Ⅲ
鮫島さんも秋も、僕の知らない思いを抱えていた。いや、彼らだけではない。みんな、何かしらの葛藤をもって生きている。
そんな彼らの生き方に僕も関与している。そしてこれから先、僕の行動が顕著に影響するだろう。
僕が社へ救出しに行こうと進言すれば、それだけで多くの人を危険に晒すことになる。かといって、僕一人が行ったところで無駄死にするだけだろう。
僕は縁側に座りながら考え続けていた。紫に輝く月夜に照らされた庭を、ぼんやりと眺める。
庭に一際ある大きい木。地面には落ち葉が大量に落ちている。
すると、その注目していた木が一瞬だけ残像を帯びたようにぶれる。いや、それだけではない。庭全体が一瞬だけ振るえ、そして何事も無かったかのように元に戻った。
「環境データの更新です」
振り返ると、結菜ちゃんが立っていた。
「見て下さい。木の下」
僕はもう一度、目の前の木に視線を向ける。
「さっき地面に落ちてた葉っぱが、無くなってると思うんですけど」
確かに落ち葉が無かった。
「二四時になると、環境の映像が更新されるそうですよ」
そう言いながら、僕の隣に座る。昨夜と全く同じ場所だ。
「詳しいね」
「鮫島さんの受け入りです」
にこやかに彼女は言った。
「なんだか、変ですよね。一日一回しか背景に変化がないなんて」
「多分、環境データは膨大らしくって、リアルタイムに変更するのは難しいらしい。だから、一日一回しか更新できないんだろうね」
「詳しいですね」
「僕も悠の受け入りさ」
そこで妙に可笑しくなって笑った。
彼女はくすくす笑いながら僕を見ている。
「快斗さん、ずっと元気ないから心配でした」
「……まあ、そう見えるよね」
僕は頬を掻きながら目を反らす。
「私、昨日の事。ずっと考えてたんです」
昨夜のことだろう。僕は申し訳なくなる。彼女は僕に文句を言うつもりだろうか。それなら、それを聞く責任がある。
「快斗さんは自分の事を、卑怯だと言いました。自分勝手とも。でも、何度考えても、快斗さんが卑怯だったり自分勝手だとは、まるで思いませんでした」
「えっ」
と僕は驚き再度彼女を見る。彼女は庭園を向きながら話す。
「だって、あんな魔物がいきなり襲ってきて、正常にいられる人の方が珍しいです。自分の命を大事にするのは普通の事で、快斗さんが嫌がるほど悪い事じゃないですよ」
「でも、母を置いて逃げた事は許されることじゃない」
僕は思わず反論する。どうしても、僕を肯定することを許したくない。僕は間違っていたんだ。
「例えばですけど。秋さんや悠さんは、周囲の人を見捨てて生き延びたと言っていました。それはそうでもしないと、自分達が生きのびれない状況だったからだと思います。それでも、快斗さんは悠さん達を悪者だと言いますか?」
「それは……」
思わなかった。思いすらしなかった。しょうがない事だと思い、それが許されない事だとは到底思わなかった。
「快斗さんの物差しで計ったら、きっと大抵の人が自分勝手で卑怯ものです。もちろん私も。でも、快斗さんは自分を計る物差しで人を計ってないんです。つまり、快斗さんは自分に厳しくて他人にめちゃくちゃ優しい、珍しい人です。自分勝手とはほど遠いと思います」
そう言い切った彼女の顔は、どうだと言い出しそうなほど満足そうだった。
「けど、結局その自分の物差しで行動したあげく、僕は周囲に迷惑をかけようとしてる。自分の正義を掲げて周囲を危険に晒そうとしている。それこそ、偽善極まりない自分勝手な行動だ」
「さっき、秋さんに言われたことですね」
結菜ちゃんは、僕の言葉を吟味してから返答する。
「秋さんが言うように、みんなを救いに行くことは危険かもしれません。でも、危険だからといって、考えなくていいということには、ならないと思うんです。結論を出すにしてはまだ早すぎる気がします。極端に言えば、みんなが納得する危険じゃない方法を見つけだせば、快斗さんの行動は偽善じゃないです」
なんだと。内心で僕は叫ばずにはいられない。暴論も甚だしい意見だ。だけど、なぜだか少しだけ、清々しさを感じるのは何故だろうか。
「それは、まるで現実的ではないよ。結菜ちゃんはあの化け物を見てないから、分からないかもしれないけど。あいつの目を盗んで彼女達を助け出す事は、ほとんど不可能に近い」
