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第29話 失われた魔術書

 リオンが静かに尋ねては、押し黙った。肌がかすかにざわめく程の緊張感が、狭い家屋の中にたちこめている。切迫感を思わせる空気だった。


 にも関わらずアーセルは、リオンの姿をねめめつけるように観察していた。茶色の長い髪を飾り櫛でまとめ、鼻は日焼けして少し赤い。アゴは女性にしては尖り気味で、その先からまっすぐ下に視線を降ろしたなら――魅惑の世界――柔らかな快楽を約束してくれる園がそこにある。


 気の向くまま、好き放題に観察していた。だが返答が無いことには、さすがにリオンも訝しんだ。


「アーセルさん……?」


「あ、いや、すまん。何の話?」


 さすがに「凝視してて聞いてませんでした」とは言える様子ではない。ましてや「いい身体してますね」とは口が裂けても言えなかった。


 するとリオンが沈んだ眼差しを木床に向けた。


「すみません、目覚めたばかりなのに。まだ意識もはっきりしませんよね。ずっとボンヤリされてるようですし」


「あ、いや。もう大丈夫だ。もう一度頼む」


「では、失礼して……」


 リオンがまっすぐな瞳でアーセルを見つめた。力強く、しかし沈んだ色をしていた。


「まず私の兄フランクについてですが、このノゼレンシー村を守る魔術師です。氷の魔神様のもとへ行くと言って、村を発ちました。それが10日前のことです」


「魔術師ねぇ……」


「2日で戻ると言ってましたが、今も音沙汰すらありません。だから私は、たびたび時間を見つけては探しに出るようになりました」


「雪の魔神とやらを退治しにいったのか。お前の兄貴はよほど強いんだろうな」


「倒すだなんてとんでもない!」


 アーセルの何気ない言葉にリオンは叫んだ。 


「私たちは魔神様の庇護のもとで生きています。だから毎年欠かさず貢物を献上して、雪の恩恵に与るんですよ」


「そういうもん? 相手は魔族なんじゃねぇの?」


「これをご覧ください」


 リオンが差し出した右手に、こじんまりとした指輪があった。飾り石は小さくとも、青くきらめく光は強かった。


「これは青精石で、ノゼレンシーは石の産地なんです。交易で食料や燃料と替えます」


「確かに綺麗だな」


「この精石を生み出すには、白嶺節の雪が必要と言われてます。厳しい猛吹雪で大地が凍てつき、雪解けのあと、草木の芽吹きとともに生まれるもの。それが青精石なのです」


「つまり、氷の魔神とやらに養われてるようなものか」


「はい。ですから、雪に見舞われるのは有難いことなのです。しかし――」


 リオンの顔があからさまに曇る。


「大雪が降るのは例年通りで、それ自体は問題ありません。しかし今年は雪が深すぎるのです」


「あぁ、やっぱりな。流石におかしいだろコレ」


「もしかすると兄は、氷の魔神様を怒らせてしまったのかもしれません。亡き父から役目を受け継いだばかりで、何かと不慣れだと思います。村に戻らないのも、そういう理由なのではと」


「トラブルに見舞われて帰れない、その可能性があるんだな」


「村の大人たちも探してはくれます。もっとも、兄を案じてというよりは、暮らしの為でしょう。村が閉ざされていますから」


「えっ。どういうこと?」


「そのままの意味ですよ。街道も雪のせいで通れず、街との行き来ができません。村にとっては死活問題です」


「じゃあ王都へは?」


「北岸通商路ですよね。そちらも無理です」


「おい、それは困るんだが!?」


 アーセルは弾かれたように立ち上がると、扉に飛びついた。重たい引き戸をどうにかスライドさせると、凍てつく風が頬を打った。


 そうして見えた村はあまりにも小さい。古びた家屋が10棟ほどが点在し、いずれも頭から雪を被っていた。村内の道は雪かきの後が残っているので、歩くのは容易だろう。しかし郊外は一面が白く、腰まで埋まりかねない積雪だ。四方八方、全てが似た光景だった。


