第6話 灼熱の架け橋
どれほど叫ぼうとも、たとえ耳元で絶叫しても、アーセルが正気を取り戻すことはなかった。セフィラと体を密着させながら、亡者の如き声を漏らすばかりである。それが魔術で生み出された幻だとも知らずに――。
「あぁ、こりゃ死んだな。じきに首を喰われておしまいってね」
サラマンドはすっかり関心を失っていた。精神魔術にかかるとしても、ここまで容易とは想定しなかった。アーセルの熱意は執着の裏返しだ。その執着は弱点にもなり得て、突かれれば脆い。ましてや戦いに不慣れのアーセルは、魔術対抗の技術や知識も持ち合わせていなかった。
「期待外れだったな〜〜まったく。精霊は見えるし、魔力も桁違いで、しかも『あの男』の息子だろ。もっとやれると思ったけどさ」
アーセルは幻と戯れては、夢見心地に沈んでいく。その向こうでは、岩場に隠れるゴブリンロードの姿が。飛び込むタイミングを見計らっているらしい。鈍く光るその牙は、間もなくアーセルを襲うだろう。
「しかたねぇ、次の所有者と出会えるのを待つか。魔窟の中なら、骨のある冒険者もやってくるだろ」
もはや見ていられないと言わんばかりに、サラマンドは魔術書の中へ戻ろうとした。再び眠りにつく、それで幕引きになるだろうと。
しかし次の瞬間、サラマンドは息を飲むことになる。肌を打つ凄まじい波動。その気配に思わず弾かれたように顔を向けた。
「なんで、お前は魔術にやられたはずじゃ……」
波動の出どころはアーセルだった。その波の正体は――激情。あまりにも激しく燃え盛る心が、大気を揺さぶるほどの激情が、サラマンドを強く惹きつけた。
炎の精霊は情熱の象徴でもある。そのかつてないまでの波動は、太古の昔から存在する精霊でさえ、たじろぐほどだった。
「そんな馬鹿な。精神を支配されたやつが、ここまでの……!」
その頃になって気付いた。アーセルはすでに真顔となっており、瞳に意思の光を宿していた。それだけでなく、憧れのセフィラを体から離したかと思うと、両手で突き飛ばしてしまう。
「違うんだよ……」アーセルは呟いた。さながら呪詛、あるいは絶望からくるうめき声のように、低く響かせた。
「お前は、偽物だ……!」
地面に倒れ込む幻を、恨みがましく睨んだ。充血した瞳から涙が溢れて止まらず、噛み締めた唇からも血が滴り落ちた。
「何もかも本物と違う! 胸のサイズも腰の細さも、尻の形も……似てはいるが、完全に別物だ!」
幻を看破したのは体型の違いからだ。アーセルの脳内に完全保存されたセフィラの特徴と、幻を比較して、ささやかな違いがあった。常人なら見落とすはずの差異に、彼は気づいたのだ――自然の増減では説明つかないほどに体つきが変化していると。
アーセルには、瞳に映した女の体型を寸分たがわず記憶する能力がある。それが今、窮地において役立ったのだ。
「でてこいよ卑怯者」
セフィラの幻は霞に消えて、かわりに物陰から上位種の魔族が現れた。こちらは冠付きで、剣の代わりに杖を携えている。ゴブリンロード、この魔窟の主だった。
「ぬか喜びさせやがって……! オレはお前を許さない! 絶対にだ!」
アーセルは鋭く指先を突きつけた。今度はこちらが瞳に狂気を宿す番だった。
「死ぬ覚悟は出来たか! このゲス野郎!」
響き渡る咆哮、肌を打つほどの衝撃が鍾乳洞を揺るがす。大地の鳴動はどこまでも伝わりゆくように響いた。アーセルの魔力は暴力的はまでに膨れ上がり、それが異変となって現れたのだ。
天井のひび割れから小砂利がこぼれ落ち、彼の頭上に降り注ぐ。だが、その毛先に触れる前に砂利は消し飛んだ。溢れ出るほどのアニマが勝手に弾いてしまった。
「お、おい。ちょっと冷静になれよアーセル。このダンジョンの主は小物のうちだ。そこまでブチ切れるような相手じゃ……」サラマンドの声は届かない。
アーセルは右手を掲げては渾身の力を宿した。その手に帯びるのは真っ赤な光――激情のアニマ――サラマンドですら見惚れるほどの輝きをみせた。地上では滅多に見かけることのない熱量だった。
「炎の精霊サラマンドよ! その真価を示せ!」
唱えると共に振り下ろされる手。すると虚空でまばゆい閃光が駆け抜けた。赤い炎どころではない、太陽よりも白い熱源が生まれては、鍾乳洞の中に迸る。
「馬鹿、加減しろよアーセル! こんな狭いところで大魔術なんて全滅エンド!」
「消えてなくなれゲスがーー!」
「聞いちゃいねぇ、お前もゲス寄りのくせに!」