「でも、助けに行きたいんですよね?」
「そうだけど」
「なら、考えるしかありません。きっと、快斗さんは何を言われても、助けに行く気がしますから。どうせ行くなら、全力で最善の方法を探すしかないです」
「でも、まだ迷ってるんだ。例え良い方法を思いついても、僕のわがままにつき合わせていいのかって」
「少なくとも私は付いていきます。今日一日、旅館にいて分かったんです。この旅館に籠もって身の安全だけを考えているより、誰かを救うために行動したほうがいいって。そうじゃなきゃ、このゲームに負けを認めてるような気がして。それだけは嫌です」
彼女の言葉を耳にした途端、僕の血流に稲妻が走った。
そうだ、まさにそうだ。僕はこのゲームに屈したくない。それだけは絶対に譲れない。彼女の言う通りだ。
僕はこのゲームに支配された状況を打破したいと、強く思っていた。この悪辣なゲームから抜け出し、元の平穏な日常を取り戻したいと渇望していた。
であれば、おばあさん達を救うことで、僕は『RWO』に反撃の狼煙をあげたい。このゲームに僕たちは支配されていないと、声を大にして叫びたい。
「分かった。僕も、このゲームには絶対屈したくない。このまま状況に流されるのは絶対に嫌だ。だから、もう少しあがいてみる」
僕は強い眼差しで彼女を見る。
「結菜ちゃん、ありがとう。少し吹っ切れたよ」
「本当ですか!」
満面の笑みで喜ぶ彼女。
それからすぐに、『v-memory』から動画を取り出す。ウィンドウを全面に展開し、情報共有モードにチェックして、結菜ちゃんにも動画を見れるように設定する。
「何ですかそれ?」
「撮っておいたんだ。幻天狗との戦闘の様子。これを解析すれば、何か分かるかもしれない」
そこに映っていたのは僕の視界から見える、社の様子だった。鮫島さんの戦闘を録画するために撮った映像が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「すごい! さすが、快斗さん! やっぱりひと味違います!」
「こんなの誰でもできるさ。僕はむしろ、技術も何もないから、こうやって地味なことをするしかないんだ」
その僕の後ろ向きな発言に、結菜ちゃんは頬を膨らませながら僕を小突いた。
「もう! また、そうやって自分を卑下して。どうして、そんなに自分を悪く言いたがるんです? 快斗さんがどんなに自分を否定しようと、私は諦めませんよ? 何度でも快斗さんを認めますから」
なんだろう。僕は非常にやっかいな人に絡まれてしまったのではなかろうか。結菜ちゃんの言葉を聞いていると、自分が堕落してしまのではないかという、危機感に苛まれる。
「どうして、そんなに、僕のことを信頼してくれるの?」
「本気で快斗さんを、すごい人だと思ってるからです。あんな状況で見ず知らずの私を助けようなんて、誰も思いません。感謝しっぱなしです。だから、快斗さんを悪く言う人は許せないんです。例え本人であってもです!」
彼女は興奮しながら僕に迫る。
「わ、分かったから、極力言わないようにするから」
彼女は、はっとして身を引く。自分が僕を押し倒す勢いで、近づいていたことに気づいたのだろう。
「ご、ごめんなさい」
彼女は申し訳なさと恥ずかしさの混じった様子で謝った。
「とにかく、動画を見よう。うん」
僕も照れ隠しで強引に話題を戻し、動画を再生した。
そこには幻天狗の攻撃モーションや、スキル発動時の瞬間が映っている。上下のぶれが気になるけれど、見えない事はない。
「やっぱり、そうだ」
「どうしたんですか?」
「ここなんだけど」
僕は幻天狗が消える瞬間で一時停止する。
「ここではスキルの名前がしっかり表示されてるけど」
動画を進め、再度幻天狗が消える瞬間で止める。
「ここでは表示されてない。スキル名が出たり出なかったりするんだ」
「うーん、何ででしょう?」
「分からない。でも、何かあると思うんだ」
そのまま動画を再生していると、鮫島さんが串刺しにされる衝撃的なシーンが現れた。
「いやっ!」
結菜ちゃんが目を背ける。僕はすぐに動画を消す。
「ごめん。配慮が足りなかった。ショッキングな場面があったんだ。伝えておけば良かった。動画は後で僕が確認しとくから」
