エンドレス
これは夢のお話です。
目を開くと、視界いっぱいに緑生い茂る草原が広がっていた。俺は右には先端に尖らせた石をつけた槍を持ち、一人太陽がサンサンと暑いくらいに降り注ぐ草原の真ん中に立っていた。服は動物から剥ぎ取った皮を簡易に身につけており、自分の肌にはうっすらと暑さの為か汗が滲んでいる。
そこで俺はやっとのことで思い出す。
そうだ、
そういえば俺はアフリカ南部の遊牧民族の一人なのだ。小さい村だが、羊を数十匹飼っており、季節に合わせて各地を転々としているのだ。もちろん遊牧だけで食べていける訳ではない。こうして俺がここに立っているのは動物の狩りをするためだったんだ。頭を横にふるふると振り、気持ちを切り替える。何故俺はこんなところでぼんやりしていたのだ。気が緩んでいたのか、だから俺はこんな奴だから村の人たちに一人前だと認めてもらえないんだ。今も俺と同い年にも関わらす、地位が俺より高いやつが俺を小馬鹿にしてくる言葉を思い出すとムカムカしてくる。そして内心思うのだ。なんだよお前ら、狩りがたまたま上手くいっただけではないか。俺は今までチャンスが来なかっただけなんだぞ、偉そうに威張っていられるのも今の内だぞ、と。
俺は辺りを周到に見渡し、良い獲物がいないかと目を皿のようにする。一週ぐるっと見て、三百メートル程先にシマウマの大群がいるのを見つけた。これはちょうどいい。好機だな、とにやりと口を歪める。俺は上手く草むらに身を隠しながらシマウマに近づいた。移動の最中にかさかさと音が立ってしまったが、目の前の草を食べることに夢中で、俺の存在には気づいていない。これはチャンスだ。もしかしたら狩りを成功させることができるかもしれない。捕らえたシマウマを持って帰ると、村人達が俺を褒め称えるのだ、と想像するだけで顔に笑みが広がる。もう、これで俺のことを半人前だとは言わせないぞ。俺は慎重にどれを標的にするかを見定める。顔を左右に動かすと、少し小さめのシマウマが親とはぐれたのか一人うろうろと歩いているのが見えた。…よし、こいつにしよう。決めて、間合いを計る。いつ飛び出そうか、とタイミングを窺う。そんな物音立てずに静かに槍を構え、チャンスを待っていた時だ。
「「「!」」」
シマウマ達が一斉に走り出した。気づいていないシマウマも、顔を上げて状況を把握するとダッシュで足を動かす。それを俺はぽかんと眺めていた。
どうしたんだ…?俺のことがバレたのか…?でもそんなことは無いはず…。
シマウマたちの小さくなっていく後ろ姿を見ながら、呆然と立ち尽くす。
その最中、
俺の背後から呼吸音が聞こえた。しかもそれは人間なんていうものではなく、もっと大きな動物の鼻息。俺はゆっくり、顔を後ろに動かした。
「…!!」
そしてやっと、後ろに雄のライオンが立っているのに気がついた。一瞬で体が硬直してしまう。恐怖で足が竦み、動けない。そうか、シマウマが逃げたのはこいつの存在に気づいたからか…!今更悔しがっても、もう遅い。
ライオンは俺に向かって、大きくそびえる牙を見せて、口を広げた。そして俺の顔は、その口の中に吸い込まれるように入り込み―――
◆ ◆ ◆
そこで私は目が覚めた。
私が目を覚ましたのは妻がわざわざ海外から取り寄せた広いベッド上。汗をかき、呼吸も多少荒くなっている。体を起こし見渡すと、いつもの天井には宝石のちりばめられたシャンデリア、床は高級品のカーペット、金縁の大きな窓ガラスといういつもの自分の部屋があった。それを知り、なんだ、夢だったのか、と安堵の息を洩らす。それにしても恐ろしい夢だったな、ライオンに食われるなんてたまったもんじゃない。食べられる前に起きることができてよかったものだ、と一人苦笑いを浮かべる。そう考えていたとき、
「旦那様、お起きになられましたか?」
と外で老執事の声が聞こえた。
「今起きたよ」
ベッドから立ち上がりながら返答すると、
「さようでございますか。朝食は出来上がっております」
「分かった。着替えたら行くことにしよう」
「了解いたしました」
と、老執事はドアの前から去っていった。私はいつもの要領で手早く自分の服装に着替える。ふぅ、一人で小さくため息をついた。着替え終わり、靴を履いて自分の部屋のドアを開く。とりあえず今は、食堂に向かおう。
