Ⅱ
旅館の人達から聞いた話だと、この雲雀旅館は『安全地帯
』という事らしい。
メニュー画面を開くと選択項目が複数列挙され、その右上に、位置を表示する地図とそのエリア名が記されている。
見れば、地名には【山麓の旅館】とあり、その文字が青く表示されていた。
この地名の色でその場所の安全性を確認できるらしい。青は魔物が出現しない安全地帯で、赤は魔物が現れる戦闘地帯だそうだ。
実際に、魔物は現れないのだろう。そう思えるほど、この旅館には人がいて何事もなく生活している。
廊下を歩けば、何人もの人間とすれ違った。人が近くにいるというだけで安心する。どうやら僕は予想以上に、孤独を感じていたのかもしれない。
外を見れば日はすっかり落ち、暗闇が空を埋め尽くしていた。その闇を見ていると、次第に落ち着かない気持ちになってくる。母はどうしているだろうか。
この雲雀旅館いる人間は、外の魔物に追われて避難してきた人が大半らしい。
一縷の期待を抱いて、母の事を知っているか聞いて回ったが、誰も知らなかった。母はこの旅館には来ていない。
家には居なかった。二階をまだ見ていないのが心残りだが、わざわざ二階に逃げるとも思えない。二階に逃げれば袋小路だ。
そのまま、あのキッチンの小窓から外に出たに違いない。そう僕は無理矢理自分自身を納得させようとした。
けれど、焦燥感が薄れることはない。自分で分かっているのだ。もう、プレイヤーとしては死んでいる可能性が高いという事を。
メールも電話も通じない事が、それを裏付けている。意識があれば、何かしら連絡してくれるはずだ。
母の事を憂いている内に、僕は目的の部屋の前に着く。中からは楽しそうに会話する声が聞こえてきた。
僕は静かに襖を叩く。
「快斗だけど、入って良いかな?」
「いいわよ」
襖を空けると、秋ともう一人女の子がいた。我が家で出会い、必死に助けた女の子だ。彼女は笑顔で僕の方をみる。
その表情は、我が家で見たときに比べて、はっきりと分かるほど明るくなっていた。僕の記憶の中では血色が悪くやつれている印象だったが、今はかなり回復したようで、元の彼女の可愛らしさが存分にでている。元気になってなによりだ。
「快斗さん! 目が覚めたんですね!」
「ついさっきね。起きたら知らない場所で、少し焦ったよ」
僕がそう話しているのを、秋はじっと見つめる。
「そっか、うん。良かった!」
そして勝手に、自分自身で納得していた。
秋の隣で笑顔いっぱいの少女が話す。
「今日はありがとうございました! 色々、助けていただいて、本当にありがとうございます!」
彼女は何度もコクコクと頭を下げる。
「そんな、大仰な。僕は当たり前の事をしただけだよ」
僕は少々照れながら、頭をかく。
すると、秋がにやにやしながら言う。
「へぇー、当たり前ねぇー。――『僕は彼女を見捨てたくない。絶対に』って、普通は言わないと思うけどぉー?」
まるでミュージカルのように、秋が身振り手振りを存分に使って大げさに話す。それを隣に座る彼女は、少し恥ずかしそうに眺める。
「秋、ちゃかすのは辞めてくれ! それに微妙に言葉が脚色されてるよ!」
「あれ、そう? まあ、どっちでもいいんじゃない? 快斗がこの子を、守りたかったことに変わりないんだからさ!」
秋は容赦なく僕をからかってくる。昔からだが、僕が困っているのが楽しくて仕方ないのだろう。ことあるごとに、僕をいじる癖はいっこうに治る兆しが無い。
「もう、秋はいつもこうなんだよ……」
僕は肩を竦めて、秋の隣にちょこんと座る彼女を見た。彼女は僕に微笑み返す。
「ふふ。そうなんですか? 秋さんはとっても楽しい方で、おかげでとっても助かってますよ?」
「ほら、結菜ちゃんもこう言ってるわけだし? 楽しければ問題ないわよ!」
「なんだろう、このまま放置すると、秋が調子にのり続ける気がする。秋の事は話半分でいいからね。えっと、結菜ちゃん……でいいのかな?」
「あ、その……」
ふと、彼女はそこで、何故か悲しい表情をする。
少し沈黙してから、躊躇うように口を開いた。
「……はい。三原結菜……って名前みたいです」
「みたい、というと」
「えっと、私、記憶が……その……無いんです」
頬をひきつらせながら、それを誤魔化すように彼女は笑った。
「記憶喪失なの」
秋が真面目な顔で、解説する。
「多分、何か強いショックな事があって、それで色々と忘れちゃったみたい。詳しい事は何も分からないから、推測するしかないんだけど。『vーmemory』の情報を見たら、唯一分かったのが名前だけ。それ以外は分からなかったの」
家で彼女と初めて会話した時のことを思い出す。記憶喪失が故に、あの時彼女は『v-memory』の事が分からなかったのだろう。
記憶が無い状態で、有象無象の魔物が闊歩する場所にいきなり放り出されたら、恐怖にかられても仕方がない。
考えただけでも、あまりの過酷さに恐ろしくなる。当人のストレスは、僕の想像を遙かに超えるだろう。
「あの……ごめんなさい。私、迷惑かけてばっかで……」
「そんな、迷惑なんて思ってないわよ。記憶があろうと無かろうと結菜ちゃんが、いい子な事に変わりないから!」
秋は結菜ちゃんに寄り添い元気づける。
僕はかける言葉も思いつかず、ただそこで立っているしかなかった。
「もう、この話は終わり。終了。ほら他の話しよ! そうだ! 快斗の伝説、色々教えてあげよっか」
「それは……聞きたいです!」
僕をちらっと見て、結菜ちゃんは元気に答えた。
「僕の話をするなら、僕のいないとこで話してくれると、助かるんだけど。気恥ずかしくてしょうがないよ」
「いやいや、快斗がいないと楽しくないでしょ。主に私が」
「相変わらずだなぁ。えっと……そうだ! ここには挨拶だけじゃなくて、お風呂が準備ができた事も伝えにきたんだった」
「あれ? そうなの? じゃあ、しょうがない」
それから、彼女は結菜ちゃんの手をとる。
「先にお風呂に行こっか」
「あ、はい!」
そして、二人は仲良く立ち上がり部屋をでる。
「じゃあ、またね快斗」
「それではです。快斗さん」
こうして、二人は和気藹々とお風呂場に向かっていった。
その様子から、僕は秋の凄さをしみじみ感じていた。結菜ちゃんが落ち込んでも、秋はいとも簡単に彼女を元気にしてしまう。僕に同じ事をやれと言われても、そんな自信はない。秋にはひたすら脱帽だった。
僕はそんな二人を見送りながら、楽しい日常の余韻から抜け出せず、しばらくその場に立ち尽くしていた。