「いや、大丈夫です。ちょっと取り乱しただけですから」
「でも」
「快斗さんの力になりたいんです。これくらい大丈夫です。続けて下さい」
「分かった」
再度再生される映像。僕もできれば思い出したくない。けれど、目を背ければ彼らを救えるヒントを見逃すかもしれない。だから、刮目して見なければならない。
結菜ちゃんは時折、小さく悲鳴をあげていたがめげずに見続けた。
一通り再生し終わり、一つの重要な事実が分かった。それは天狗の胸に曲玉が付いている事。
これは掛け軸の記述と一致する。あの掛け軸には「狗」に玉と剣を渡したと書いてある。それらが天上の力を宿しているとも。
天上の力とは、スキルの事ではないかと僕は睨んでいた。
天狗のスキルは二つ。【絶幻】と【天墜撃】。
これが玉と剣のそれぞれに宿った力だとすれば、それを破壊する事でそのスキルを封じることができるだろう。
ただ問題は、攻撃をまともに当てることすらままならない事だ。そんな敵の、しかも装備してる武器を狙って破壊できるかと言われれば、ほぼ不可能だろう。
奴は攻撃を仕掛けた瞬間に消える。消えなかったのは、動画を見る限り奴の死角から攻撃したときのみ。そんな状況で、武器破壊をしなくてはならない。
だが僕には一つだけ、それを打破する考えがあった。
【鬼岩槌】
それを使えば恐らく、一時的に奴の動きを封じることができる。相手が麻痺している隙に曲玉か剣を破壊することができれば、幻天狗はスキルを発動する事ができないはずだ。成功するかは分からない。だが、今はそれしか方法が無いように思う。
まだ不安な事も多い。掛け軸の記述ではっきりしないことがいくつかある。それにスキル名の表示の有無も。
どれも無視して構わない些細な事かもしれないが、どうしても引っかかる。何か大きな間違いをしているのではないかと、僕は妄想してしまう。
何度も動画を再生させ、徹底的に天狗の動きを見ていく。
すると隣で身体を力ませながら、必死に動画を見ていた結菜ちゃんが一言だけぼそっと言った。
「バラモンみたい」
すぐに僕は聞き返す。
「バラモン?」
「うん。秋さんが私に教えてくれたゲームで、バラバラモンスターっていうやつなんですけど。そこに出てくるキャラに似てるなーって」
バラモンは僕も知っている。AR型育成ゲームで、出てくるモンスターが可愛らしいキャラばかりだからか、女の子にとても人気だった。
だからこそ、疑問に思う。僕はこの天狗があの可愛らしいキャラに似ているとは到底思えない。
「似てるかなー?」
「確かに見た目は似てません。でも、秋さんが言ってたことと似てるんです。バラモンってお金を払えば、違うキャラを買えるんですけど、ほとんど色違いなんです。三百キャラ育成可能って言ってるけど、実際は十匹のオリジナルキャラの色違いを三十匹づつ用意しただけだーって秋さん怒ってました」
秋の言いそうな事だ。彼女は結構、ゲームに対して文句を言うことが多かった。だが、文句を言っているゲームほど、長期にわたってプレイしていた気がする。
「ほら見て下さい!」
彼女は画面を指す。
「ここの天狗の着てる服。色が紅ですよね?」
「うん」
天狗の肩からぶら下がっている、綱引きの綱のような部分だ。確かに紅い。
「で、少し進めてください」
動画を少し再生させる。
「ここです! ここの服の色見て下さい。オレンジ色です」
確かにオレンジだった。
「最初は撮ってる方向が違うからそう見えるのかもしれないと思ったんですけど、何度も見てると違うなって。必ず交互に、違う色の服になってますから」
そう言われ再生させると、言われた通りだった。しかも、よく見れば天狗全体の特徴が若干違っている。まるで間違い探しのようだ。
「だから、バラモンと同じくらい、微妙な変化の加え方だなぁって思ったんです」
「……」
「もちろん、スキルの前後で服が変化してるだけだと思うんですけど。変なこと言っちゃいましたね」
「……」
「快斗さん?」
微妙に違うキャラ。使い回されるオリキャラ。
コピー、複製、模造、レプリカ。
つまるところそれは……
そのとき、僕の脳がスパークした。今までの状況や映像が脳内に去来し、意味をなしてくる。不明瞭だった事が明瞭になり、足らないピースが埋まっていく。