「村から出られるのか、これ。陸の孤島みたいなもんだぞ……」


 愕然とするあまり、ひととき寒さを忘れた。遅れてリオンが表に出て、コートをかけてくれた。「冷えますから」と。


「リオン。雪はいつやむんだ?」


「雪は、氷の魔神様によるものだと聞いています。だから、いつやむのかは……」


 リオンは言葉の途中で、何かに気づき、走りだした。そこには雪まみれの男がいた。ずんぐりとした小男だが、筋肉質だ。イノシシにも似た風貌で、身体に羽織るコートにも豊かな獣毛が縫い込まれていた。


「村長さん」リオンが男に駆け寄った。「兄は見つかりましたか?」


 すると村長は首を横に振った。


「手を尽くしたが、何も」


「そうですか……」


「裏を返せば、村周辺にはいないということだ。つまりは魔神様のもとかもしれない。氷の城に閉じ込められている、だとか」


 一迅の風が吹き荒れて、粉雪を舞い上げた。仮説を肯定するように、あるいは警告――魔神への接近は危険である――と告げるかのような。


「リオンや。ともかく無謀なことはやめなさい。兄が心配なのは分かるが、この荒天だ。村を出たら最後、命を落としかねない」


「でも村長さん」


「雪がやめば、もう少し遠くまで探せる。その時は何か手がかりの1つも見つかるだろう。大人しくしてなさい」


 村長はそう言い残して立ち去っていった。リオンは、唇を噛み締めてうなだれた。


「ジッとなんてしてられない。もう10日も待ってるのに……!」


 その場に残されたアーセルは、リオンの肩をそっとつかんだ。その肌が冷えている事は、コート越しでもわかった。


「困っているようだな。力になるぞ」


「アーセルさん。気持ちはうれしいですが」


「何を隠そう、オレも魔術師だ。お前の兄貴と同じだな」


「そうなのですか?」


「それに、オレだってノンビリ出来ない事情がある」


 アーセルは空を見上げた。変わらず荒れている、横殴りの吹雪だ。王都がどの方角にあるのかも分からなかった。


「急ぐ旅なんだ。雪の問題を一緒に解決しようぜ」


「それは心強いですが、あの、本当に?」


 リオンが不安げな視線を向けた。それも無理はなく、アーセルはとにかく身なりが悪い。ボロの衣服は浮浪者のようで、頭頂で結んだ髪も知的な威厳を感じさせない。


 もっともアーセルとしては、傷つきもしない。安く見られる事には慣れていた。


「まぁ論より証拠だ。見てろ、今ここで盛大に魔術を」


 そう豪語しつつ、右手で胸元をさぐった。だが無い。肌身はなさず持ち歩いた魔術書が、そこに無かった。


「やべぇ! オレの本はどこだ!」


「どうかしたんですか?」


「魔術書を見てないか? 分厚い表紙に赤いシミのついた古いやつ」


「覚えはありませんね。アーセルさんを雪中から助けた時、皮の荷物袋は一緒に持ち帰ったのですが」


 リオンが開かれたドアをちらりと見た。焚き火の傍に、確かに見慣れた袋があった。だがそちらにも叡智の書はなかった。


「だとすると落としたのか、崖から転落した時に……!」


 魔術書がない事は致命的だ。魔術の遣えないアーセルなど、貧乏で世間知らずな小太り童貞おっさんでしかないのだ。魔族どころかたった1人の暴漢とも戦えない。


「リオン、オレを回収した場所は遠いのか?」


「いえ。村からさほど離れてません。私一人で行ける距離です」


「すぐに案内してくれ。一大事というかもう、マジでヤバいから!」


 困惑するリオンをせかして村から出ようとした。だがその時、風の音を突き破るほどの大音声が聞こえた。村の入口の方からだった。


 何頭もの雪原馬を引き連れる中、ひるがえる赤いマント。それが幾重にも重なると、巨大な獣のようにも見えた。


「みなの者、動くな! オクトビア騎士団だ!」


 数少ない通行人が足を止めた。顔に吹き付ける雪すらも気にしないように、ただ呆然と眺めている。


 騎士は続けて声をあげた。


「ここに魔術師アーセルは居るか! 我々はその男を探している!」


 村人たちは困惑して、同時に怯えもした。それはアーセルも同じで、思わず首が引っんでしまう。騎士団からの名指しでの呼び出しに、リオンともども、どうすれば良いか分からず、その場に立ち尽くしてしまった。


 

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