着弾、炸裂――。視界の全てが白く染まった。尋常でない熱風がせまい洞窟内を駆け抜けていく。
大魔術の反動は凄まじく、炎は狙いが大きく外れて天井に激突した。耳をつんざくほどの爆音、そして爆風。アーセルは壁まで吹き飛ばされては、背中を激しく打った。
「なんだこの威力、やべぇぞサラマンド!」
「だから止めたんだよ馬鹿野郎!」
吹き荒れる熱風は身をかがめて堪える。だが猛威にさらされたのは束の間で、すぐに全てが止んだ。光も熱も消え去り、焦げ付いた臭いだけが残されている。
薄闇の中、驚くほど静まり返った周囲に、アーセルは呆然としてしまう。
「あれ、もしかしてオレ、死んだ?」
「死んでねぇよ、ちゃんと生きてるわ」
すかさずサラマンドが眼前に現れた。お互いに砂とススに塗れていたが、怪我らしい怪我は見当たらない。
「まったく、最強クラスの魔術をおいそれとブッ放すなよ。下手したら焼け死んでたからな」
「ゴブリンロードは?」
「無事だと思うか? 跡形もねぇわ」
「そうか……」
アーセルはふと空を見上げた。すると蒼い月が、雲の隙間に見え隠れした。
「うわあ。オレたち、いつの間にか外まで吹っ飛ばされたのか? 爆風やばかったもんな」
「ちげぇし。外じゃねぇよ。今も鍾乳洞の中だ」
「えっ、でも夜空が――」
そこでアーセルも気付く。空が妙に狭く、円形に切り取られたかのようだ。
「天井に穴を空けたんだよ。お前の魔術でな」
「オレが!?」
「よくもまぁ派手にやらかしたもんだ。狙いが外れたおかげで天井ブッ壊して、炎の大半が外へ逃げたしな。命拾いだぜ」
「マジかよ……。オレってヤバくないか?」
「そのとおりだ。ヤバいくらい馬鹿だけど、アニマもヤベェくらい持ってやがる」
サラマンドは右手を突き出してはアーセルに見せつけた。長い指を折りたたみ、親指だけ上に立てる。グッドサインだ。
「おもしれぇから、これからも付き合ってやる。よろしく頼むぜ相棒」
「気に入ってくれたらしいな」
「さてと。ボスも倒したし、さっさと帰ろうぜ。村に戻りゃ英雄扱いかもしれねぇ」
「それは楽しみだ……」
緊張の糸が切れたアーセルは、その場で倒れた。サラマンドが、懸命に喚き散らして起こそうとしたが、それは無駄だった。物理的能力の乏しい精霊には、どうすることも出来なかった。
洞窟で昏倒したアーセルが救出されたのは、冒険者たちが異変調査に訪れたときだった。真夜中に巻き起こった大地震に、天を焦がす程にほとばしった火柱で、ロックヒル村は大騒ぎになっていた。
そんな話を、孤児院のベッドでアーセルは聞いた。救助されてすぐに実家に運び込まれたのだ。自室のベッドで横たわる。その傍らに付き添うのは養父クラッセンだ。
彼は「あなたが無事で何より」と安堵して、それから語りだした。昨晩の出来事を村視点から評したものだ。
「あれほどの凶事は見たことも聞いたこともありません。突如として火焔の柱が夜空に昇ったのですから。しかし、奇跡的にも人的被害は無いようです。冒険者ギルドにも問い合わせてみましたが、登録した者全員の無事も確認できています」
「あぁ、それは良かったな」
セフィラを巻き込まなかった事を喜んだが、同時に騙された気分になる。ギルドの話によれば、あの洞窟にいるはずだった。
「洞窟の辺りは地形が大きく変わりましたね。ちょうど炎のあがったところでしょうか。まるで奈落のようでした。穴を塞ぐ手立てを考えるべきでしょう」
「うん、そうか」
生返事を繰り返すアーセルは、心ここにあらずといった様子だ。
養父の視線が気まずい。そもそも発端は倉庫部屋で魔術書を見つけたことだ。それがクラッセンの所持品だとしたら――。勝手に持ち出した上に、騒動を起こしてしまった。どう咎められるか想像もつかない。
(よくも秘密の魔術書を持ち出したな、その生命で償え――とか言わないよな?)
アーセルは俯きながら心を固くした。
「さてアーセル。あなたには1つ大切な話があります」
説教かと覚悟する、あるいは死の宣告。いたずらを咎められるおじさんという図式は、四十路の身には辛いものだった。
だが杞憂だった。クラッセンが手にとった物を見て、困惑させられた。それは例の血塗られた魔術書、叡智の書だった。
「よく聞いてください。あなたの生い立ちにまつわる話になります」
クラッセンは静かに口を開いた。その瞳はアーセルを見つめるようでいて、遠くを見ているようでもあった。
アーセルは黙って耳を傾けた。養父はいつもより、年老いて見えた。