私が食堂に着くと、席には既に妻の姿があった。上品に紅茶を飲み、コップを下の置き台に乗せる。こちらを向き私の姿を見て、妻はにっこりと笑った。
「あなた、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
挨拶をし、妻の向かい側の席に私も腰をかけた。妻はコロコロと笑いながら言う。
「あなた、今日は早いのですね」
「今日は奇妙な夢を見たからね」
そう言って、肩をすくめて見せる。
「あら、どんなのですの?」
興味津々に妻が尋ねる。しかし私は説明するのもなんだかバカバカしい話だなと思い、「さぁ」
とぼかして答えた。会話の最中、朝食ができたのか執事達が私たちの前に料理を並べ始めた。それにより、会話は中断され、食事を始めることになった。
ふと顔を上げ、時計を見る。食堂の上に掛かった金縁の鳥が彩られた時計の針は、もう私が出かけなければいけない時間を指していた。それを確認し、私は食事を終え、一度自室に戻る。歯を磨き、髪もある程度は整え、いつもの服装に着替える。そうして私が部屋から出ると、今日の運転手が行儀良く立っていた。私は運転手に軽く会釈に、その足取りのまま玄関に向かう。運転手はゆっくりとその後ろをついてきた。
私が玄関のところまでやって来たとき、なにやら外が騒がしい。人のざわめき声が聞こえる。私が玄関にいた老執事の顔を見ると、老執事は頭を少し下げ、
「記者の方たちでございます」
と私が知りたい情報を教えてくれた。
老執事にはありがとう、と伝える。でもその情報を知り、私は不覚にも顔をしかめた。 またマスコミなのか……。
考えるだけで頭が痛い。上手いこと返答を考えねば…。
私は鬱な気持ちを抑え、家から出るには玄関からしか出るしか他に方法もなく、無理に笑顔を作り、玄関の扉を開けた。
パシャッ パシャッ
私が玄関に出るなり、カメラで写真を連続で撮られ、あまりのフラッシュで目がおかしくなりそうだった。でもそれでも私の立場上、文句は言わない。愛想笑いで対応する。次に記者はもみくちゃになりながらマイクを持ち詰め寄ってきた。
「総理、支持率がよろしくないですがそのことについてどう思われてますか?」
「他の議員の方で辞職すべきだ、との声が上がっておりますが」
「総理のこれからの活動は何ですか?」
理解していたことながら、記者たちの質問攻めに遭う。
ここは総理大臣として、適切な受け答えが望まれる。しかも今は私は世から批判される身なのだ。さらに一言一言に注意を払わなければならない。
こんなことがこの頃ずっと続いていた。ここまでくるといい加減、疲労が蓄積される。たとえもう疲れていたとして、コメントはしなければならない。私は頭の中で何を言うのが適切なのかを考える。
「 ――――」
そして私が何か言おうと口を開いた時だ。
頭に急にズキッと痛みが襲った。ついで視界もぼんやりして、足下がふらつく。
体が、重い………。
力を失い立つことままならなくなって、私はふらっと前に倒れ込んだ。
「!大丈夫ですか、旦那様!?…しっかり…して………」
聞こえてくる声はだんだんと小さくなってゆく。
あぁ、私は、もう………。
ここで私の意識は、途絶えた。
◆ ◆ ◆
そこで僕は目が覚めた。
僕は慌てて飛び起き、体に乗せていた布団を引っぺがし上半身を起こす。まだ起きて間もないというのに、目はなぜだか冴えていた。忙しなく目を動かし、辺りを確認する。狭い部屋にある自分のベッド、置くスペースがないからとわざわざ小さいサイズを探して買った冷蔵庫、床に散乱する本や雑誌や衣服類。それらを見て、僕はなんだ、夢だったのか…、とため息を洩らした。
まったく自分が総理大臣で、マスコミから責められる日々なんてごめんだ。あんな生活をしていると、体が持たないぞ―――って、夢の中の総理大臣は倒れてしまったんだったっけと一人苦笑いをする。でもこんなただの一般人である自分があんな豪邸に住めるものなら住んでみたいな…、一人ありもしないことを考える。
だが、そんな思考は隣に置いてある目覚まし時計を見た瞬間に吹っ飛んだ。
嘘!?
