カジノ・マイク・マフラー
お題はカジノ・マイク・マフラー。
初挑戦で一つの話に纏めるのに苦労しました。
「あー。あー。みなさん、こんにちわ。私はこのカジノのオーナー、添田升士と申します」
絢爛豪華な大ホールの中、壮年の男性がステージ上に立ってマイクを持ち、大勢の客を相手に堂々と喋っている。浅倉省吾はその様子を舞台袖から見守りながら、じっとりと汗ばむ拳を握りしめた。
「この度は本カジノ『アプラサクス』にお越しいただき、ありがとうございました。大阪都構想実現から七年、大阪維新の会の皆様の尽力により、ついに『合法カジノ』を実現させることができました! 大阪都政を担う者として法改正をはじめ様々な支援をしてくださった維新の会の皆様、資金面で援助して下さった杉田財閥、賀茂橋グループの皆様、そして何より、今日、ここに集まって下さったお客様に、一同より心から感謝いたします!」
ふいに、ステージが暗転した。だが、それこそが見せ場だ。そこにカジノスタッフが並び、客に向かって一斉に頭を下げる手筈となっている。
――俺も、あの場所に立ちたい。
それは、浅倉にとって耐えがたい誘惑だった。
元々浅倉は裏方のスタッフだ。交通事故で長期入院したチーフエンジニアの代わりに、急遽、電気系統の総括スタッフに任命された。本来なら、配電盤から片時も離れず、無事にイベントが終わるまでトラブルが無いように見張っていなければならない。
だが……。
――一瞬だけならいいんじゃないのか。
誘惑に抗えず、浅倉は持ち場から離れた。少しくらいなら大丈夫。浅倉は自分に沿う言い訳しながら、暗転したステージの上に立つ人の列にこっそり紛れ込んだ。
バンッ! と明るく照らされるステージの上。カジノスタッフ一同が手を繋ぎ、優雅に礼をして見せる。と、その時、
轟音が、鳴り響いた。
いや、違う。これは拍手の音だ。ステージ上を見つめる客は熱狂的に手を打ち鳴らしている。
ああ、ついにこの場所に立つことができたのだ。日本に合法カジノを導入する、その偉業を成し遂げるメンバーの一人となって喝采浴びている自分を誇らしく思い、初めて感じる陶酔感に身を委ねようとして――
――それは、ふいに浅倉の耳に突き刺さった。
最初は、微かな音だった。キ――――ン、という、甲高い音。あまりの轟音に自分の聴覚が耳鳴りを起こしているのかと思った浅倉は、それが勘違いだということに気が付いた。
「…………ッ!!」
キ――――ンと、鋭く耳に突き刺さる音は、急速に大きくなり会場全体を不快な音で埋め尽くした。挙句、その音に混じって腹の底に響くような低音の唸りまでがごうごうと響いてくる。
――これは、ハウリング……!?
気付いた時にはもう手遅れだった。鼓膜を突き破るような轟音に顔をしかめながら、浅倉はあわてて配電盤にかじりつき、マイクの電源を落とす。バンッ! とボリューム最大のままアンプからシールドを引っこ抜いたかのようなみっともない音を立てて、不快な騒音は止んだ。
「貴様……」
気がつくと、オーナーの添田が浅倉を睨んでいた。
「貴様ッ! なぜ持ち場を離れたッ! お前の……お前のせいでこのカジノはめちゃくちゃだッ! イベントも、カジノも、維新の会も! 今この瞬間全てが水の泡になった! 見ろ!」
添田に襟首を掴まれ、浅倉はズルズルとステージの上に引き摺り出される。スーツに喉を締め付けられたまま呼吸もままならない浅倉は、それでも言われた通り客席の方に目を向け――ぞっとした。
客は、一言も発していなかった。さっきまで熱狂的に騒いでいたはずの人々は、ただただ、アスファルトの上に散らばった汚物でも見るような視線で、じっとステージの上を見つめている。
「やはり、維新の会は信用できないな」
ぼそりと、客席の中央に座っていた老人が、ぼそりと呟いた。
「もはやまともな政党は、自由民主党だけか。もういい、返るぞ」
老人は静かに立ち上がると、ステージに背を向け、出口に向かって歩き出す。しかし、数歩も進まないうちに立ち止まり、振り返ってオーナーの添田に視線を突き立てた。
「それから、國枝君に伝えてくれ。君たちに貸した金は、必ず取り立てる。どんな手段を使っても……とな」
