Ⅳ
その後、救助を待つか外へ探索に出るかが討論の軸になった。ARゲームに慣れているプレイヤーが多いためか、結論は探索の続行と決断された。そして、探索範囲を広げる事で話が決まり、解散となった。
話し合いに参加していた人たちは、ぞくぞくと部屋を出て行く。僕も彼らに続こうとするが、隣の親友を見て思いとどまった。
彼は寝息をたてながら熟睡していた。テーブルに突っ伏し、その無防備に弛緩した寝顔を僕に向けている。
「相当、疲れたんだろうね。……無理もない」
鮫島さんは静かに立ち上がると、押入から毛布を取り出し、悠にそっと被せる。
「昨日から一睡もしないで、走り回っていたらしいから」
「今まで寝ずに……ですか?」
僕は隣で眠る親友を見つめる。彼がそれほど疲れているとは気づかなかった。いや、僕に気づかれないよう、振る舞っていたのかもしれない。
「君や秋ちゃんが心配で、一晩中探したそうだよ。運良く秋ちゃんとは合流できたらしいけど、君が一向に見つからなくて、君の行きそうなところを繰り返し、探していたらしい」
一晩中、魔物が徘徊する闇の中を、一人で捜索していたという事だろうか。
ARゲーム経験者とはいえ、暗闇の中で魔物と遭遇する事は危険極まりない。そのリスクが分からない悠では無いはずだ。彼は命を危険に晒してまで、僕や秋を探してくれていた。
僕が紅鬼に襲われているところへ悠が駆けつけてくれた時。少なからず、自分は運が良いと思った。だが、それは断じて違う。僕が助かったのは運でもなんでもない。彼の友を思う気持ち――それがもたらした結果だ。
「快斗くん。君は本当に良い友達を持っている。彼を……大切にするんだよ」
鮫島さんが暖かい眼差しで彼を見る。
「はい」
三人を残して誰もいない部屋で、僕は深く頷いた。
少しの間だけ沈黙が続いた後、鮫島さんは少し躊躇いがちに口を開いた。
「君には、話すべき……だよな」
自分に言い聞かせるように呟くと、今度は迷いない視線を僕に向ける。
「僕は君に伝えないといけないことがある。それは探し人のいる君にとって、知らねばならない事なんだ」
僕は彼の真剣な雰囲気から、その事実の深刻さを察する。
「母に、関わることですか?」
「君のお母さんだけに関わることでは無いよ。今、このゲームに関わる人、全ての人間に関わることさ。とにかく見てもらうしかない。行こう。付いてきて」
そう告げて、鮫島さんは静かに立ち上がり、部屋を出る。
そう言われれば付いていく他にない。僕は彼に続く。
部屋を出る直前、振り返り、眠り続ける悠を見た。彼は未だ深い眠りに落ちている。起きる様子はない。
僕の中で、彼に付いてきてほしいという甘えが芽生える。しかし、それを何とか振り払い、鮫島さんの後を追った。
廊下に進むにつれ、空気が僕の肌に冷たく刺さる。悪い妄想が僕の頭を埋め尽していく。
鮫島さんは旅館の裏口から外に出た。裏庭を抜けると、離れにある一軒家に着く。鮫島さんは鍵を取り出し、解錠するとドアを引く。
「ここは僕が許可した人以外、近づかないよう言ってある。さあ、上がって」
心なしか気落ちしている鮫島さんに従い、僕は家の中に入った。室内にも関わらず、異様な暗さに満ちている。
「ここは昔、僕の家族が住んでいた場所なんだけど、今はある物を置いておくために使ってる」
鮫島さんは話ながら廊下を歩み進める。
そして、一つの部屋の前で立ち止まった。
「見てもらいたいものは、この部屋にある」
そう言って、彼は襖を空けた。
目に入ったのは予想より広い部屋。室内には布団が複数並べられている。それぞれ誰かが寝ているのか、ふっくらとした膨らみがあった。しかし、不自然にも顔に当たる位置に、全てタオルが被せられている。
「あっ……」
僕はそこで察する。