もうこんな時間なのか!?
目を見張り、やべぇ、どうしようと跳ね起きベッドから降りる。
服や身だしなみの準備をするために部屋を駆け回り始めた僕の背中で、目覚まし時計は午前十一時半―――つまり僕と彼女が待ち合わせしている時間まであと三十分の時間を示していた。
お昼だからか窓から光が差し込み、店内は明るい雰囲気になっている。僕たち以外のお客はそれぞれの席に座って、自分たちの話に花を咲かせていた。ここは雑貨物が多く、植物で店内は飾られている。メニューはスパゲッティーやデザート類が多く、女性客が多いのはその為であった。
「………」
その一つの席に、僕は彼女と向かい合って座っていた。でもとてもじゃないが恥ずかしすぎて、目を合わせることなどできやしない。僕は顔を下に向けていた。
一応、今日はギリギリだが時間通りに待ち合わせに間に合った。彼女は予想通り先にお店の入り口で待っていて、走って僕がやってくるのを見て「また寝坊したの?」と笑った。今はとにかく暑い真夏びより。プールが恋しくなるそんな季節。彼女はうっすらピンク色のワンピースを着ていた。フリルがあり、おとなしめに赤いリボンが胸のところについている。涼しげな格好で、立っていた。
か、可愛い…!
そして僕はそんな彼女に一瞬で頬を染めていた。やっぱり彼女には清楚な服装が似合う。後ろに黒髪をなびかせ、まるでどこかのお嬢様の様である。顔には和やかな笑みがある。可愛すぎる…!こう思うのはどうしようもなかった。しかしそんな顔を赤くして彼女をじっと見るのはなんとも恥ずかしいので、顔はすぐに外した。それで、じゃあ入ろうか、と言い、今にあたるのである。
僕は昼の食べ物のことなんて頭になど無く、心臓をバクバクさせていた。
今日僕が彼女を昼食の食事に誘った。でも僕はそれだけの為に誘ったのではなく。
自分のポケットの中に入っているシルバーの指輪が、これから僕が何をするのかは物語っていた。
今日は言うんだ…!
今日こそ、僕の気持ちを彼女に伝えるんだ…!
僕と彼女の交際は今日で三ヶ月を迎える。きれいな彼女に僕が告白して、めでたくつきあうことになったのだ。なのに顔を見るだけで顔がどうしても赤くなってしまう。大学生なのにお前はウブだねぇ、とそのことでよく友だちからからかわれたものだ。
だがしかし! 今日こそは僕は言う!
気持ちを伝えるのは今しかない…!
「あ、あのっ……」
「?」
僕の突然の言葉に彼女は動きを止め、微かに首を傾げる。僕は自分のポケットの中からガタガタ震える手で指輪を取り出した。
「!」
それだけで意味を悟ったのか、彼女が驚いた顔になる。この店にいた他の客や店員さんたちも、こちらの動きを見て、気になるのか何も言わずに次の行動を眺めていた。恥ずかしい…、それでも僕は言う…!
「ぼ、僕と―――」
そこから言葉が続かない。声も震えてしまっている。下を見ながら真っ赤な顔を俯けて指輪を前に差し出す僕は、惨めな気持ちになりそうだった。でもここで挫けたら駄目なんだ…! そして自分の中にある勇気をすべて絞り込み、僕は大声で彼女に向かって言葉を叫んだ。
「僕と結婚してください!!」
そう僕が言い、シーンと店内は静まりかえる。他の人は彼女の答えを待った。もちろん僕も収まらない心臓のまま、彼女の言葉を待った。そして彼女が言ったのは。
「……はい、私で良いなら」
少し顔を紅潮させ、彼女ははみかみながらそう言った。
うわ―――!! 店内が一気に盛り上がる。
よくやったわね、君! かっこよかったよ!
