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第5話 アーセルの異能

 精霊に誘われて無策にダンジョンへ飛び込んだことを、深く後悔したアーセル。丸腰ながらも懸命に応戦するが、始終劣勢だった。


 馬乗りになったゴブリンが、逆手に持った小剣を喉元に突き立てようとする。赤くよどんだその瞳は狂気に染まっている――本気の眼だ。


 アーセルも相手の手を掴んでは、押し返そうと試みた。両者の腕力は肉薄しており、押しては返される局面が続く。


「死ぬ! これマジで死ぬやつだ、サラマンド!」


「いやいや、子鬼と同程度とか貧弱すぎんよ。見た目通りの強さなんだな、お前は」


「いいから早く助けろ、魔術とかねぇのか!?」


「できるけど……。今の位置関係だとお前も丸焦げだぞ。それで良き?」


「良き、なわけあるか! クソが!」


 刃がアーセルの眼前に迫り、鼻先をかすめる。錆びきった剣だが先端は十分に尖っている。力任せに刺したなら、肉を貫くことも可能だろう。


「こんな所で死ねるか……!」


 口に出せば、不思議と力が込み上げてきた。歯を食いしばり、渾身の力で押し返すと、じわじわと刃が遠ざかっていく。


「死ねるわけねぇだろ! 童貞を捨ててねぇのに!」


 ゴブリンを突き飛ばして、がら空きの腹に蹴りを浴びせた。重量感のある足蹴りは、ゴブリンが咳き込むほどの威力だった。アーセルに筋肉はなくとも贅肉はあるのだ。


「おっ、やるじゃん。スンナリくたばるかと心配したぜ」


「しらじらしい。つうかお前、何かできねぇのか? 火の精霊だろ?」


「任せな。ド素人でも魔術が使えるように手解きしてやらぁ」


 サラマンドが視線をゴブリンに移した。アーセルも同じ方を見る。


「いいか、魔術ってのはイメージと気力が必要だ。他にも術式やら詠唱が必要だけど、そこは気にすんな。オイラがまるっと免除してやる」


「助かる、具体的には?」


「まず両手を前に突き出して、呼吸を整えろ」


 アーセルは指示通りに動いた。緊張で胸が詰まるものの、できる限り深く息を吸い込んだ。


「あとは炎でぶちのめすシーンをマインドフルネスにイマジネーションして、アニマを解き放て!」


「急な専門用語やめろ! 初心者なんだが!?」


 両者がもめるうちに、ゴブリンは戦意を取り戻しかけた。ゆるりと身を起こしては、小剣を再び構えだす。


「やべぇ! あれは完全にキレてんぞトカゲ! さっさと教えろよ!」


「炎でぶちのめす場面をバッチリ鮮明に思い浮かべろ! 突き出した手に、なんつうかこう、力を込めながら!」


「これで良いのか!?」曖昧な指示でもアーセルは必死に従った。なにせ命がかかっている。


「そしたら最後にこう叫べ。『炎の精霊よ、その真価をみせろ』とな」


「ほ、炎の精霊よ!」


 その真価を見せろ――。言い切った瞬間にそれは起きた。


 突然両手に宿る反動に押されたアーセルは、その場で尻もちをついた。すると虚空には巨大な火の玉が現れて、ゴブリンに襲いかかった。まるで獣が獲物を狩るかのように、素早く、一切のためらいもなかった。


 瞬く間に炎に包まれてゆくゴブリン。洞窟に絶叫を響かせては倒れ、やがて動かなくなった。その体は何も残さず、ぼやっと光輝いたのちに、跡形もなく消えてしまった。


 その頃になって、ようやくアーセルは腹の底から息を吸えるようになった。こわばった体から緊張がほぐれていく。


「はぁ、はぁ、やったか……?」


「おうよ。つうかお前スゲェじゃん。まさか一発目からファイヤーキャノンをぶっ放すなんてなぁ。初心者にとって難関魔術だぞ」


「知らねぇけど。もしかして素質あり?」


「だと思うぜ。そもそもな、オイラと会話できてる時点でやべぇし」


「マジかよ。じゃあこれなら……」


 セフィラを助けることが出来る、強いと認めてくれる。その後には最高のご褒美が待っている。今宵はチュパリスト記念になることだろう。


「先を急ぐぞ」アーセルは率先して奥を目指した。あれだけ暗闇を恐れたときとは別人のようだった。


 以降は連戦連勝だ。ゴブリンと見るなり火球を放つ。手間取る瞬間はほぼ無くなり、動作からぎこちなさも消えた。危なげなく勝ち星を重ねるに合わせてか、アーセルの歩みも早まってゆく。


