Ⅱ
『v-memory』――人間の脳と情報を送受信できる生体端末。思考するだけで、会話、メール、ネットへの接続ができ、それらの情報は視覚や聴覚情報として脳へ直接受け渡される。このデバイスの登場で、五感の全てがデジタル情報を用いて互換できるようになった。
『v-memory』は手のひら大の大きさで、シリコンのような柔らかな形状をしている。通常は首の付け根に張り付けて使用するが、身体に密着させなくてもその機能を十全に果たす。
発売当初こそ、敬遠する人間も多かった。それは『v-memory』を利用する場合、血中に『v-gel』と呼ばれる微細なマイクロマシンを注射する必要があるからだ。それでも今は、日本人の9割が利用しており、日常生活には無くてはならない物になっている。現に学校の授業でさえ、電子黒板から電子プリントなど『v-memory』ありきの授業体制になっていた。
電子黒板の文字を『v-memory』のストレージ内に保存していると、授業終了のチャイムが脳内に響きわたった。『v-memory』から音声情報が脳へと送られているのだろう。学校にいるかぎり、いついかなる時でも、このけたたましい音から逃れる術は無い。『v-memory』を取り外す意外には。
「――みんな、気をつけて帰るように」
その言葉を皮切りに、教室は先ほどまでの静寂が嘘のように騒がしくなる。
「秋! 今日もゼドン、行こうぜ!」
悠は秋に向かっていくと、開口一番にそう切り出した。
悠が言う『ゼドン』は、最新ARゲーム『ZO』の略称だ。
ここ最近、新しくゲームセンターが出来たおかげで、爆発的に流行り初めたようだ。悠や秋もそのゲームにのめり込んでいる。
僕も一度だけ悠に誘われて遊んでみたが、あまり馴染めずにそれ以降はやっていない。
しかし、悠は僕にARの才能があると思っているようだ。おかげで、ことあるごとに誘ってくるが僕はそれでもやる気にはならなかった。
「定期注射に行ってないから、当分できないとか言ってなかったっけ?」
秋が怪訝そうに聞いた。
「いいや、昨日試してみたんだが、余裕だったよ。だから、行こうぜ!」
強引に悠は秋を誘う。『v-gel』の注入を怠れば、『v-memory』の操作に影響が出そうだが大丈夫だろうか。
「どっちにしても今日は無理。……悠、知ってるでしょ? 明日、何があるか」
秋は少し苛ついた様子で悠を見上げる。
悠は頭をひねると、思い出したように「ああ」と頷いた。
「天犬祭か」
秋の家――十六夜神社が年一回開催しているお祭りだ。この時期になると、祭の準備に追われるのが秋にとって恒例だった。
「あきれた。毎年やってるのに……忘れないでよ。悠はきっとあれね。恋人の誕生日とかすっぽかすタイプね」
「おいおい、俺はそこまで薄情じゃないぞ」
「どうだか……まあ、そんな訳であたしは祭りの準備で忙しいの。ちなみに快斗もね」
「何で快斗が?」
「実は……」
「自分から手伝うって、言ってくれたの。ね?」
僕が言葉を返すより先に、秋が質問に答えた。同意を求められても、素直に頷きがたいものがあるのは何故だろうか。
「そんなに人手が足りないのか?」
「やることは、いくらだってあるもの。猫の手も借りたいくらい。特に快斗が来てくれると、大助かりなんだから」
にやにやしながら、秋はチラチラ僕の方を見てくる。次第に、冷や汗が出てくる。
僕は秋と、ある契約を交わしていた。それは僕にとって、あまりに耐え難い契約だった。そもそも、僕が小柄で、中性的な容姿をしている事が発端ではあるのだけれど……
何故あんなことを引き受けたのか、自分で自分が分からない。できることなら、今すぐ取り下げたいものだ。
「そういえば! 祭りと言えば、今年も秋の巫女姿が見れるのかな?」
悠がからかうように秋にふっかける。
秋は神主の孫娘だ。そのため、例年巫女装束に身を包み祭りに参列している。だが、秋は巫女姿を見られるのが恥ずかしいようで、毎年祭りの時期になると機嫌が悪くなる。
そんな、秋にとって苦にしかならないイベントのはずなのだが、今回は妙にテンションが高い。僕はその理由を知っているため、非常に複雑な心境だ。
「ふふん。それはどうかな?」
「ん? どういうことだ? 秋が何故か勝ち誇った顔をしてるぞ」
「ま、精々明日を楽しみにしてなさい」
「ぐぐ、気になるな。――なあ、快斗。秋の妙な自信の理由、知らないか?」
悠が僕に質問してくる。
僕はもちろん知っている。だが、それを答える事は、自分から絞首台に上るような愚行でしかない。
例え、ばれるのが時間の問題だとしても、最後まであがき通さずにはいられない。
「ざ、残念ながら。僕も見当が付かないよ」
「そうか……知らないならしょうがない」
納得してくれたようだ。悠はあまり人を疑わない真っ直ぐな奴だ。ありがたいことこの上ない。
「それより快斗。顔色が悪いみたいだけど、大丈夫か?」
加えて友人の変化にも敏感だ。これは全くありがたくない。
「き、気のせいだよ。僕はいたって正常さ」
秋は僕が動揺しているのがよほど面白いのだろう。終始、口元を隠して笑いを堪えている。
そんなやりとりで、僕たちの放課後は過ぎていった。