第8話 童貞の呪い
迎えた翌朝――。晴れ渡る空の下、少し肌寒い陽気。旅装に着替えたアーセルは比較的厚着をしており、むしろ快適なくらいだった。それが旅立ちの朝となれば格別にさえ思う。
「じゃあ行ってくるよ」
孤児院の軒先に全員が顔を揃えた。アーセルが告げると、まずクラッセンがうなずいた。
「魔術や術師に関する事は、やはり王都で調べるのが最善かと思います。道中には何かと危険が伴いますので、くれぐれもお気をつけて」
「わかってるよ」
「かつて私が使用した装備ですが、今も問題なく使えるか怪しいです。いくらか銅貨を包みましたので、これで買い足すなどしてください。あとは――」
「わかってるって」
アーセルの装いは一新していた。厚手のマントに麻を重ねた丈夫なチュニック、皮のブーツ。頭頂で結んだボサボサヘアーだけがもとのままだが、割と気に入っていた。
「それじゃあマリー。じいさんをよろしくな」
「おじさん、ちゃんと気をつけて、色々観察して。お腹が減っても野生のキノコは食べないように、食用じゃないと危ないからね。それと生水。変なものが浮いてたり臭いが悪いのはダメ。沸騰させてよお腹を壊すことがあるし、他にも――」
「わかったから。2人して心配症かよ」
アーセルは最後にジャクソンを見た。こちらは口数が少ない。
「それじゃあジャクソン。みんなと仲良くな」
「うん、バイバイ」
ジャクソンは両手でチュニックの裾を強く掴んだ。その手は震えていると、アーセルの位置からでも見えた。
「絶対、また会いに来てね! みんなここに居るから。絶対だよ!」
アーセルはジャクソンの反応に驚きつつも、その頭をクシャクシャと撫でてやった。
「もちろんだ。面白い話に豪華な土産をもって帰るから。楽しみにしてな」
手厚い見送りののちにアーセルは立ち去った。それからロックヒル村に立ち寄るのだが、村人たちの様子はよそよそしかった。
「やぁアーセル、今日はいい天気だねぇ」とか「どっかに出かけるの? 気をつけて」と優しい言葉をかけてくれる。だが顔はたいてい引きつっていた。上っ面だけ整えた台詞と、涼しい顔で聞き流した。
「何事だよこれ。皆の反応がキモいんだが」そうアーセルが呟くと、肩に座るサラマンドが笑った。
「そらそうよ。お前は洞窟を吹っ飛ばした――かもしれない男だぞ。怒らせるわけにいかねぇ。腫れ物扱いってやつだ」
「あっそ。まぁどうでも良いけどな」
「そんでどこへ向かう? 王都に向かって一直線か?」
「いや、その前に落とし前をつけないとな」
アーセルは足早に村の中を行く。遠巻きに避ける村人たちは無視して、訪れたのは冒険者ギルドだ。扉を叩き割るつもりで押し開いた。
「おうおうおう、よくも騙しやがったな! セフィラはゴブリン洞窟にいなかったぞ!」
怒鳴り込む。ギルド内はほぼ無人で、カウンターにレックスがいるだけだった。父親のギルドマスターさえ今ばかりは姿が見えない。
「やはり来たかアーセル」
「来たかじゃ無いんですレックスさんよぉ? オレは1杯食わされちまって、頭に来ちゃってるよオウ? セフィラはどこに居るんだって」
「別に誰も『ロックヒルの案件』を請けたとは言ってないぞ。ギルドはここ以外にも、王都やら、そこかしこに腐るほどある」
「減らず口を……今どこに居るんだよ?」
「登録情報だ。部外者には言えないね」
レックスは腕組みしながら睨みつけてきた。丸太並の太い腕に城壁のような胸板――以前ならひと睨みされただけで震え上がったものだ。しかし今は真っ向から睨み返した。それだけ胆力が短期間で鍛えられていたのだ。
「それよりアーセル、噂は本当か?」
「どんな噂だよ」
「とぼけんな。夜中に火山噴火みてぇな騒ぎが起きた。件の場所はバカでかい穴が空いていた。まるで地の底から魔神でも蘇ったかのような」
「へぇ、そんな感じだったのか。大変っすね」
「あの晩、洞窟にいたのはお前とゴブリンだけだったはずだ。そうなるとお前が何かやらかしたと考えるべきだ。それも非現実的だが、精霊が見えていたお前ならば……」
レックスが前のめりになるので、アーセルは咳払いしてから、静かに返した。
「魔術だよ。それでオレは強くなった」
アーセルの手のひらを突き出すと、その上にサラマンドが乗った。それからは小馬鹿にした態度で踊りだす。『や〜〜い脳みそ筋肉』と罵った。だがレックスの顔色は変わらず、かすかな反応さえ見せない。
「精霊なんて……本当にいるのか?」
「ほとんどの奴は見えないし感じないそうだ」実際、レックスにはサラマンドが見えていない。今も鼻先で踊る姿が、全く目に入っていないのだから。
「なるほどな。よく分からねぇが、お前さんは魔術師になったんだな」
「後悔したか。オレを門前払いにしたことを」
「そのとおりだ。見る目が無かったことを謝る」
「えっ?」
レックスが素直に頭を下げたことで、アーセルは困惑した。それから差し出された羊皮紙には、さらに驚かされてしまう。
「なんだこれ、紹介状……?」
「よそに持っていけ。うちじゃ親父の印がないと登録できないが、他のギルドなら問題なく冒険者になれるはずだ」
「いいのか?」
