第4話 クチの悪い精霊
開かれた魔術書、そこに浮かぶは人語を流暢に操るトカゲ。外皮がほの赤く輝くさまは、さながら炎に包まれたかのよう。
尻から床に倒れ込んだアーセルは、震える声で呻いた。
「しゃ、喋るのかよ……こいつ」
すると、そのトカゲも長い顔をアーセルに向けて硬直した。長い口をぽかんと開けたかと思うと、わめき始めた。
「えっ、お前、オレが見えてんの? マジ!?」
「見えてるし聞こえてるぞ!」
「えぇーー精霊視なんてもん持ってやがる!? なんでお前みたいなヤツが!」
「オレが知るかよ!」
両者はパニックに陥った。なぜ、どうしてと互いに戸惑いの台詞をぶつけ合うが――意味をなさない。
やがて不毛な舌戦に疲れ果てた頃、トカゲは静かに背筋を伸ばした。全身に帯びる赤みも、心なしか濃くなったようだ。赤い外皮に反して瞳は湖面のような青で、穏やかな視線がアーセルに向けられた。
「我が名は炎の精霊サラマンド。人の子よ、よくぞ我を長き眠りから呼び覚ました。得がたき力を望むか?」
「いや今更すぎんだろ。出てきた瞬間に地を見せたし」
「だって普通は精霊の声なんて聞こえねぇじゃん! 世間ずれしてないガキならまだしも、どっぷり浸かってそうなオッサンだぞ? ありえねぇって!」
「そんなこと言われても――」
そう言いかけて、アーセルは何かを思い出そうとした。おぼろげな記憶、幼少期のもの。
あの頃は確かに、不思議な生き物に囲まれて暮らしていた。人とは違う何か。毎日のように絡んできては問題を起こす厄介者。それが今になって再び目の前に現れたのだ。
血塗られた書物から飛び出したことは不審だ。しかし、どこか見慣れた相手であり、旧友にも似た懐かしさすら覚える。もっともアーセルに友と呼べる者はいないが、ともかく感じた。
「精霊ってのは、マジなんだろうな」
「あたりめぇよ。こちとら精霊神ルミナスが第一の子分、サラマンド様だぞ。ちょっとは恐れ入ったらどうだ」
「いや別に。何度も見てるし、たぶん」
「それにしても珍しい事もあるもんだ。大人なのに精霊と話せるなんて、稀有も稀有だぞ。普通は高名な魔術師でもねぇと無理だ。あとは山籠りしてるような変わりモンとか」
「どっちでも無いんだが。そんなことより!」
アーセルは好奇心のおもむくままに、サラマンドに顔を近づけた。
「お前、さっき力がどうのって言ったよな。強いのか?」
「そりゃもうメチャ強いわ。ひれ伏せよニンゲン」
「だったら力を貸してくれ。オレは強くなりたいんだ!」
「強くなる? お前みたいなやつが?」
「言いたいことは分かるが、頼む!」
アーセルは瞳を強く閉じた。思い出されるのはセフィラ――柔らかな髪、優しく微笑む口元。細長い首筋、そして、むしゃぶりつきたくなる胸。
ただ求めるのはおっぱいを好き勝手出来る権利。女の裸体など知らぬアーセルにとって、イメージできるのは胸の谷間まで。そこから先がどんな造りで、どのような感触かは妄想しようもなかった。ただ楽園のごとき心地に違いない――と確信しては、胸が焦がれるほど惹きつけられてしまう。
アーセルはカッと眼を見開いた。
「どんな手を使っても欲しいものがある! たとえ殺されたとしても、絶対にだ!」
「ふうん。やる気はあるんだねぇ」
サラマンドは値踏みするような視線を向けた。アーセルの瞳を見つめては「ふむ」と唸る。ぶつぶつ独り言を並べた後、納得したように頷いた。
「まぁいいや。どうせ暇だしよ、力を貸してやる。寝起きの肩慣らしだ」
「嘘じゃないよな!?」
「あぁ、オイラの気が変わらねぇうちはな」
サラマンドは不敵に笑うと、辺りを見渡した。
「さっそく暴れに行こうぜ。どっかに魔窟はねぇの? たとえば黒死竜のねぐらとか、狂王の墓石群とか、そういうんだよ」
「ちょうど良い所があるぞ。洞窟にゴブリンが住み着いたって」
「オイラの敵じゃねぇが、退屈よりマシか。じゃあ行くぞ」
「行くぞって今すぐ? 真夜中なんだが」
「当たり前だろ。これ以上寝てられっか、早くしやがれ!」
慌てて倉庫から飛び出そうとしたアーセルは、すかさず怒鳴られた。「オイラを置いていくな!」書物を携えなくてはいけない、そんな説教を受けた。先に言えよと腹の中で毒づいた。