僕は今まで大きな勘違いをしていた。
そう、今まで考えていた方法では、確実に失敗していただろう。だが、今は違う。全てを理解した今なら。
「ありがとう! 分かったかもしれない」
「何がです?」
「幻天狗の、攻略法」
「本当ですか!」
「でも、それを実行するには、二つ確認すべき事がある」
「何です?」
「一つは鈍器装備の有無。もう一つは、僕が悠と一緒に幻天狗を引きつけて逃げていたその時、社側のプレイヤーが何を見たかだ」
「それを調べるんですね!」
「うん。でも、今日はみんな寝ちゃってるから、明日聞いて回ろう」
「はい!」
「ありがとう。攻略法が分かったのは結菜ちゃんのおかげさ!」
「なんか、役に立てたみたいでよかったです!」
「大活躍さ! 数人に協力してさえ貰えば幻天狗を倒せる」
「数人じゃなくて、みんなに協力してもらいましょう! 人数が多い方が安全です」
「そうならいいけど」
僕は不安な笑みを浮かべる。
「どちらにしろ今日は寝よう。明日に備えてね」
「そうですね!」
僕と結菜ちゃんは立ち上がる。そこで僕がじゃあと言って部屋に戻ろうとすると、結菜ちゃんが僕を呼び止めた。
「待って下さい! 私、一つ謝りたい事があるんです」
「謝りたいこと?」
「私、みんなと探索に出ませんでした。それは怖いからって言ったと思います。それは半分正しいんですけど半分嘘なんです」
「どういうこと?」
「私、スキルが【刺突】だって言いましたけど、違うんです。秋さんが咄嗟に言ってくれたのに合わせただけで、本当は全く違う初期スキルなんです」
「……なんでそんな嘘を?」
「それは私の初期スキルが、ゲーム開始時に選択できるスキル一覧の中に、存在しないからなんです」
初期スキルはゲーム当初に選ぶことができ、それ以降、そのスキルスロットから取り外す事はできない。つまり、初期スキルだけは始めに選んでからずっと、それを使い続けることになる。
しかし、彼女の初期スキルとしてセットされているスキルは初期スキルではないという。何故そんな事が起きたのだろうか。
「そんなこと知らずに、秋さんにしゃべったんです。そしたら、秋さんが黙ってた方がいいかもしれないって。私、ただでさえ記憶喪失で怪しい存在ですから、スキルまで見たこと無いものだったら余計に怪しまれます。だから、怖くて仕方なくなりました。もし話してみんなから、敬遠されたらって。だから、予めごまかそうって秋さんと話してて」
納得する。確かに、秋の言うことには一理ある。たまに感情を爆発させるが、秋は普段は冷静な人間だ。無難な判断だろう。
「探索に行くことになったら、スキルを使用しないと怪しまれます。だから、外に出ないために、怖いって言ったんです。すみません。でも、嘘ついてるのが嫌で。快斗さんにまで嘘つきたくないなって思って。今打ち明けました」
「結菜ちゃんを疑う人なんていないよ」
「そんなことないです。疑うと思います」
「少なくとも結菜ちゃんの性格を知っている人なら絶対大丈夫さ。真面目で真っ直ぐで、間違ってる事を許せない性格の子。そんな子が人を騙したりしないよ。少なくとも僕は結菜ちゃんを疑おうなんて、思っても見なかったよ」
「快斗さん……ありがとうございます」
「結菜ちゃんには助けられてばかりだから。疑うなんてとてもじゃないけど、できないよ」
僕は笑ってそう言った。
「快斗さんはお人好しすぎです」
「よく言われるよ」
結菜ちゃんは安堵の表情を浮かべ笑う。
僕もひとしきり笑ったあと、一つ気になっていたことを聞く。
「結菜ちゃんのスキルは、どんなタイプのものなの」
「えっと、私もよく分かんなくて、一度使ったんですけど、何がなんだか……攻撃技が出たわけじゃないんで、秋さんは状態技だろうって」
「そうかぁ。分かった。じゃあ、幻天狗の事が解決したら、いろいろと調べよう。そしたら、結菜ちゃんの記憶についても、分かるかもしれないし」
「そうですね! 分かりました! ありがとうございます!」
元気よく返事した彼女は張り切った様子だった。それから最後にお休みと挨拶を交わして、僕たちは部屋に戻った。
これから反撃開始だ。そう意気込んで眠りについた。




