乙女の秘密
世界は、二つの勢力に分断された。
一つは、絶対王政の名の下に日々侵略を繰り返す大帝国『ヴァイツァ帝国』を中心とした西側。
もう一つは、戦場の女神として崇め奉られている『戦乙女』が守護し、国王が君臨する『姚国』を中心とする東側。
この二つの国の勢力争いは熾烈なものとなっていき、引き返すことは不可能だった。
「紅花 !何してるの!早く起きなさい!!」
布団に潜り込んで居たところを叩き起こされ、飛び起きる。
「…なあに、美友。今日は休みでしょう?」
「馬鹿!今日は藍様が帰ってくる日でしょ!!?」
その言葉を聞いて、一気に目が覚める。
飛び起きて、時計を見る。起床時間はとっくに過ぎている。
「なんでもっと早くに起こさなかったのよ!」
「起こしたわよ!アンタが休みだからってごねてるからでしょ!」
口喧嘩をしている暇はない。布団から急いで出る。
早く、藍様に逢いたい。
藍は、姚国の『戦乙女』だ。颯爽と戦場に現れ、危機的状況だった戦況を一気に巻き返した。蝶のように舞い、蜂のように刺すその姿は、『戦場の女神』そのものだ。
彼女は全国民の憧れである。だから、この国の女は『戦乙女』のようになれと教育されている。
ちなみに彼女は姚国の第一皇女であり、周りからは「姫様」と呼ばれている。
紅花と美友は急いで門の所へ走って行った。軍隊が出て行くのも帰って行くのも、いつもこの巨大な門からだ。
女子の黄色い声に、男衆の野太く響く声。歓声を一身に受けているのは、見目麗しい美女。
「ああ、姫様…!!」
「今日も美しいわ!」
「敵から受けた傷でさえも美しさを引き立たせるなんて…」
黒い髪を後ろで縛り靡かせ、颯爽と歩くその姿は、少女たちの憧れそのもの。凛とした表情や仕草に心がときめく。
紅花も、人混みに負けないように必死になりながらも、戦乙女の姿を見ようと奮闘する。自分よりもずっと背の高い美友は、ボーッとその姿を見て恍惚の表情を浮かべている。
「美友ばっかりずるい。私も姫様を見たいのに」
「悔しかったら牛乳を飲みなさい」
ふふん、と鼻で笑われムスッとする。
ああ、私の馬鹿。なんで今日に限って仕事が休みなのかしら。
紅花と美友は城で給仕をしている。今日は凱旋だからという理由で仕事が休みなのだった。
凱旋なら、普通姫様がいるってわかってた筈なのに…。どうして行く気になれなかったのかしら!
自分を悔やみつつ、諦めて城へ戻る。
仕事が休みとは言え、やることがないわけではないだろう。仕事をもらおう。この際ボランティアでも構わない。
藍の姿を見れなかった事を悔やみながら、広間を歩いていく。彼女の仕事場である厨房までは、少し距離がある。
ガタンッ
「?」
不意に聞こえた音に疑問符を浮かべた。
ガタン、ガタンッ
音は二階からするらしい。不審に思いながら、音に近づいて行く。
不審者かしら…?複数じゃないといいのだけど。
そう思いつつ、音がする部屋の前に立つ。
引き戸に手を掛け、気づかれないように恐る恐る開けた。
扉の向こうでは、半裸の男性がフラフラしながら歩いている。時折よろけては壁に思い切り激突したり、床に這いつくばったりしている。
慌てて扉を開け、男の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか!?どこかお怪我を…」
男は一瞬大きく肩を震わせ、恐る恐る紅花を見た。
男と目のあった紅花は、驚愕した顔を作り、
「ひめさm」
「叫ぶな!」
叫びそうになった口を、思い切り塞がれた。
男はよろよろと扉を閉め、紅花と向き合う。
「…姫様、なのですか…?」
改めて、紅花は男を見た。
傷だらけの身体。引き締まった体躯。顔は美しく中性的で、腰まである長い黒髪が艶かしい。
その姿はどこからどう見ても、全国民が崇め、奉り、憧れ、見本としてきた『戦乙女』その人だった。
…しかし、彼女は彼だったのだ。
「驚いたか?…まあ、そうだろうな」
少し高い声が部屋に響く。『戦乙女』は自嘲気味に笑った。
「お前は侍女だな?」
「は、はい。紅花と申します」
困惑しながらも答える。何と言ったって、相手はあの『戦場の女神』だ。緊張しない筈が無い。
「…私の事は、誰にも言うな。いいな?」
「はい。勿論ですわ。…でも、どうして女性の振りを?」
「答える義務はない。あまり深追いすると職を失うぞ」
「は、はい!」
余計な事を言ってしまったと思いながらも返事をする。藍は少し笑って言った。
「…済まないが、手当てをしてもらっても良いだろうか。腕が使えなくて一人ではできないんだ」
「わ、わかりました。」
急いで救急箱を手に取り、手当てをする。
沈黙が気まずい。
「…出来ましたわ、姫様。」
「ありがとう、紅花」
名前を呼ばれ、顔を赤らめる。藍は立ち上がると、ベッドに横になった。
「…済まないが、少し休む。見張っていてくれ」
「わかりました。お休みなさい」
すぐに寝息を立てて眠りにつく藍。激しい戦争の痕が身体くっきりと残っていて痛々しい。
「…絶対に、誰にも言いませんわ。……藍様、……良い夢を…」
その次の日、紅花と美友は仕事場へ向かった。
「おはようございます」
「おはよう。…ああ、紅花。いいところに」
先輩に呼ばれた紅花は、疑問符を浮かべながら「なんでしょう?」と訊く。
「藍様が自分付きの侍女を欲しがっていてね。お前に指名がかかったのよ」
「……へ?」
「明日からは藍様の所へ行きなさい。いいわね」
「は、はあ…」
間の抜けた返事をする。本来ならばこの上なく光栄で名誉ある事なのに、突然すぎてわけがわからない。
「紅花だけずるいわ!いいなあ、姫様付きの侍女!」
「…あはは……」
この異動が自分に何をもたらすのか。紅花は、嫌な予感しかしなかった。
息抜き短編です。東の蝶終わった後にもしかしたら連載させるかも知れないです。どうして中国風のところを舞台にしたんでしょうね。首絞め行為でした\(^o^)/