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第30話 オクトビアの襲来

 雪原馬ヌームという馬をアーセルは初めて目にした。頭から膝まで芦毛色の体毛が覆い、ずんぐりとした姿をしている。穏やかな性格で運搬用として扱われることが多いものの、騎士がまたがるだけで別の生き物のように見えた。


 その馬から1人の騎士が降りた。10名ほどの仲間を引き連れて、村の入口まで歩み寄り、止まった。暴風にひるがえる赤マントはどこか威圧するかのようで、村人たちは恐懼して迎えた。


「私はルミナス教会騎士団のオクトビアだ。ここにアーセルという名の魔術師はいるか。隠すとためにならんぞ」


 オクトビアが兜を脱いで小脇に抱えた。艷やかな髪が風になびく。ハッとするだけの美しさが、見る者を支配した。そして小柄な身体でも、発せられる覇気は強く、誰もが気圧されてしまった。


 村人は、アーセルという名に聞き覚えがない。それでも騎士が告げた特徴や年齢から、割り出すのは容易だった。彼らはすぐにアーセルを見つけると、両脇から捕まえて引き出した。罪人も同然の扱いだった。


「騎士様。こいつがお探しの男だと思いますが」


 平身低頭になる村人に、オクトビアは「ご苦労」とだけ返した。そして改めてアーセルを見た。


「貴様か。たった1人でエビルプラントを倒した……という……男は?」


 オクトビアのトーンが明らかに落ちた。配下の騎士たちも怪訝な表情を浮かべて固まった。

 

 アーセルは理解が追いつかない。いきなり呼びだされたかと思えば、妙に反応が悪いのだ。さらに、つぶやきのような悪態まで聞こえてきた。「本当に魔術師なのか、こんな男が?」「いくらなんでも貧相すぎる」と遠慮がない。


「あのう、騎士様。オレに何か御用でも?」


 アーセルは憤りを飲み込んでから、尋ねた。代わりに不安が込み上げてきて、胸がざわついた。


 オクトビアは、平静さを取り戻しつつ答えた。


「偽りなく答えよ。貴様、叡智の書を持っているか?」


 アーセルは腹を突かれた想いになり、二の句が告げなかった。それと同時に本能で察する。


(バカ正直に答えないほうがいい)


 騎士団の面々は、多少は気配を緩めたものの、今も殺伐としている。彼らの目的をアーセルは知らない。それでも友好的でない事は理解できた。張り詰めた緊張感は、どこか盗人でも捕らえた時の気配と似ていた。たとえば百叩きの一歩手前の時。


 だから察する。態度を誤ればおしまいだ、どうにかして乗り切らなくては――と。


(とは言っても、何が出来る? 四方は雪で塞がれて、騎士も睨みをきかせてる。迂闊に動けばどんな目にあわされるか)


 逃走は不可能。もちろん騎士に殴りかかろうものなら瞬時に返り討ち。正面突破もできない。ならば、手段1つだけ――全力でとぼけることだった。


「すんません騎士様。エッチな書とか、オイラよう知らないっすね。そんなもん、一度で良いから読んでみたいもんですよ。えっへっへ」


「調べはついてるのだぞアーセル。ウェルヘイムを救ったのは貴様だな?」


「ウェルヘイムね、あぁ、草まみれの記憶しかないですけどね。そこがどうしたんです?」


「突然現れた魔術師によって、魔族がことごとく撃滅させられた。それほどの力を持ちながらも、男は無位無官の、無名だった。名前はアーセルというそうだ」


「ほぇ〜〜。そんな偶然もあるんですね。オイラと同じ名前だとか」


「並大抵の戦果ではない。我らは、叡智の書を悪用したが為だと睨んでいる」


 悪用という言葉が、脳裏でこだまするように響いた。あれを遣うことは悪事だとは、一度だって考えたことはなかった。


 そこでつい、返答を止めたのは迂闊だった。オクトビアの視線が鋭くなる。


(ヤバい怪しんでる、なんとか誤魔化せ――)


 そう念じると、不意に鼻がむずがゆくなった。そして、無礼を承知でくしゃみをした。返答に窮したのではなく生理現象だと伝えたつもりだ。


「へっくし! すいませんね、我慢できなくて」


「ふん。よかろう。今のうちに発散しておくのだな。ことと次第によっては、貴様の首が胴から離れかねない」


「えっ、それはどうしてまた?」


「叡智の書を私事に濫用する行為は、それほど罪深いということだ。寛大なる女神とて許しはすまい」


 アーセルは唾を飲み込んだ。オクトビアの気配が強まっているのが分かる。下手に動けば、抜き打ちの斬撃が飛んできそうだった。


 頼むぞオレの演技力――そう祈りつつ自らを鼓舞した。


「そりゃ、大変なことですね。でも残念ながら空振りですよ。こちとら着の身着のままにさすらう自由人ってやつでね。今は最愛の人を追いかけて王都に向かうところでして」


「この期に及んでシラを切るか。さすがに肝が座っている」


「そんな睨まれたって、無いものは無いんですってば」


 オクトビアは配下に命じた。「探せ、手心は無用!」吹雪が猛威を振るう中、アーセルは力付くで裸にされた。


 騎士たちが、衣服を裏返してまで確かめた。そして報告も速やかだった。


「団長、叡智の書は見当たりません。それどころか魔術に関する品の1つも所持していませんでした」


「これは、どういう事だ。ギルド証も探せ、魔術師登録がされているはずだぞ」


 アーセルは震えながらも祈った。ギルドの銅板は革袋の中にある。そちらに気づかれないよう、意識を誘導させないと。しかし震えが止まらず、思考はまとまらない。それが寒さから来るのか、それとも恐怖によるものかは分からなかった。