「ここいらは平穏でも、山を降りれば色々と忙しない。実力者なら引く手あまたのはずだ。お前もセフィラを探すなら、ギルドには足を運ぶんだろ?」
「そういうことなら、もらっとくか。かさばるモンじゃねぇし」
「人探しなら王都を目指したほうが良い。腕に覚えのある冒険者が集まるからな」
アーセルは去り際に「親父殿によろしく」と告げては後にした。その足取りは軽く、誰にも遮られることもなく、村の郊外までやって来た。
「いよいよロックヒルともお別れだな……」
丘の上に立ち、村を眺める。村内の市場は往来が多く、呼び込みの声もここまで届きそうだ。郊外に広がる農地は稲刈りの最中で、野良仕事する男たちの姿もある。さらに遠くを見れば孤児院――今ごろは洗濯に掃除と忙しくしているかもしれない。
その光景を無言で眺めるアーセル。その肩の上で、サラマンドが声をかけた。
「おっと、さすがのお前も湿っぽくなったかぁ? どうよ、生まれ育った村を出ていく気分は。やっぱり寂しい?」
「そういうんじゃない」
「その割にはお前、後ろ髪ひかれるような顔してんぞ?」
「いや、村の女たちは寄り付きもしなかったなと思って。てっきりモテモテになれるかと……半裸の女たちが詰め寄ってきて『私をもらって!』みたいな展開がさ」
「まぁ大体が避けてたよな。あれは完全にビビってた」
「おかげで謎も解けなかったし」
「謎って何だよ。昔に逃げてきた騎士のことか?」
「いや、おっぱいの味……」
つぶやきは風にさらわれて消えた。舞い散る枯れ葉を我が身と重ねる。心のなかに寒風が吹き込むようで、瞳を伏せた。
だが、これからは自由だ。どこへでも行ける。つまりはまだ見ぬ女、未知のボディラインを知ることが出来るチャンスなのだ。そう思い直しては力強く前を向いた。
「やっぱりここは王都を目指そうか。セフィラの足取りを調べたり、それに美人も多いはず」
「良いんじゃね、お前の親父も調べられるだろうしな」
「それは割とどうでもいい。過去よりも未来だろ」
「もっともらしく言うな。単に女好きなだけじゃねぇかよ」
「だってオレはもう昔のオレじゃないんだぞ? 女なんていくらでも手に入るだろ。これから冒険者になって暴れまっくて荒稼ぎ、そんで、ゆくゆくは……」
セフィラを手に入れる。さらに王都に豪奢な宮殿を建てて、この世の贅沢を味わい尽くすのだ――。
美食や美酒、金銀珠玉をあつらえた調度品に囲まれる。バルコニーから望む庭園は楽園のごとし。従える召使はもちろん絶世の美女だらけで、細身からぽっちゃりまで幅広く。ついでに制服はゆるゆるの紐で編んだものにする。姿勢によってはポロリする造りだ。彼女たちは言うだろう「お目汚しを申し訳ありません旦那様」と、恥辱にあふれた台詞を――。
夜になればおたのしみ。囲った女たちにスナック感覚で手をだす。今日は細身、明日はぽっちゃりと取っ替え引っ替え。ちなみにメインのお相手はセフィラ確定で、毎晩一日も欠かさずに滅茶苦茶する。
そんな夢想がアーセルに力を授けた。つま先の先端まで熱い血潮が巡っていくようだ。
「やるぜサラマンド。オレはこれから手に入れてやる! 金も地位も名誉も女も、何もかも!」
「あっ。そういう感じ? たぶんダメだな」
「何でだよ。あんなに強くなったんだぞ? 大暴れのついでに金も稼ぎまくって――」
「言っとくが、童貞を捨てたら魔術も使えなくなるからな」
「えっ、聞いてねぇが!?」
「体が穢れると、精霊と対話できなくなるだろ。つまり魔術発動のサポートもナシ。そしたらお前はふつ〜〜のオッサンに逆戻りだよな」
アーセルは絶望に頭を殴られた気分になる。これほど強くなり、ようやく自由気ままに暮らせる――だが童貞を捨てる事は許されない。
仮に捨てたなら、同時に力も失う事に直結する。もちろん困窮まっしぐら。生々しい未来が見えたことで、アーセルの心は深く傷つけられた。
「無理なの? マジで? オレってば。この先も清らかな体のまま……」
「そうヘコむなよ。お前が童貞を貫いたお陰で、今があるんじゃねえか。妄想癖で想像力も鍛えられたわけだしな」
「嘘だろ……」
衝撃の事実に思わず膝を屈しかける。一方で眼前を飛び回るサラマンドは笑っていた。
「あらかじめ知って良かったじゃん。それとも何か? 童貞を捨てた瞬間、いきなり魔術を失ったほうが良かったのか?」
「いや、そうなるくらいなら、事前に分かってたほうが……」
「だろ? 生きるうえで『知ること』はすげぇ大事なんだよ。お前も『魔術を知った』から、こうして女のケツを追いかけるチャンスが手に入ったんだぞ。知らなきゃ今も村でくすぶってたんだ。ナンボか夢に近づいたじゃねぇか」
「それは、まぁ、そうだよな」
「だったらシャッキリしろ。ボヤいてても始まらねぇぞ」
丸め込まれた感はあるものの、アーセルはロックヒルに背を向けて歩き出した。受け入れがたい制約はいったん脇におき、まずはセフィラを探さなくてはならない。遥か遠くの王都を目指して、山道を降っていった。
サラマンドが語ったように『知ること』はとても重要だ。そしてアーセルは、早くも翌日には新たな知見を得ることになる。
この世界は驚きと新鮮味にあふれ、同時に危険である――と。




