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蕎麦の花  作者: 星乃夢
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第四話 土の洗礼と、見えないレール



 パタンと、ノートパソコンを閉じる音が、静まり返った古民家に寂しく響いた。

 画面から放たれていた青白い光が消え、部屋はまた、夜の深い静けさに包まれる。

 

 『……飾り物にされてたまるか』

 

 源さんのあの拒絶に満ちた声が、耳の奥で何度もリフレインする。

 都会で必死に磨いてきた自分のスキルが、ここでは何の価値もないどころか、土を汚す不純物のように扱われた。その衝撃に、美咲の指先はまだ微かに震えていた。


  

 ふと、部屋の扉が小さく叩かれた。

 

「……美咲さん、起きてるかい」

 

 トメさんだった。

 彼女は小さな湯呑みを二つ、盆に乗せて入ってきた。

 

「トメさん。……すみません、あんなに反対されるなんて思わなくて」

「いいんだよ。あいつら、新しいもんには……何でも、すぐ噛みつくのが習性なのさ」

 

 トメさんは囲炉裏のそばに腰を下ろすと、美咲に温かい茶を差し出した。湯気が、美咲の強張った表情を少しだけ緩めていく。

 

「源さんのあの態度、気にしなさんな」

 

 トメさんは囲炉裏のそばにどっしりと腰を下ろすと、美咲に温かい茶を差し出した。

 

「あの人は……ああ見えて、誰よりもこの村が消えていくのを怖がってるだけなんだよ。そもそも臆病なんだよ、男ってのは」

「臆病……源さんがですか?」

 

 美咲は意外な言葉に目を丸くした。

 

(あの、岩石を削り出したような頑固な老人が、臆病?)

 

「そうさ。男ってのはね、外じゃいつだって格好つけたがる生き物だよ。一番高い場所に立って、旗を振って、『わしがこの村を守ってやってるんだ』って顔をしていたい。それが彼らのプライドってやつなんだろうね」

 

 トメさんは、茶を一口啜り、どこか遠くを見るような目で続けた。

 

「あんたみたいな若い人から見れば、この村は『男尊女卑』の古い場所に見えるだろう? 男が威張って、女が三歩下がって。

 ……でもね、見方を変えてごらん。

 昔この山は、今よりずっと厳しかった。

 崖崩れもあれば、獣も出る。

 そんな危険な『外』の仕事を

 引き受けて、泥を被って、

 矢面に立ってきたのは男たちさ。

 彼らはね、

 そうやって女を、家族を、

 危険から遠ざけて

 命懸けで

 大切に守ってきたのさ」

 

 トメさんは、皺の刻まれた小さな手で美咲の膝をぽんと叩いた。

 

「外でどれだけ格好つけていたって、

 家に戻れば、弱ったり悩んだり、

 愚痴を吐くような格好悪い姿を見せる。

 そんな彼らを黙ってそっと支えて、

 折れないように包み込んできたのは、

 いつだって母であり、

 妻であり、

 女たちだったんだよ。

 外からは……

 男が引っ張っているように見えても、

 実はその男たちが走るためのレールを後ろからこっそり敷いてきたのは……男の安全を願う女だったのかもしれないね」

 

 美咲は、ハッとして顔を上げた。

 男尊女卑……という言葉で片付けていた景色の裏側に、不器用なほどの……支え合いと役割分担があったことに気づかされる。

 

「あんたのデザインってのも、きっとそれと同じじゃないのかい?

 源さんの前で旗を奪い合うんじゃなくて、あいつが『この村の主』として格好つけたまま、新しい時代へ歩き出せるように、こっそりレールを敷き直してやる。

 ……それが、あんたの言う『リデザイン』ってやつなんじゃないかね」

 

 トメさんの言葉は、鋭い針のように美咲の迷いを突き刺し、そして温かな糸のように解いていった。

 

 ……デザインとは、私の感性を押し付けることじゃない。

 彼らの意地も、守りたかったプライドもすべてを包み込んだ上で、一番いい歩き方を見せてあげることだったんだ……。


 

 翌朝。美咲は、ノートパソコンをクローゼットの奥へと仕舞い込んだ。

 代わりに手に取ったのは、昨日源さんがくれた水が入っていた、空のペットボトルだ。

 

 一番古びたTシャツに、土の色の染み付いた長靴。

 美咲は、鏡をちらっと見てから、源さんの畑へと向かった。

 

 朝靄の中、源さんは既に腰を曲げ、黙々と作業をしていた。

 彼が守り抜いてきた『在来種』の蕎麦。その細い芽を囲むように、生命力に溢れた雑草が容赦なく地表を覆い尽くそうとしている。

 美咲は何も言わず、源さんから少し離れた場所で、同じように膝をついた。

 

「……何しに来た」

 

 源さんの声は相変わらず険しい。


「草むしりです。まずは、この土が何を育てているのか、この目で見たいので」

 

 美咲は、キーボードを叩くために短く整えられた自分の指先で、湿った冷たい土に触れた。

 指の間に入り込む土の感触。どれが守るべき芽で、どれが取り除くべき草なのか、今の彼女にはまだ判別がつかない。


 けれど、ただひたすらに地面と向き合い、源さんの手の動きを盗み見る。

 

 ……果たしてこれが、レールを敷くということなのか。

 飾るよりも大切なのは、まず自分がこの土地の土の色に染まること……。

 

 美咲の新しいデザイン案は、パソコンの中ではなく、今、緑と土にまみれた手のひらの中で、静かに形を変えようとしていた。  



 

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