表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蕎麦の花  作者: 星乃夢
4/5

第三話 朝の光と、泥だらけのリデザイン



 カチッ、カチッ……。

 規則正しい時計の音と、どこか遠くで鳴く鶏の声で目が覚めた。

 

 時計の針は、午前五時半を指している。

 都会にいた頃なら、ようやく深夜残業から解放されて泥のような眠りにつくか、あるいは不規則な生活の果てに絶望的な気分で目を覚ます時間だ。

 

 けれど、真綿の布団から這い出した美咲の身体は、驚くほど軽かった。

 

「お早う。よく眠れたかい」

 

 居間へ向かうと、トメさんは既に割烹着姿で立ち働いていた。土間にある古いかまどからは、薪が爆ぜるパチパチという心地よい音と、炊き立ての米の香ばしい匂いが漂っている。

 

「お早うございます。……すみません、お借りしたままで」

「いいんだよ、気にしなさんな。朝飯食ったら、あんたの『城』の片付けに行かなきゃならんだろ?」

 

 食卓に並んだのは、昨夜の汁物の残りと、大根の漬物、そして艶やかな白米。

 美咲は、その質素ながらも優しい朝食の香りを全身で受け止めながら、トメさんに気になっていたことを尋ねた。

 

「トメさん、昨日のおむすびに入っていた『蕎麦の芽』……あれ、凄く美味しかったです。どうしてあんなに香りと旨味が強いんですか?」

 

 トメさんは、湯気の立つ茶碗を置き、少しだけ誇らしげに目を細めた。

 

「この村の蕎麦はね、源さんが、親の代からずっと種を絶やさずに守ってきた『在来種』ってやつさ。今の品種よりずっと粒が小さくてね。育てるのは手間だけど、香りと味の濃さだけはどこにも負けない。……でもね、今じゃ誰も見向きもしないよ。形が悪いだの、手間がかかって、効率が悪いだの言われて……市場じゃ二の次、三の次さ」

 

 その言葉に、美咲の胸の奥で、デザイナーとしての本能に火が灯った。

 

 価値があるのに、知られていない。

 守りたいものがあるのに、届け方がわからない。

 

 それは、まさに自分が都会で格闘してきた……課題そのものではないか。

 

「……源さんが、あの畑を『藪に戻る』って言った理由が、少しわかった気がします」

 

「あんな偏屈、放っておきな。さあ、食った食った!」



 ――――――――――――――――――――――――

  

 朝食を終えた美咲は、トメさんにお礼を言い、借りたばかりの古民家へと向かった。


  

 朝の光の下で見るその家は、昨夜の絶望的な暗闇とは、まるで違って見えた。

 

 剥がれた瓦は、逆に言えば交換すればいいだけの話だ。背丈ほどある雑草も、刈り取ってしまえば、そこには肥えた土が眠っているはず。

 ポジティブ思考になった美咲は、スーツケースから持ってきた中で一番古びたデニムとTシャツに着替えた。髪を一つに束ね、昨日土で汚れたパンプスではなく、購入したての長靴に履き替える。

 

 まずは庭の草むしりからだ。

 

 鎌を手に取り、無我夢中で草を刈る。

 指先に伝わる茎の抵抗感。立ち上る青臭い匂い。

 しばらくすると、手のひらにはマメができ始め、額からは大粒の汗が滴り落ちた。

 モニターの前でマウスを動かしているだけでは決して得られない……体力勝負の労働という感触だった。


  

 ふと、視線を感じて顔を上げると、畑の向こうで源さんが立っている。

 彼は鍬を手に、泥だらけになって這いつくばる美咲を、相変わらず厳しい目で見つめていた。

 

「……おい、物好き」

 

 源さんはぶっきらぼうに歩み寄ると、美咲の足元に、ゴロリと何かを転がした。

 それは、大きなペットボトルに入った冷たい水と、古い新聞紙に包まれた()()だった。

 

「熱中症で死なれたら、後味が悪いからな。……あと、それはトメが持っていけと言ったやつだ」

 

 源さんはそれだけ言うと、美咲が礼を言う暇もなく、さっさと自分の畑へ戻っていった。


  

 新聞紙を広げると、中には昨日食べたあの『蕎麦の芽の薬味』が、ぎっしりと詰まった小さな瓶が入っていた。

 美咲は、冷たい水を一口飲み、空を仰いだ。

 

 一面の青空。そして、揺れる白い蕎麦の花。

 

(私は……異邦人のままで、終わるつもりはない)

 

 ……デザインとは、ただ綺麗な絵を描くことではない。

 そこに眠る価値を掘り起こし、新しい名前を与えて、必要としている人へ届けることだ……。

 

 土にまみれた長靴を見つめ、美咲は確信した。この白を、私がリデザインする!



 その日の夜。

 掃除を終え、ようやく電気が通った古民家。美咲は剥き出しの電球の下、都会から持ってきたノートパソコンを開いた。

 キーボードを叩く指は、昼間の草むしりで少し震えている。画面上でロゴのラフを描き、トメさんの薬味をどう見せるべきか、キャッチコピーを書き綴るうちに、美咲の瞳にはかつてのデザイナーとしての鋭い光が戻っていた。

 

(いける。これなら、絶対に欲しがる人がいるはずだ)


 

 翌日。美咲はトメさんに連れられ、村の小さな集会場へと向かった。

 月に一度の寄り合い。そこには源さんをはじめ、村の年寄りたちが十数人、眉間に皺を寄せて座っていた。


  

「……で、そのデザイナーさんが、何の用だね」

 

 村長の重苦しい声。美咲は緊張で乾いた喉からかすれた声を絞り出し、昨夜作り上げたばかりの企画書を広げた。

 

「この村の在来種の蕎麦、そして蕎麦の芽の薬味。これを、セットにして……新しい蕎麦ブランドとして売り出したいんです。私がロゴを作り、ネットや都会のセレクトショップに……」


「……ぶらんど?……ろご……それと何だって」

 老人たちは、戸惑ったように隣の人と顔を見合わせたり、小声で囁いている。

 そこに、

「……笑わせるな」

 まるで冷や水を浴びせるような声がした。

 

 ……源さんだった。

 

 彼は、美咲の企画書に目を向けることさえしないで、吐き捨てるように続けた。

 

「ネットだか、ブランドだか、知らねえが。わしらはただ、先祖代々の種を繋いでるだけだ。見ず知らずの他人のあんたに、わしらの生活を『飾り物』の見世物にされてたまるか。土をいじったこともねえようなあんたに、わしらの何がわかるんだ」

 

 周囲の老人たちからも、頷きながら同調するような呟きが次々と漏れる。

 

「そうだ。横文字ばかり並べられても、ちっとも土の匂いがしてこん。今さら余計なことをして、静かな暮らしをかき乱されたくない」

「若いもんの考えることは、甘ちょろいな。夢見てるのか……どうも地に足がついておらん」


  

 デザイン……それは美咲にとっての武器であり、誇りだった。

 けれどこの村では、その言葉自体が、うさん臭い余計なものとして、高い壁に跳ね返されてしまった。

 

 美咲の最初の一歩は、

 土地に根を下ろすどころか、

 その土の深さに抵抗され、

 弾き飛ばされたようだった……。

 


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