最後に老人が見せた表情は笑みだったが、目は全く笑っていなかった。老人が退場したのを切り口に、突然罵倒の嵐が吹き荒れる。ふざけるな、君のせいで大恥をかかされた、二度と表で働けないようにしてやる、そんな言葉とともに、腐りかけた弁当の食べ滓や、魚の死骸などがステージに投げつけられる。添田は、黙って立ったまま、その光景を眺めていた。
「――浅倉ァあああああああああああああッッ!!!!」
客の最後の一人が会場から出て行った瞬間。
添田は、浅倉の胸倉を掴んで、思い切り壁に叩きつけた。ガツン、と背中に鈍い衝撃が走り、浅倉の呼吸が一瞬止まる。
「お前のせいだ! 全部、全部全部、お前がメチャクチャにしたんだ! 私がッ、何順年もかけて築いたものを、お前が全部壊したんだッッ!!」
バガンッ! と、頬に衝撃が走った。殴られた、と気づいた時には、何発も、何発も添田の拳が浅倉に突き刺さっていた。人生すべての怨念をぶつけるように、添田は浅倉を何発も殴った。
「もういい……出て行け。お前の顔は見度と見たくない」
浅倉が暴力の嵐から解放された時は、顔のあちこちがはれ上がり、形が崩れるほどになっていた。浅倉は、ズキズキと痛む身体を引き摺って、のろのろと立ち上がった。理不尽だ、という思いも、ミスをしたという後悔も湧いてこなかった。
カジノから出る時、ステージに立つ他のスタッフの表情が見えた。誰もが、汚物を見るような視線を浅倉に向けていた。
――あの時も、同じだったよな……。
それは小学校の時だった。些細なミスからクラスに迷惑をかけた浅倉は、クラスのリーダー的存在である増田が彼のミスを『わざとやった』と喧伝したとこによって、クラス中から苛められることとなった浅倉がいくら弁明しても、誰も、何も聞いてくれなかった。
あの時のクラスメイトも、あんな目をしていた。
――もういい、全て滅びてしまえ。
浅倉は、そんな気分だった。何もかも、どうでもよくなてっいた。世界の全てが馬鹿馬鹿しいと思い、全部メチャクチャにしてやりたい気分だった。
蹴りだされた屋外は思ったよりも寒かった。その日は全国的に雪が降り、大阪だと言うのに夜になっても雪が積もったままだった。
スーツの隙間からびゅうびゅうと風が入り込んでくる。風に、体温と一緒に心の情熱までもが奪っていかれる気分だった。
「…………浅倉」
ふと、聞き覚えのある声がして、浅倉は顔を上げた。
「吉野……」
それは、浅倉が半年前まで付き合っていた恋人だった。彼女は、最後に別れた日と変わらない姿のまま、顔の形が変わり果てた浅倉を見てゆったりと微笑んだ。
「どうしたんだ、吉野。もう僕の顔なんて見たくないんじゃなかったのか」
「……そのつもりだったけど、その顔を見たら、もう気は済んだよ」
ボロボロになった浅倉を見ても、慌てたり心配そうなそぶりを見せず、吉野は穏やかな表情を浮かべていた。彼女は、昔からそういう人間だった。浅倉に何があっても動じず、ただ彼の『日常』として、穏やかに接し続けるだけだった。それが私にできる精一杯のことだと、彼女は寂しそうにそう言っていた。
「私、頭に血が上ってたんだ。だけど血だらけの君の頭を見たら、逆に私の頭から血が引いたよ」
「笑えない冗談だね……」
浅倉は力なく笑った。彼女は浅倉を迎えに来たのか、罵倒しに来たのか、それすらも分からなかった。
だが、
「ねえ、疲れたでしょう。もう……帰ろう?」
――帰ろう。それは、浅倉にとっては特別な言葉だった。家族も友人も、杜べ手を失った浅倉にとっては、彼女だけが『帰る場所』だったのだから。
ふわり、と浅倉の首を柔らかく温かい感触が包み込んだ。それは、真っ白なマフラーだった。
「これ、どうして……?」
「本当はあの日、浅倉にあげようと思ってたんだ。でも、浅倉がバカだから」
「今になって、気が変わるんなんて。……ズルいよ、君は」
「浅倉ほどじゃないよ。この臆病者」
吉野は、ふらふらとたよりなく歩く浅倉の手を、母親のように引いた。
二人の姿は、一夜限りの雪の街へと消えて行った。
バンドの練習をしているとたまにハウリングが起こります。