歓喜の渦に巻き込まれていく。僕はあまりの事に、嬉しすぎて少し涙が出た。でもそれを服の裾で拭いて、隠す。
そして、遠慮がちに彼女の手を取り、指輪をつけようとして――――
◆ ◆ ◆
そこでおれは目が覚めた。
辺りを確認し、自分の状態を見てから、そしてさっきのは夢だったのかと憎々しげに呻く。まったくなんという皮肉なんだろうよぉ。これから自殺しようとしてる人間にそんな幸せな夢を見させるのかよ。神様ってほんとうに理不尽だ。おれは苛立ち、拳をコンクリートの地面に叩きつけた。
おれは今、真っ暗闇の夜のあるビルの屋上に来ていた。屋上とは言っても六十三階建てで、上から見るとかなり高く感じる。屋上のビルのドアには鍵が掛かっている。ビュュと風が吹き荒れ、おれの体をいとも簡単に揺らす。
おれは自殺しようと試みていた。理由は簡単。世の中不況で会社から解雇され、ヤケ酒するおれに愛想を尽かした妻と娘は離婚して家から出て行った。それだけだ、そう、それだけ。でもおれにとっては人生で一大事の出来事だ。生きていくすべもない。誰かに頼ることもできない。挙げ句、もう生きることさえ辛くなった。そうして、おれはこのビルの屋上に来て、飛び降りようとしていたのだ。でも昼は人が多すぎる。それを考え、おれは気づかれないようにこのビルの屋上で毛布にくるまり、隠れて夜が来るのを待っていた、という訳だ。で、その間に夢を見ていたということだ。まったく、さっきの夢を思い出すだけでむかむかする。腹立たしい。他人の幸せを見るとは、なんたることであろう。くそ、もう一度地面を叩く。そして、おれは立ち上がった。
そろそろ頃合いかな。
立ち上がり、屋上の手すりに近寄っていく。乗り出して下を見てみると、ビルやお店の光が街に溢れていて、綺麗な光景だった。おれはちょっとだけ躊躇をする。でもそれはほんの一瞬で、体をフェンスの前に持っていき、身を乗り出す。
「………」
――――またな、この腐った世界と――――
おれは少しだけ笑い、フェンスから手を離した。体は速度を増し、下に向かって落ちてゆく。
あとちょっとで地面だ。
もうおれは、消えるんだ。
瞼を閉じた刹那、体が地面と接触し、そして――――
◆ ◆ ◆
そこでわしは目を覚ました。
あまりにも長いこと眠りすぎて、ぼんやりする頭を横に振り、頭に付けていた白い大きなヘルメット型の機械を取り外す。
前を見て、視界を広げると、真っ白の部屋があった。その真ん中にベッドがあり、この機械を付けてわしは眠っていたのだ。
ふぅむ、機械を置きながら冴えてきた頭であることを考える。
この機械はだいぶよくなってきたみたいだ。
昔よりリアリティーがあり、さらに夢の内容がおもしろくなっている。
やはり改良は成功だったか。
一人、満足げに笑みを作り、手を頬にあてた。
だが一方でしかし、と考える。
この世界が破滅し、人類が滅亡してからもうじき一年にもなるのか。
感慨深く、白くなった自分の髪に手をあてる。
あの時は凄まじかったな、まさか原子爆弾や核爆弾を使って人間同士が殺し合いをするなんて。ちょうどその時はわしは自分の地下にある研究室に閉じこもっていたから生き残れたというもの。わしが気がつき、地上に上がったときには、既に街が跡形もなく消え去っていた。もちろん、人間が生きているはずもなかった。さんざん歩き回って調べたが、この辺で生き残ったのはわしぐらいだろう。もしかしたら世界にわしと同じように何人か生き残っているやもしれんが、それだってもう会うことさえできないだろう。この世界でわしは死ぬまで一人で生きていかなければならない。しかしそんなことに耐えられるはずなどはない。いつか、あまりのことに発狂してしまうに違いない。そう考え、自分の研究室に戻り、開発したのがこのヘルメット型機械だった。幸いわしは研究者だった。だから欲しい部品は自分の研究室の中にすべてあった。それらで、わしは機械を作ったという訳だ。
さて、この機械だが、何の機能があるのか。
そう、これは人に、
【夢をみさせるものなのだ】
一人では飽きに飢えてしまう。
それを考え、自動でいろんな夢をみさせる装置を作ったのだ。
これさえあれば、もう退屈するなどということはない。
退屈という言葉とは無縁の生活をすることができるのだ。
これの開発に一年歳月を費やした。そしてようやく完成した、という訳だ。
わしはもう一度さっきの機械を手に取る。
ゆっくりそれを自分の頭にまた装着した。
―――さて、
一体次はどんなおもしろい夢を見るのだろうか―――――
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