どうやら、僕の悪い妄想の一つが、当たってしまったようだ。
ここに安置されているのは……死体だ。人間の死体に違いない。
「住宅街を探索していたら、倒れている人達を複数人見つけてね。今朝方、この旅館に運んできた。だけど、みんな夕方頃には死んでしまったよ……」
僕が母を探しに家へ戻った頃には、すでに旅館の人たちがあの周辺を探索済みだったということだ。つまり、妙に人の気配が無かったのも、すでに旅館へ避難、もしくはここに連れてこられていたからだろう。
「ゲームでの死は、リアルでの死を意味する。小説やファンタジーじゃなく、これは本当のデスゲームなんだ」
そう僕に告げる鮫島さんは、部屋の暗さではっきりとは見えないが、悲しげな表情を浮かべている気がした。
「女中さんから、君がお母さんを探してる事を聞いたとき。ここの事を話さない訳にはいかないと思ってね」
それから、僕の方を向く。
「画像があれば、僕が確認するけど……」
それまで、呆然としていた僕は、その言葉で我に返る。彼は母がこの中にいるかもしれない。そう言っているのだ。
心臓の鼓動が急速に高まる。
手が振るえ、身体が一気に緊張する。
だが、僕は拳を強く握り、はっきりと言葉を紡いだ。
「いえ、僕自身で確認します」
大丈夫かいと、鮫島さんは心配してくれるが、僕は大丈夫ですと言って部屋の中に入った。
明かりを付けると、一気に実感が沸いた。死体の妙な生々しさが、リアルに伝わってくる。
心臓の高鳴りを無視して、僕は死体の前に立った。鮫島さんが女性の死体を教えてくれるので、一つ一つ確認していく。
死体は予想より綺麗だった。まだ死んで、それほど経っていないのだろう。だが、人間特有の暖かさは、まるで感じられなかった。
三つ目の死体を確認すると、それが知り合いだと気づいた。
近所の家に住む、おばあちゃん。僕がここに越してきて間もない頃、この近辺について丁寧に教えてくれた。僕を息子に似ていると、よく可愛がってくれていた。いつも登下校のたびに話しかけてきてくれた。
彼女は、親切で世話焼きで、とても心優しい人だった。
どうして、彼女が死ぬはめになったのか……
こんな唐突に死ななくてはならないのか……
狂ってる。今のこの状況は狂ってる。
彼女の日常を奪う権利が、いったい誰にあるというんだ。こんなのは絶対に間違ってる。
ふつふつと僕の中に、怒りがこみ上げてくる。それは灼熱の業火の如く、僕の心でうねり始める。今までの人生、これほどまでに感情が高ぶったことは無い。
僕は高ぶる感情を抱いたまま、坦々と死体を確認していく。
六人目の死体を前にしたところで、鮫島さんが口を開く。
「女性の死体はこれで最後だ」
僕はそれに小さく頷く。
ゆっくり、死体の顔に被せられたタオルを取る。
綺麗な女性の素顔が現れる。
「どうだい?」
静かに鮫島さんが聞く。
「……違います」
僕は呟くように言った。
安堵と不安が同時に押し寄せる。母はいなかった。少なくともここにはいない。本当に母はどこに行ったんだ……
「そうか……。分かった。じゃあ、戻ろうか」
鮫島さんの後を、僕は軽い放心状態で付いていく。色々と声をかけてくれるが、頭に入らない。様々な感情が、濁流となって僕の中で渦巻いている。考えがまるでまとまらない。
そんな状態だったためか、自身が旅館内に戻ったことに気づいたのは、自分の部屋の前に着いた時だった。
しきりに鮫島さんが心配していたが、僕はただ生返事をするしかなかい。
その時だ。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
旅館に女性の悲鳴が響きわたった。
僕の意識は現実に戻る。続けざまに母の姿がフラッシュバックした。
僕は本能の赴くまま、悲鳴のする方へ走り出していた。