Ⅳ
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今日の投稿はここまでです。
また明日、投稿します。
『名前を入力してください』
意識が未だはっきりしないまま、僕はじっとその文字を眺める。
何かの会員登録だろうか。それにしては、表示枠が豪奢に飾られているし、文字も見たこともない躍動感のある書体だ。まるで、ゲームによくある、キャラ設定の画面を彷彿とさせる。
「……」
そんな唐突に現れた質問に対して、僕は夢か現実かも判別できない頭で回答する。
決したと自分で認識したところで、質問は消え去った。
すると、間髪入れず、きらびやかな音が響く。
「ん?」
そこで、完全に目が覚めた。自分は寝ていたらしい。時刻は21時54分。どうやら寝てから30分も経っていないようだ。
『スキルを選んでください』
視界の中央に大きく表示される文字列。
スクロールすると、複数の技名らしいものが羅列していた。スラッシュ、正拳突き、炎球など。ゲームの初期に、主人公が持っているような技ばかりだった。
間違えてゲームでもダウンロードしてしまったのだろうか。そうでなければ、アプリが一つも入っていない僕の『v-memory』に、こんな表示が出るわけがない。
僕は勝手に起動したそれを停止させようと試みるが、何の変化も無い。どうも停止の指令は受け付けてくれないようだ。
僕は致し方なく、適当に質問に回答する。すると、設定完了と表示された後、今度は視界右下でカウントダウンが始まった。
残り五分。このカウントがゼロになったとき、何かが始まるのだろう。ゲームが始まれば、ゲームを辞める項目も現れるだろう。
「ふぅ」
妙な倦怠感を抱きながら、僕はベットで伸びをした。
ゲームは悠に進められなければやる事はない。昔はコンシューマーゲームでよく遊んだものだが、『v-memory』の普及により、ゲームのメインがARを利用した体感型ゲームになってから、遊ぶことが無くなってしまった。
ゲームと言えば、室内でまったり遊ぶというイメージだったが、ARはどちらかと言えばスポーツに近い。そんなアクティブなものへとゲームが推移して以降、それに興味がなくなった。もともと僕は、体を動かすのは好きでは無いのだ。
思考に耽っていると、カウントがゼロなった。
途端に豪華なBGMが流れ始める。
『リアルワールドオンライン』
ゲーム名とともにプロローグが自動スクロールされる。
内容としては、『冥府-デス-』から魂を司る魔神が現代の日本にやってきて、日本人の魂を拘束してしまったのだという。それを解放するには、各地に散らばる六つの『鍵』を集め、魔神の住む城へ進入し、それを倒せとのことだそうだ。ありがちな設定である。
『世俗の名利を欲する者たちよ。俗にまみれたその手で、いったい何を掴む。
己の人生に刮目し、心の内を覗くといい。
真に価値ある物を手にした者のみが、我に謁見する許可を与えられるだろう。
さあ、始めよう。魂を賭けたゲームを』
そんな意味深な言葉を最後に、プロローグが終わる。このセリフがゲームクリアの重要なヒントになっているのかもしれないと、僕はさほど頭を働かせることんくぼんやりと考えていた。
僕はプロローグの終了と同時に、ゲーム画面を閉じる。
ふと、夕飯を食べていないことを思い出し、体の怠さをはねのけ立ち上がった。夕飯はもう冷めてしまっただろう。
そんな些細な事を案じたていた、その時……
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
耳を劈く悲鳴が聞こえてきた。心臓が跳ね上がる。あれは、母親の声だ。
母親は滅多なことでは取り乱さない。例えゴキブリが発生しようと、平然な顔をしている人だ。
母親に何か良くないことが起こっている。
ドアを勢いよく開けて廊下に飛び出る。足を滑らせ転倒しかけるが、何とか持ちこたえ階段へ急ぐ。
「か、母さん。どうしたの?」
呼びかけながら一気に一階へ降りる。すると、床に倒れる母の姿が見えた。
「大丈夫!母さん!」
そこで、母へと駆け寄ろうとダイニングへと入った瞬間、あり得ない物が視界に入った。
二メートルあろうか。口から蒸気を吐き、目を充血させた鮮血の巨人……。その額から突き出る二本の角からその正体は一目瞭然だった。
鬼……古来より日本に伝承された妖怪は、今、僕の目の前にいた。
鬼は僕を見ると腕を大きく振り上げる。
その手には巨大な鉄の塊が握られていた。
「うわぁぁ!」
驚きのあまり尻餅をつく。それが功を奏した。先ほどまで頭のあった場所を鉄塊が通り過ぎる。そのまま床に衝突すると強烈な衝撃が伝わってきた。
当たったら死ぬ。そう本能で察知する。
僕は、震えた足でがむしゃらに立ち上がり、調理台の陰に隠れる。
近場の包丁を手にし身構える。
鬼の息づかいが調理台越しに聞こえてくる。巨体から発せられる体熱が、自分にもありありと感じられる。
思考がまとまらないまま震えること数秒。調理台に鬼の陰がかかった。
「うわぁぁぁぁぁぁ」
咄嗟に大声を出しながら鬼に向かって包丁を投げた。だが……。
包丁は鬼の胸部中央をすり抜け、壁に突き刺さった。
「えっ……」
予想だにしない現象を目の当たりにした直後、トラックに衝突したかと錯覚するほどの衝撃が襲った。
激しく横に吹き飛ばされる。肩に尋常ではないほどの鈍痛が走った。
「ぐわっぁぁ」
何が何だか分からず、ただ痛みだけが脳を支配する。
痛みに喘いでいると大きな振動がこちらに近づいてきた。
涙目で見上げる。ぼやけた視界には鬼が鉄塊を振り上げている姿が写った。同時に視界の左上に黄色く点滅するスタンの文字が見える。
そうか、これはゲームか……
最後にそんな感想を抱いて僕は強く目をつぶった。
「快斗!逃げなさい!」
僕はその声で我に返る。
「早く、逃げて!」
母の叫ぶ声。母はどこにいるのか。僕からは見えない。
数秒後、スタンの文字が消えるのと同時に体の自由が戻る。焦ってその場から飛び出し、鬼の脇を抜けダイニングを脱する。
だが、そこでふと気付いた。母はどうしたのか。
「母さん」
振り返る。そこには鬼の腰に捕まり動きを封じている母の姿が見えた。
母は何度も何度も鬼に殴られている。だが、鬼を放す様子はまるでない。
「母さん!」
呼びかけるが答えは無い。
胸が早鐘を打つ。母は生きているのだろうか。
一度殴られたからこそ分かる。何度も殴られて耐えられるものではない。
一瞬、母と目があう。その目はいつも通りの穏やかさで、僕を見つめていた。
母はそれを最後にぐったりとして動かなくなる。
「あっあぁ。ああぁ」
僕は言葉にならない呻きをあげる。
鬼は母を払いのけ、僕の方へ近寄ってきた。
その後のことは記憶に無い。ただ、母を置いてそこから飛び出した。それだけは事実として残った。