 するとそこへ、オクトビアのもとに優男の騎士が歩み寄った。裸のアーセルを哀れそうに見下ろしては、苦笑した。


「団長、こんな男がエビルプラントを打ち倒したなんて、ちょっと信じられませんね。そこらの村人よりずっと弱そうですし」


「アルバーノ。貴様は私の推理が誤ってると言いたいのか?」


「やっぱりね、アーセルという男は2人いたんじゃないですか? その説も何だか現実味を帯びてきましたよ。こっちのオジサンは村人Aってやつでは」


「この男はトボけているだけだ。そうに違いない」


 オクトビアは「見てろ」と声を荒げると、人差し指を1本立てた。真紅の指輪が見えた――かと思うと、耳を貫くような甲高い音が響いた。


「死にたくなければ正体を表すのだな、魔術師アーセル!」


 オクトビアの手が真横に振られた。すると虚空に、火球がひとつ出現した。そして一直線に飛んだ。


 村人たちは慌ててその場を離れた。アーセルも逃れようとしたが、それは叶わない。背中から直撃を許して、炎に飲みこまれた。


「まともに受けたか。ならばアニマで抵抗しみせろ、さもなくば焼け焦げて死ぬのみよ!」


 周囲の人々は固唾をのんで見守った。北外れの寒村で魔術合戦が起きようなどと、誰一人予想しなかった事だ。戦えばどうなる、余波は村を破壊するのか――ノゼレンシーの住民は怯えるしかなかった。


 その矢先、炎に包まれたアーセルが叫んだ。


「ぎゃああ! あっちぃーー!」


 すかさず雪の中に飛び込んだ。全身の火が消えて、煙を燻ぶらせてもなお、辺りを転がり続けた。野太い悲鳴も晒しながら。


 その成り行きを、全員が呆然として眺めていた。村人たちは困惑し、騎士たちは落胆の色を濃くする。そこでアーセルの悲鳴だけが響くという絶妙に気まずい雰囲気――。膠着を破ったのはアルバーノの笑い声だった。


「団長、やっぱり違うんですって。こんな、どうみても童貞臭くて浮浪者じみたオッサンが、強大な魔術師なわけないでしょう?」


「そんな馬鹿な、この男は何かを知ってるに違いない! 見るからに怪しいではないか!」


「証拠がないんです、ともかく退きましょうよ。あんまり無茶すると上層部うえも五月蝿く言ってきますし」


「おのれ……」


 憤然としたオクトビアは雪原馬にまたがると、こう言い残した。「必ずや尻尾を掴んでみせるぞ、アーセル」そして、雪原馬をのそりと走らせた。


 そのあとを手下の騎士たちが追いかけ、最後にアルバーノが「お騒がせしてごめんなさいね〜〜」と、やたら柔和な台詞を残して去っていった。


 村は時が止まったかのようになる。その中で一番に動いたのはリオンだった。


「アーセルさん、しっかり!」


 雪の中に飛び込んで、彼女は安堵する。アーセルに火傷はほとんどない。むしろ凍傷のリスクの方が高かった。


「思ったより大丈夫そう。でも早く手当をしなきゃ」


「リオン、オレの袋に傷薬があるから、それを頼む……ちなみにオレの袋というのは荷物袋という意味で股間の方じゃないから……よろしく」


「よくわかりませんが、ともかく取ってきます!」


 急ぎ駆け去るリオンを、アーセルは一瞥もしなかった。視線はただ一点、オクトビアたちが去った方を見ていた。


「あいつら、人を殺すことに躊躇いもないのか……」


 先ほど受けた魔術は、さほど強い魔法ではなかった。それでも全身が炎に飲まれる威力で、雪が無ければ確実に焼け死んでいたところだ。その瞬間を思い返すと、今になって恐怖が押し寄せてきた。


「叡智の書が手元になかったのが、本当に幸運だったな。もしそうじゃなかったら……」


 オクトビアたちは本気だった。アーセルが無様な演技を貫かなければ、斬られたかもしれない。少なくとも縄で縛られるくらいあったはずだ。


 幸か不幸か、叡智の書は手放している。


「オクトビア騎士団とか言ったよな、今のやつら」


 サラマンドとの出会いから始まった魔術師としての人生――それを捨てるつもりはなかった。彼の自立も、セフィラとの愛欲に塗れた日々も、叡智の書をなしにはあり得ないのだ。もっとも、魔術師ならばセフィラを自在に出来るか定かでないが――ともかく必要としていた。


「来るなら来い。オレは絶対に負けない。願望を叶えるその日までは!」


 アーセルは拳を固く握りしめ、前に突き出した。その先には騎士団の去っていく跡が刻まれていた。鈍重な雪原馬の遺した足跡は、大きくて深い。たやすく消えたりはしない。


 そんな決意を新たにした瞬間、彼の背後で悲鳴があがる。リオンだった。


「あの、服! まだ着てなかったんですか!?」


 村中に響き渡るほどの声だったが、アーセルはどこか遠いものに感じてしまう。視線は変わらずオクトビアの方だけを向いていた。

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