 そんな彼をたしなめるのはサラマンドの役割だった。


「おいアーセル。張り切るのは良いけどよ、気をつけろよな」


「洞窟に追い込んだお前が言うのか」


「敵はゴブリンだけじゃねえ事を覚えとけ。群れにはだいたいリーダー格がいたり、支配する上位種が居座ってるもんだ」


「ダンジョンのボスみたいなもん?」


「そんな感じ。んで、ゴブリンを率いるヤツってのはゴブリンロードが多い。そいつらは厄介な魔術を使うんだ。十分注意しろよ」


「だったら安心だろ。お前がいれば魔術合戦でも負けないだろ。ましてやオレは天才だぞ?」


 有頂天になったアーセルの耳に助言は響かなかった。理想の女が手に入るとあって、自然と鼻息も荒くなる。そのせいか、ふと甘い香りを感じた。


「なんだ。これは女の臭いかも」アーセルは、さも当然のように呟いた。


「こわっ。そんな事ができるって、お前マジで人間か?」


「こっちだ」


 二股に別れた道を右手に進む。そして曲がりくねった道を行き、次の岐路でも即決できた。


「おいアーセル。こんな遠くから臭いを嗅ぎ分けるってヤバない? さすがのオイラも寒気がするぜ」


「近いぞ。すぐそこだ」


 道すがら、襲い来るゴブリンは敵ではない。全てを火球で焼き尽くす行軍は、炎の原野を行くかのごとく。その姿だけを目にしたなら、高名な魔術師に見えるかもしれない。


 そんな快進撃の一方で、彼の鼻は女の匂いだけを嗅ぎ分けて、追い求めた。これではどちらがバケモノかは分からない――サラマンドはそう言いかけたが、やめた。

 

「それにしてもいい匂い、最高だ。一生嗅いでいたいくらいだ」


 そう言っては深く息を吸い込むアーセル。甘い、甘すぎる――。脳がとろけるほどのかぐわしさに、頬はだらしなく緩んだ。


 やがて一行は広い鍾乳洞にたどり着く。アーセル迷わず岩陰に向かった。そこには隠れるようにして1人の女性が倒れていた。長い銀色の髪、白い肌に引き締まった体つき。アーセルは飛び跳ねるようにして駆けつけた。


「セフィラ! でゅふふふ!」


 お目当ての娘と巡り会えたことはまさに望外の喜びだ。気色悪い笑みが隠せない、しかし颯爽と現れたのは予定通りだ。倒れ込んだ肩を抱き起こす。セフィラから僅かに反応があった。


「うっ……うぅ」


「しっかりしろ、オレだ。市場で会ったアーセルだよ!」


 外傷は見られない、ただ気絶しているだけ。そうと分かると、尚更アーセルの心は踊った。ご褒美の時は近いと確信する。当初の予定ではセフィラのピンチに駆けつけるものだったが、手間が省けたと思う。気絶から解放したのだから、役割としては十分だと踏んだ。


 間もなくセフィラの瞳が動いた。長く豊かなまつ毛が、おもむろに開き、青い瞳が顕になる。潤んだような輝きに、アーセルの鼓動は今にも弾け散りそうだ。


「あなたは……。どうして?」


「あ、ええと、オレはこうみえて強くてさ! 君が危ないかもと思って、こうして駆けつけたんだ。さっきもゴブリンどもを瞬殺したんだが、いやぁ楽勝すぎてさ。そのシーンを見せてやりたかったよワッハッハ!」


「私のために? 嬉しい……!」


 アーセルの首元に細い腕が絡みついてくる。そして密着。セフィラのつむじから漂う色香に、アーセルは脳が痺れる思いになった。


 気の利いた言葉のひとつもかけたい所だが、すっかり舞い上がってしまい、あらゆる言語能力を失っていた。口からあふれるのは、気色の悪い呻きや唸りばかり。もはや知性の欠片さえ残されていない。

 

 色香に溺れゆくアーセルに、サラマンドが横から声を浴びせた。危急を知らせるものだ。


「離れろアーセル、こいつはダメだ! 魔術だぞ!」


 制止の言葉など届かない。完全に骨抜きとなったアーセルの気色悪い笑い声が、暗い洞窟に響いていた。


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