだ。躊躇無く、僕と共に玄関から外に飛び出す。

 そのまま、僕は彼女の手を引く。しかし、彼女は足をもつれさせ転倒してしまう。震えて思うように動けていない。


「手を貸すから! ゆっくり立ち上がって!」

「ダメ、足に力が入らないんです! あなたは、先に行ってください!」

「それはできない!」


 そんなやりとりをしているうちに、奴が玄関から現れた。


「僕が君を背負うから、肩に掴まって!」


 彼女は素直にそれに従い、僕に強くしがみついた。震えが僕にも伝わってくる。


「えぇい!」


 僕は力を振り絞って、彼女を背負い上げる。女の子に失礼だが予想以上に重い。こんなことなら、もう少し運動に勤しんでいればよかった。

 紅鬼が間近に迫ってくる。

 僕は紅鬼の顔めがけて右手を掲げる。手のひらに輝く炎が生成され、弾かれたように飛去る。そのままそれは、紅鬼の顔面に直撃した。


「ガァウァッ」


 紅鬼は顔面から煙りを上げながら、大きくのけぞる。

 そこで唐突に、妙な物が視界に入った。紅鬼の顔面近く、極小のゲージが現れる。それはほんの一瞬だけ表示されると、すぐに消えた。

 しかし、今はそれについて考えている余裕はない。バグか何かだと判断し、紅鬼からとにかく逃げる事を考える。


「しっかり掴まって」

「はい」


 僕は紅鬼がひるんでいる隙に、急いで走り出す。

 けれど、家の外に出た途端、複数の呻き声が聞こえてきた。

 見ると、複数の子鬼が家の周囲に湧いていた。奴らは僕達を認識すると、弾かれたように突進してくる。


 走りながら、スキルを発動する。

 幾匹かの子鬼が炎に焼かれ吹き飛ぶ。だが、僕の攻撃を諸ともせず、奴らは勢いをそのままにせまってくる。

 間髪入れず、【炎球】と思考するが、スキルは発動しない。スキルには待機時間があるため、同じスキルは、時間を空けないと連続で使用できない。

 数秒待ってから、ようやく炎が生成された。そのまま手近の子鬼にたたきつける。


 数を減らせども、子鬼は間髪いれず飛びついてくる。攻撃の手数があまりに少ないため、敵を迎撃するより先に、こちらが攻撃を受けてしまう。

 僕は身を屈めそれら避けようとする……が、すぐに思いとどまり、奴らに蹴りをかます。屈んでも彼女が攻撃の的になるだけだ……。

 彼女を背負ったままでは、子鬼の攻撃を避けることすらままならない。逃げるだけでも容易ではない。 


 その時、僕は注意力を逸していたのか、一匹の子鬼に抱きつかれてしまった。そいつは腕にしがみつき噛みついてくる。


「がっぁ」


 激痛によろめく。脂汗をかきながら必死に振り払う。


「あ、あれ!」


 今度は、彼女が焦った様子で何かを指さす。彼女の指し示す先では、紅鬼が大きく鉄塊を振りかぶっていた。背筋に寒気が走る。明らかに大業の予兆だ。

 鬼の上部に【鬼岩槌-キガンツイ-】と殺傷力の高そうなスキル名が、懇切丁寧に表示される。


「どいてくれ!」


 まとわりつく子鬼を払いのける。

 しかし、そんな僕の焦燥を無視して、容赦なく鉄塊は打ち下ろされた。


 それに続く轟音。地鳴りと共に僕達に衝撃波が迫る。避けきれない!

 衝撃が身体を襲う。激しく脳が揺さぶられる。

 僕たちは子鬼共々吹き飛ばされ、地面を何度かバウンドする。

 制止した頃には、全身を強いしびれと痛みが支配していた。


 視界に表示される、スタンの文字。身体の自由がまるできかない。加えて僕のHPは、今の攻撃で五割まで減っていた。

 背負っていたはずの彼女は、少し離れた位置で、僕と同様に身動きできずにいた。


 そこへ、足音が徐々に近寄ってくる。重い振動が迫ってくるにつれ、自分の命が死に近づいているのを感じる。

 視界の端に紅い巨人が現れる。そいつは僕をじっと見つめると、鉄塊を高く掲げた。


 僕は目の前の鉄塊を、ただじっと見つめるしかなかった。

 そのままそれは、容赦なく振り下ろされ……


「快斗!」


 僕を呼ぶ叫びが耳に届いた頃になって、鉄塊が頭上で止まった。

 短髪に薄黒く焼けた肌。見覚えのある背中が僕の目の前に立つ。


「間に合って、良かった!」


 そこには僕の親友である、悠の姿があった。

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