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 潔癖でいたい。確かにそうだった。

 僕は誰かを救いたいと思っていた。誰かの助けになりたいと思っていた。父の様になりたいと思い焦がれていた。

 だがそれは、真の意味で人を助けたいと思っているわけではない。僕は自分がそういう人間でいたいと願っているだけなのだろう。


 秋は生きている可能性の低い人は見捨てて、生きている人のために行動しろと言っている。生きているか分からない人間のために、危険を犯して犠牲が出てしまったら、元も子もないと言っている。

 僕が死んだら、秋は悲しむだろう。悠と鮫島さんがいなくなった今、頼れる人間は少ない。僕のような存在も重要になってくる。自分の命を差し出すことは最早、自分の一存では決めれない状況なのかもしれない。


 それでも、と思ってしまう。どうしても、おばあちゃん達を救いに、悠達の安否を確認しに、神社へ向かわなければいけない。そんな使命感然としたものが僕の中にあった。

 社にはささやかな食料があるだけだそうだ。僕たちが行かなければ、おばあさんや子供達は社の中で野垂れ死ぬ。食料も水もほとんど無い環境で、いったい何日生き延びれるだろう。見殺しにはできない。そう思っていた。


 どうすればいいのか、分からない。何をすべきなのか答えがでない。

 僕は悩みながら廊下を歩いていると、背後からおじいさんが呼びかけてきた。


「坊主、あんまり思い悩むでないぞ。秋はああ言ったが人生何があるか分からん。気楽に考えていた方がいいこともある」

「そう考えられるといいんですけど」

「悩んでいても、何も始まらんぞ」


 そう言っておじいさんは僕を励ます。けれど、そう簡単に心の整理ができるとは思えなかった。


「そういう所、お前は鮫島の倅に似とるな」

「僕が鮫島さんにですか?」

「ああ。感じなくてええところで、責任を感じたりな。物事を重く考えるとこなんか、そっくりじゃ」


 そして思い出すように、おじいさんは鮫島さんの事を話し始める。


「倅は妻が病気になってから、変わった。病気になったのは自分の責任だと。自分の仕事の多忙さが彼女に負担をかけたと思ったんじゃ。実際、彼女はストレス性の病気でな、あながち間違いというわけでもなかったかもしれん。妻はしきりに家族の時間を欲していたからのぉ。だから、フェンシングを辞めて旅館を継ぐことにしたそうじゃ」


 そんな経緯があったとはまるで知らなかった。というより、そもそも旅館に奥さんがいれば気づくはずだが。


「鮫島さんの奥さんはどちらに?」

「最近まではここで療養していたらしいが、病状が悪化して近くの病院にいると聞いたなぁ」


 近くの病院。といっても、多分僕が知る限りでは、入院できる設備が整ってる所となると、車で一時間程度はかかる。歩いていけばどの程度かかるか分からない。

 鮫島さんは最愛の人をそこに残して、今まで行動していたのだろう。相当の不安があるはずだ。だが、彼はそれをおくびにも出さずに、みんなを引っ張っていた。彼は死ぬべきではない。彼にもまた、やるべき事がある。だから僕は彼を救いたい。


 やるべき事。それはもちろん僕もある。僕の母。僕の大切な唯一の肉親。僕は母を救うわなければならない。

 母は本当にどこへ行ってしまったのか。学校にいるかもしれないという、根拠のないささやかな希望を持ってはいる。だが、可能性は低いと頭では分かっていた。

 母は僕に何を望んでいるだろう。僕に生きていてほしいのだろうか。それとも、父に恥じぬ生き方をしてほしいだろうか。僕は少なくとも後者を選んでいる。そう思うからこそ、母の事を憂いながらも、社で助けを求める人たちを優先させている。僕が諦めてしまえば、誰が彼女らを救いにいくのだろうか。