それから孤児院をこっそりと抜け出した。外は転びかねないほどに暗い。郊外なので村のかがり火も届かないし、月明かりも雲に遮られた。だがサラマンドという精霊は自ずと発光するので、松明代わりにちょうど良かった。足元を確かめる分には申し分ない。
「夜道を歩くって、けっこう不気味だよな」
一寸先は闇と言えるほどに暗い夜だ。木々から鳥が飛び立つだけで、アーセルは高い悲鳴を漏らしてしまう。
「そんなザマで強くなりたいって? 無謀もいいところだぜ」
「うるせぇぞトカゲ。やると言ったらやるんだよ……!」
恐怖と信念がツバぜりあいする。そのせいか前には進むものの、腰は引けるという、どっちつかずの姿勢になった。
「ところでサラマンドだっけ。お前はどうして本の中に?」
「契約だから。魔術書に宿って所有者を助けてやるっつうね」
「そんな約束があるのか」
「聞いて驚け。それは『叡智の書』と呼ばれるありがた〜〜い魔術書だぞ。まぁ血で汚れちゃいるが、希少中の希少なんだからな」
「えいちの書?」
「おうとも。あらゆる魔術が記載されてる。しかも選りすぐりの精霊付きだ。まさに至れり尽くせりってやつよ」
「スゴイんだろうな、たぶん」
なおさら不思議に思うのは、それが孤児院で見つかったことだ。クラッセンは魔術と無縁で、子育てに奔走する老人だ。それをアーセルは何十年と見てきた。
自ずとクラッセンの過去を推察してしまう。彼は若かりし頃、修行のために大陸を渡り歩いていたと言うが、細部まで語られたことはない。てっきり司祭として行脚したものだと考えたが、叡智の書を携えていたとすると――。
「もしかして、じいさんは元魔術師?」
ひとつの推論を浮かべた所で、サラマンドが告げた。「着いたぞ。ここだろ?」彼らは目的地に辿り着いた。
それはロックヒル村の郊外にただずむ天然の洞窟だ。切り立った岸壁に、ぽっかりと入口が開いていた。無明の闇に包まれた洞穴から、時折、唸り声が聞こえてくる。それだけでアーセルは全身を震わせてしまった。
「ちょっ、いや、やっぱり夜は止めとくか? 多少は明るくなったほうが」
「なにチンタラしてやがる、早く行け!」
耳元で怒鳴られた事で、アーセルは反射的に飛び込んでしまった。闇の中に身を踊らせては落ちていく。入口からすぐに急峻な下り坂だった。まともな受け身をとれず、肩に尻にと強い衝撃を受けながら、延々と転がり落ちていった。
平たい岩盤に打ち付けられて、ようやく静止する事が許された。相当深くまで落ちていた。出口はというと――視認できないほどに遠い。
そこへフワリと降りてきたサラマンドに、アーセルは不満をぶつけた。
「おい、オレは初心者なんだが? もっと手取り足取り丁寧に――」言い終える前、背後に気配を感じた。素足が岩盤をなぞる音だ。人の物とは思えない粘質な響きが怖気を誘う。
「やばい! あれはもしかして!?」
アーセルが叫ぶと同時に、物陰からなにかが飛び出した。サラマンドの光が照らすよりも先に、影は薄闇の中を跳躍した。
とっさに伏せたアーセル、背中を風切り音が通り抜けていく。辛うじて避けた後に、ようやく敵の姿を目の当たりにした。
長い鼻、裂けたように大きな口。一見して子供のように華奢だが、ショートソードを巧みに操る腕力と残虐性がある。その名を子鬼と呼ぶ。
「お、おいサラマンド! 敵だぞ戦え!」
アーセルはすがるように叫んだ。
「いや、オイラは戦わねぇよ。あくまでサポートだから」
「おい聞いてねぇぞ!?」
「術書の所有者を助けるって契約なんだよ。それ以上頑張る義務なんてねぇんだわ」
「それ先に言えーーッ!」
いさかいを愉しむだけの暇はなかった。再びゴブリンは飛びかかってきた。今度は回避が間に合わず、取っ組み合いになった。
アーセルは丸腰でやって来たことを心から後悔した。頼みにしていたサラマンドは高みの見物で、ヤジ混じりの声援を飛ばすばかり。
「後で串焼きにしてやるからな、トカゲ野郎……!」
そう思いはしても怒鳴るだけの余裕などない。まずは眼前の敵を倒さねばならなかった。




