Ⅴ
悲鳴の元は、旅館の正面に広がる庭園。旅館の入り口付近にある、小池のそばからだった。
僕がたどり着くと、震えながら怯えている結菜ちゃんと、それを落ち着かせるように彼女を抱きしめている秋の二人が地面に座り込んでいた。
秋は「大丈夫、大丈夫」と結菜ちゃんの背中をさすっている。
「どうしたの?」
僕が息を切らせながら訪ねると秋は答える。
「結菜ちゃんが何かを見て、驚いちゃったみたいなの。危険な事があった訳じゃないから……安心して」
すると、秋の胸に顔を埋めたまま、結菜ちゃんが呟く。
「あそこに、いたんです」
彼女は旅館の外を指す。その先には道を挟んで荒れ地があるだけだ。強いて言うなら、一本の木が生えているくらいだろう。
「あそこに、お化けがいて……私、目が合ってそれで……」
声を震わせながら発せられた言葉は、少々信じ難い。いや、お化けと思っただけで、もしかしたら人が見えただけかもしれない。
「あの木に、何かがより掛かかってて、じっと目を凝らしたら、人の顔みたいなのが、見えたんです。それが、ずっとこっちを見てて……」
それからほどなくして、鮫島さんが到着。状況を説明すると、僕と同じ思考に至ったのか、急ぎ旅館の外へ走っていく。
旅館からわらわらと人が出てくる。そのたびに、僕と秋が事態を説明すると、鮫島さん同様に外へ出ていった。
それから僕も、彼らと共に人がいないか探しに出る。
しかし、数分の間、十人近くで探索したが何も発見できなかった。
「夜の捜索は危険だ。ここから移動したのかもしれない。また、明日、明るい時に探そう」
旅館の側とはいえ、一度敷地から外に出れば、魔物が出現するエリアとなる。長時間の捜索は二次被害を発生させる可能性がある。
鮫島さんの言葉に従い、全員旅館へ戻っていく。
僕はそのまま結菜ちゃんの元へ駆け寄る。
落ち着いたのか、彼女は申し訳なさそうに立っていた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました」
結菜ちゃんは僕に頭を下げる。
「気にしないで。誰だって幽霊をみたら驚くよ。それに、実際に誰かが居たのかもしれないし」
僕の言葉に、背後から鮫島さんも続く。
「快斗くんの言う通りだ。人間かは分からないが幽霊タイプのモンスター、ということもある。それらの可能性は捨てきれないさ」
結菜ちゃんは、それでも落ち込んだ様子で、弱々しく話す。
「でも、結局何も居なかった訳ですし。きっと私の見間違いです。こんな時に、みなさんに迷惑かけてしまって、申し訳ないです」
そんな彼女の態度を見て、秋が勢いよく結菜ちゃんに言い放つ。
「もう! 気にしすぎよ! あんまり重く考えてると、潰れちゃうでしょ!」
その意見にのっかるように、鮫島さんも陽気に結菜ちゃんを励ます。
「はっはっは。その通りだ。今は少しでも明るくした方がいい」
「でも……」
だが、まだ結菜ちゃんは腑に落ちないようだ。
「結菜ちゃんは真面目すぎよ。ちょっとふざけるくらいがちょうどいいのよ」
「そうでしょうか……」
結菜ちゃんは変わらず沈んだ声で返す。
そこで僕も口を開く。
「そうだよ。結菜ちゃん。あんまり気にしすぎるのはよくないよ?」
そこで、秋が唐突に僕を睨んだ。何故、僕を睨むのだろう。
「どの口が言うか! 快斗が、いっっっちばん重く捉えるタイプでしょうが! なに、『自分は違いますー』みたいな顔してるの!」
恐ろしい剣幕で僕に迫る。いつのまにか、僕が攻められる側に回っている。どうやら、僕は秋のスイッチを押してしまったらしい。
「快斗こそ、最も自覚しないとダメなの。どうせ、『みんなに助けてもらってばっかりだなぁ』とか『心配かけて、申し訳ないなぁ』とか、考えてたんでしょ!」
指摘されて、ぎょっとする。秋に完全に心を見透かされている。
「そんな事はなきにしもあらずで……」
僕は少しでも抵抗しようと曖昧な言葉を返す。
「断言できるわ! 私や悠が、あなたを探し回ってたこと。絶対に気に病んでたでしょ。そんなの気にしなくてよし。友達なんだから、そんなの当たり前なの!」
そう言い切った秋の勢いに押され、僕は冷や汗をかきながらたじろぐ。
「ふふ」
そこで、小さく結菜ちゃんが笑った。
「二人とも楽しそうですね」
秋の後ろで結菜ちゃんがニコニコして言う。さきほどまで、落ち込んでいた姿はどこにいったのか、くすくすと笑い続けている。僕は別に、楽しくしていたつもりは、全く無いのだけれど。
「なんだか、二人を見てたら元気が出てきました」
「そう? それは良かった!」
秋は僕から視線を外し、結菜ちゃんの方へ駆け寄る。僕はどうやら解放されたらしい。結菜ちゃんが元気になってくれて助かった。
すると、鮫島さんが楽しそうに話す。
「君たちは見ていて飽きないな。何だか学生時代を思いだしたよ」
「鮫島さんだって、まだまだ若いんですから、そんな気にせず付いてきてくださいよ!」
そうやって、秋は鮫島さんに絡む。
「はっはっは。僕にはもう、そんな元気は無いよ。――さあ、みんなここは寒い。風邪を引く前に旅館の中に戻ろう」
その言葉で、みんな旅館に戻っていく。秋は結菜ちゃんの手をとって、一緒に歩いていった。
僕もそんな面々の背中を見ながら、旅館に戻った。
ふと、自分の中に渦巻いていたはずの感情が、いつの間にか霧散している事に気づく。
秋に元気づけられたのは、どうやら結菜ちゃんだけではなかったようだ。
僕は親友に対し、何度繰り返した分からない感謝をした。