「もしやここは、鮫島の部屋じゃないか!」


 その声で我に返る。いつの間にか自室の前に着いていたようだ。おじいさんは嬉々として、室内に入っていく。


「鮫島さん……ですか?」

「お前の知ってる奴じゃなくてな。儂と同い年の老いぼれの方で、倅の父親じゃな」


 それから、部屋にあるものを物色し始める。


「お知り合いだったんですか?」

「おうよ! 昔からの腐れ縁よ。巻物やら壺やらの類に目が無くてのぉ。よくいらない陶器を譲ってやったものじゃ」


 おじいさんはじろじろと部屋を見渡す。


「それにしても、ARっちゅうのはけったいなもんじゃのう。儂のあげたものが全部違う物にすり替わっておる。ほれこの掛け軸を見てみい」


 僕はおじいさんに言われるがまま、それを見る。


「ここには天犬様の誕生の経緯が書かれていたんじゃ。だが、なんだこの『狗』ちゅうのは見たことも聞いたこともない」


 そこで僕はふと、あることを思い出した。


「そういえば、神社にある天犬の石像も変わってましたね」

「そうかい。まったく何でもかんでも変えればいいと思ってんのかのぉ」


 それで、満足したのかおじいさんは「元気出せ」と最後に言い残して部屋から出ていった。

 僕はおじいさんが出て行ったあとも、掛け軸を眺めていた。


『あるところ、一人の法師来たりて、復魂の社にて神と相見なさる。法師が神から賜る重宝は二つ。一つは玉、一つは剣。しかと身につけたれば、天上の力を与えられん。されど、法師はどこぞの狗に銘々受け渡し、己はその栄華を破棄せんとす。法師は言う「小生の栄華は力になく、日常にあり」と。

 神は狗に命じ、法師を捜索す。されど、法師はまやかしの人形を持て、狗の目をごまかし、果てには逃げおおせた。しかして、法師は去り、狗は神官として、今もここにいたり』


「まやかしの人形……」


 そう口にして僕は気づいた。秋のおじいさんが持っていた人形。あれはまやかしの人形という名前だった。それを持っていたから、幻天狗に見つからずに済んだと言っていた。そしてここには、その人形を持つことで『狗』から逃げたと書かれている。


 このゲームには法則がある。現実で食料だったものはあくまで食料とし表示され、道具はあくまで同じ用途の道具として視覚化される。つまり本質は変わらない。

 この掛け軸には元々、十六夜神社に祭られている天犬の事が書かれていたとおじいさんは言っていた。ならば、現在記述されている事は復魂の社に祭られている天狗のことではないのか。

 このまやかしの人形がその可能性を示唆している。だとすれば、ここに天狗を倒す鍵が隠されているかもしれない。

 それからしばらく、僕は掛け軸を眺めながら思考の海に潜っていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 掛け軸とのにらみ合いを始めてから一時間近く経った頃、部屋の外に誰かの気配を感じた。すると僕を呼ぶ思考が飛んできた。


『快斗……』


 寂しそうに発する思考は秋のそれだった。


『どうしたの?』

『さっきは取り乱してごめん。快斗に謝りたくて』

『いや、僕がわがまま言ってるのは分かってるから、秋が謝ることないよ』

『それでも、いいすぎたかなって』

『いいすぎなのは、いつものことだよ』

『そこで、それ言うかなぁ』


 思考から和んでいるのが伝わってくる。秋は続けて僕に思考を送る。


『私ね。本当に怖いの。みんなが死ぬって思ったら、足下がすくんで動けなくなる。昔のこと思い出すから』

『昔?』

『私の両親。事故で死んじゃって、それでここに引っ越してきたの』

『そうだったの?』

『うん』


 知らなかった。秋にそんな事があったなんて、まるで気づきもしなかった。


『だから、だれかが死ぬかもしれないって思うと思い出すの。あのときの喪失感と、あの時の切なさ。もうあんな思いしたくない』


 人が亡くなる事は、ゲームが始まる前からあったかもしれない。だが、ここまで理不尽な人の死に、直面したことがあっただろうか。何故僕たちは、こんなことにつき合わされなければならないのか。


『だから、鮫島さんが刺された時、幻天狗に向かって走り出した快斗を見て、私も悠もすごい焦ったんだよ? 快斗が死ぬって本気で思った』

『それは……ごめん』

『そう思うなら、お願いだからもう危険な事はやめて。一人で外に探索しにいくことだけは絶対しないで』


 僕は間をおいてから深く頷く。


『うん……分かった』

『ありがと』


 僕が納得したことで、秋は少し明るくなった。


『じゃあ、私は寝るね。私との約束忘れないで』


 最後にそう釘をさして、秋の思考が途切れた。そして気配は消えさった。

 秋に無茶はしないと約束をしてしまった。だが、僕にそんなことが出来るのだろうか。少なからず僕はまだ、おばあさん達や鮫島さん達を諦めるつもりはなかった。

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